科学技術のアネクドート

書評『私とは何か』

このブログの過去記事「その自分も、その自分も、ほんとうの自分」で、「分人」の考えを伝えたことがあります。この考えがまとまっている本について、あらためて。

『私とは何か 「個人」から「分人」へ』平野啓一郎著 講談社現代新書 2012年 192ページ


「私」が接している家族がいる。「私」が接している友人もいる。その家族とその友人のあいだに、ふだん接点はないものとする。けれどもなにかの理由で、そんな家族と友人そして「私」が一同に会したとしよう。そのとき「私」はどんなことを感じるだろうか。おそらく多くの場合「いったい自分はどういう態度をとったらよいのやら」と、居心地の悪さを感じるのではないか。

それは、ふだん家族と接しているときの「私」と、友人と接しているときの「私」がちがっているからだ。家族と接しているときの「私」を友人には見せたくない、そして、友人と接しているときの「私」を家族には見せたくない。そんな感情が生じるのだろう。

つまり「私」は、個体としてはひとつでありながら、人格としては複数あるわけだ。

このことを気づかせ、きちんとことばで表し、そしてそこから生きかたの示唆をあたえるのが、本書『私とは何か』である。

著者の平野啓一郎は、本書で「個人 = individual」に対して「分人 = dividual」という考えを示す。本人が定義しているわけではないが、分人の定義は「その人を構成する、複数からなる人格。その人が関わる社会、グループ、相手の数だけ生じる」といったことになろう。

ある個人ないしグループと接しているときは、笑顔も冗談も出てくる。だが、べつの個人ないしグループと接しているときは、ぶっきらぼうで不機嫌でいる。そのような「私」を「個人」単位で考えてしまうと、「相手によってこんなにも態度を変えてしまうとは、自分はなんて多重人格なんだ」と悩んでしまうかもしれない。だが、「私」を複数の「分人」からなるものと考えれば、「相手によって、冗談を言える『私』も分人だし、ぶっきらぼうな『私』も分人」と割りきることができる。

書名にもある「『個人』から『分人』へ」を「発想の転換」と見る人もいよう。だが、物理的あるいは視覚的な「個人」とともに、精神的あるいは内面的な「分人」は、人間にもともとあったものと考えることもできる。では、どうしてもっぱら「個人」に重きが置かれ、「分人」にさほど重きが置かれてこなかったのだろう。その背景も著者は考察している。それは、つぎのようなものだ。

西洋において、一神教の神であるキリストに対し、人は「本当の自分」でなければならなかった。神と人の関係は「一対一」であり、人を「個人」よりも、細分化して「分人」と捉えることはできなかった。また、社会においても、国家に対立する考えとして「個人」が先鋭化されていた。こうして「分人」の考えに至ることはなかったというわけだ。

そんな西洋で生じた「個人」という考えが、明治初期の日本にも入ってきた。江戸時代の身分制度が崩壊した当時の日本において、「個人」の確立は、社会的にも求められていたことでもあった。こうした背景から、当時の日本人は「個人」の考えを受けいれたのだろう。こうして「個人」と「分人」では「個人」が考えの主流となった。それは同時に「私とは何か」をめぐって悩むことの始まりでもあったわけだが。

「個人」よりも細分化された「分人」の考えを得ることで、自分自身が抱いている悩みについても「この悩みは自分すべてのものでなく、自分の一部のものなのだ」と考えることができるようになる。

それだけではない。「私」が接している人の成功についても、「相手の分人を通して、自分がその成功に貢献できたのだ」と、より素直によろこべるようになるかもしれない。さらに、対立するコミュニティがあるときも、どちらにも分人として参加しているような個人の存在を見つけることで、そこから融合をはかれるかもしれない。

「分人」の考えを一度、知れば、「なんで、これまで自分はこんなあたりまえのことに気づかなかったのだろう」となる。だが、「その考えに気づかなかった」あるいは「その考えを明確化できなかった」と多くの人はふりかえるのもきっとたしかだろう。

中高年になってから「分人」に気づくのでは、残りの人生からして遅すぎる(知らないままよりはよほどよいが)。青少年が「分人」の考えを知ってしまうのは、その後の人生の糧となる葛藤の経験などを得づらくなるから、早すぎるかもしれない。社会に出てさまざまな「分人」が「私」のなかで生じる20歳代あたりが、本書との出あいの適齢期といえるのではないだろうか。

『私とは何か』はこちらでどうぞ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4062881721/

| - | 18:15 | comments(0) | trackbacks(0)
CALENDAR
S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< June 2019 >>
SPONSORED LINKS
RECOMMEND
フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで (JUGEMレビュー »)
サイモン シン, Simon Singh, 青木 薫
数学の大難問「フェルマーの最終定理」が世に出されてから解決にいたるまでの350年。数々の数学者の激闘を追ったノンフィクション。
SELECTED ENTRIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
amazon.co.jp
Billboard by Google
モバイル
qrcode
PROFILE