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日本の担担麺にも「入る、変わる、広まる」の道のり

写真作者:ayustety

日本では、海外から入ってきた料理が、独自の料理となって定着するということがよくあります。どの国にもそうしたことはあるでしょうが、外からの文化をみずからの文化としてしまってもとくになんとも思わない向きのある日本では、料理においてもこの「入る、変わる、広まる」の風習が強いといえます。

日本の担担麺も、日本で独自化した料理のひとつといえます。

担担麺はもともと中国・四川料理のひとつです。ゆでた麺に、しょうゆ、芝麻醤(チーマーじゃん)、ラー油、ねぎなどを合わせたれをかけ、肉そぼろなどをのせてつくります。また、この麺を天秤棒で担いで売りあるいたことから、「担担麺」と名がついたとされています。

この担担麺が日本に入ってきたのは戦後のこととされます。四川省出身の料理人だった陳健民(1919-1990)が1952(昭和27)年に来日すると、その後、四川料理をつぎつぎと日本人の好みや台所事情に合わせて独自化させていきました。回鍋肉にキャベツを入れたり、エビチリにトマトケチャップを入れたりするなかで、担担麺についてもラーメン風に汁を入れるという独自化をはかったといいます。陳健民は「私の中華料理すこしウソ。でもそれいいウソ。美味しいウソ」と言ったとかいいます。

こうして独自化した担担麺が、日本国内の食堂でも供されることとなり、定着していきます。とくに中華麺の類は、家庭の台所で料理して食べるより、食堂で料理されたものを食べるほうが手軽なため、食堂で供されるという過程は定着化に重要だったのではないでしょうか。

1954(昭和29)年には、千葉県勝浦町(いまの勝浦市)の大衆食堂「江ざわ」で、店主が店独自の担担麺をつくり、客に出すようになったとされます。店主は、べつの店で食べた担担麺を再現しようとしたものの、芝麻醤が手に入らなかったため、しょうゆスープにラー油を入れることで、担担麺として献立に入れたとされます。ここでも、料理の独自化がなされているわけです。

勝浦は漁港のため、漁師や海女たちのからだを温める料理をと考えて、担担麺を出すようになったという話も残っています。この「江ざわ」の担担麺が、当地の名物料理となった「勝浦タンタン麺」のはじまりとされています。

海外からの料理を日本独自の料理にするというのは、日本人の節操のなさのあらわれととれるかもしれません。しかし、すくなくともなんとも思わず、むしろ楽しんでしまえるのは能力ともとれます。日本文化をなすもののひとつではないでしょうか。

参考資料
デジタル大辞泉「担担麺」
https://kotobank.jp/word/担担麺-564427
和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典「担担麺」
https://kotobank.jp/word/担担麺-564427
ウィキペディア「陳健民」
https://ja.wikipedia.org/wiki/陳建民
知恵蔵mini「勝浦タンタン麺」
https://kotobank.jp/word/勝浦タンタンメン-1718864
デジタル大辞泉プラス「勝浦タンタン麺」
https://kotobank.jp/word/勝浦タンタンメン-1718864
Rakuten「千葉・勝浦 江ざわ 元祖 勝浦式 坦々麺」
https://item.rakuten.co.jp/yamagata-kikou/r14-069-ss/
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