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スリーダイヤ、鉛筆にも、サイダーにも


人が「三菱」の製品にはじめて触れあうのは、小学校のときに「三菱鉛筆」を使うことからでしょうか。

六角形の角材にコーティングがされていて、「“MITSU-BISHI”」や「HB」などの文字のほかに「三菱マーク」が刻まれています。鉛筆のおしりがコーティングされていて、「HB」などの硬さの表示のところだけ黒い帯になっている鉛筆も。

おとなになって「三菱グループは鉛筆まで手がけているとは幅広い!」とあらためて考える人も多いでしょう。しかし、この鉛筆をつくっている三菱鉛筆は、いわゆる三菱グループとは関係がありません。

三菱マークのデザインは、三菱グループのホームページによると、三菱財閥の創業者である岩崎家の家紋「三階葵」と、土佐藩主の山内家の家紋「三ツ柏」とを組み合わせてつくられたもの。「後に社名を三菱と定める機縁ともなりました」とも記されています。

いっぽう、三菱鉛筆のホームページにも、三菱鉛筆に使われている三菱マークの経緯が記されています。三菱鉛筆の創業者である眞崎仁六がつくった鉛筆が1901年、通信省(いまの総務省)の「御用品」となりました。

それを機に、眞崎はこの鉛筆を商標登録しました。眞崎家の家紋である「三鱗」(みつうろこ)と、硬さにより3種類の鉛筆があったことからその先端の芯の部分を寄せ合わせたデザインから、三菱マークを考案したといいます。

こうして、三菱グループの三菱マークと、三菱鉛筆の三菱マークができあがったわけです。

三菱マークはこれだけではありません。熊本市に飲料メーカー弘乳舎は「三菱サイダー」という清涼飲料を売っています。この缶に印刷されているのが、三菱マーク。三菱グループや三菱鉛筆の三菱マークと見分けがつきません。

弘乳舎は、1883年に熊本市で創業した会社。三菱グループや三菱鉛筆とは関係がありません。「三菱サイダー」は、1972(昭和47)年より発売され、いまでも南九州でロングセラーとして飲まれつづけています。

2009年からはカロリーゼロの三菱サイダーも。三菱のロゴが堂々となりました。

弘乳舎も、1919(大正8)年に三菱マークと「三菱」のブランドを商標登録しています。ホームページには「大企業グループの三菱グループ各社とは関係無い製品です」との断り書きも。

三菱グループ、三菱鉛筆、三菱サイダーをつくる弘乳舎。それぞれが三菱マークに誇りをもって、それぞれを尊重しあいながら、ここまで歩んできたのでしょう。

参考ホームページ
三菱鉛筆「商標とブランド」
弘乳舎「三菱サイダー350ml」
三菱グループ「三菱マークについて」
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