科学技術のアネクドート

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“確認”をめぐる賛否両論


原稿が雑誌などに記事として載るまでのあいだに、通るときと通らないときがある工程があります。

「取材対象者に原稿を確認してもらう」という工程です。

書評などの記事をのぞけば、大半の記事は誰かに取材をしてつくられるもの。そのとき、原稿を書いてから一度や二度、取材対象者に確認を依頼する場合もあれば、確認を経ずに記事になる場合もあります。

どちらの工程を踏むかは、出版社や編集部の方針によりけり。確認をすることによる利点と難点への考え方のちがいが、原稿確認をするかしないかに現れます。

まず、利点としては、雑誌が発売されるまえに取材対象者に原稿を目通ししてもらえば、「私はこんなこと言ったつもりはない。記事の内容を訂正しろ!」といったいさかいを防げる確率が高くなるということがあります。

とりわけ、説明のむずかしい科学技術関連の記事などでは「正確に伝える」という観点から、専門家である取材対象者に記事の確認をしてもらうことは大切だ、という考えの持ち主はいます。

確認賛成派には、「そもそも、人が人に何かをして“もらう”のだから、取材者より取材対象者のほうが希望を通せる権利がある」と考える人もいます。

いっぽう、取材対象者の確認を経ないことの利点もいろいろあります。確認の依頼をしてから返事をもらうまで何日かかかりますから、この一工程を減らせれば、それだけ原稿を書く時間にゆとりができるというのもひとつです。

確認反対派がより大きな利点としてあげるのは「自分の書いた記事の意図などが、取材対象者の確認を経ることで変えられてしまうことを防げる」ということです。

極端な例が“ネガティブ取材”を記事にする場合です。あるものごとに対して批判的な記事を書くとき、その批判の矛先にいる人物に取材をする、といった場合もあります。こうした取材はネガティブ取材といわれます。

このネガティブ取材をもとにして書いた原稿を取材対象者に見せてしまえば、取材対象者から「記事全体を書きあらためてください」とか「こんな趣旨で取材に応じたつもりはなかったので、私を記事に登場させないでください」といった反応を示されるおそれがあります。もちろん、あらかじめどういう意図で取材をするのか、事前にすり合せをしておくこともひとつの手ですが。

また、自分の書いた記事に、いろいろと注文を付けられることを毛嫌いする記者や編集者も多いことでしょう。

いずれにしても「自分の意志で書いた記事を取材対象者になおされるのは、職業的にいかがなものか」と思う人がいるわけです。これは、ジャーナリズムや言論の自由にも関わってくる問題といえます。

科学技術関連の記事に関していえば、実際の状況として確認の工程を経る場合は「7」、経ない場合は「3」ぐらいになるでしょうか。

「取材が記事になるとは、こういうものだ」という常識は、人によってさまざま。そのため「これだ」という答が見つからない話でもあります。
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