2019.02.20 Wednesday
これまでは「東海林」でも、買いかえ直後は「庄司」
自分の使うコンピュータを買いかえるとき、すこし気がかりになるのが「データをうまく移せるか」ではないでしょうか。
アップルのMacOSのコンピュータには、新旧の2台を線か無線でつないでデータを自動的に移す「移行アシスタント」など、いくつかのデータ移行のしかたがあります。また、マイクロソフトのWindows OSのコンピュータでも同社の「ワンドライブ」というデータ保存クラウドサービスを使うなどして、データをなかば自動的に移す方法があります。
ただし、データがそっくりそのまま移るわけではありません。そのため、古いコンピュータでいままであたりまえのようにしていた作業を、新しいコンピューターでもそのままあたりまえのようにすると、思わぬ痛い目にあうこともあります。
ひとつの例は、ひらがなの文字を漢字に換えてくれる「漢字変換」についてのものです。
近ごろの漢字変換ソフトウェアには、コンピュータの使い主の漢字変換のしかたを学習し、最適な変換候補を予測するといった技術が入っています。たとえば「きょうと」と打つ人が、よく「京都」と変換していれば「今日と」や「教徒」よりも「京都」が上にくるようになるといったもの。
しかし、データを移しかえたあとの漢字変換ソフトでは、多くの場合、その学習内容までは移されていないようです。古いコンピュータを使っていたとき、変換で上にきていた漢字の語が、新しいコンピュータではかならずしも上にくるわけではありません。
コンピュータを買いかえたという、ある人物は「こんな痛い目に遭いました」とみずからの経験を話します。
「とてもお世話になっている、東海林(しょうじ)先生という方がいましてね。『しょうじせんせい』と打てば『東海林先生』がいちばん上にきていました」
「ところが、パソコンを買いかえて、はじめて先生にメールを出したときのこと。先生からのご返事で『私は庄司ではなく、東海林ですよ』とご指摘をいただいてしまったんです」
その漢字変換ソフトでは、初期には「東海林」よりも「庄司」のほうが上にくるため、買いかえた直後のコンピュータでも「庄司」と変換されてしまったもよう。しかし、その人は「『しょうじ』と打てば『東海林』と出る」ことにあまり慣れてしまっていたため、「庄司」と変換されていたことに気づかず、東海林先生にメールを送信してしまったというわけです。
「古いコンピュータでは自動変換されていた。頭のなかでも自動変換されていた。新しいコンピュータだけは自動変換されていなかったわけです」
だれかにむけてなにかを書くときには、いつも初心に返ることができればよいもの。実際はなかなかそうもいきません。けれども、買いかえた直後のコンピュータを使うときにはとくに注意が必要といえます。
アップルのMacOSのコンピュータには、新旧の2台を線か無線でつないでデータを自動的に移す「移行アシスタント」など、いくつかのデータ移行のしかたがあります。また、マイクロソフトのWindows OSのコンピュータでも同社の「ワンドライブ」というデータ保存クラウドサービスを使うなどして、データをなかば自動的に移す方法があります。
ただし、データがそっくりそのまま移るわけではありません。そのため、古いコンピュータでいままであたりまえのようにしていた作業を、新しいコンピューターでもそのままあたりまえのようにすると、思わぬ痛い目にあうこともあります。
ひとつの例は、ひらがなの文字を漢字に換えてくれる「漢字変換」についてのものです。
近ごろの漢字変換ソフトウェアには、コンピュータの使い主の漢字変換のしかたを学習し、最適な変換候補を予測するといった技術が入っています。たとえば「きょうと」と打つ人が、よく「京都」と変換していれば「今日と」や「教徒」よりも「京都」が上にくるようになるといったもの。
しかし、データを移しかえたあとの漢字変換ソフトでは、多くの場合、その学習内容までは移されていないようです。古いコンピュータを使っていたとき、変換で上にきていた漢字の語が、新しいコンピュータではかならずしも上にくるわけではありません。
コンピュータを買いかえたという、ある人物は「こんな痛い目に遭いました」とみずからの経験を話します。
「とてもお世話になっている、東海林(しょうじ)先生という方がいましてね。『しょうじせんせい』と打てば『東海林先生』がいちばん上にきていました」
「ところが、パソコンを買いかえて、はじめて先生にメールを出したときのこと。先生からのご返事で『私は庄司ではなく、東海林ですよ』とご指摘をいただいてしまったんです」
その漢字変換ソフトでは、初期には「東海林」よりも「庄司」のほうが上にくるため、買いかえた直後のコンピュータでも「庄司」と変換されてしまったもよう。しかし、その人は「『しょうじ』と打てば『東海林』と出る」ことにあまり慣れてしまっていたため、「庄司」と変換されていたことに気づかず、東海林先生にメールを送信してしまったというわけです。
「古いコンピュータでは自動変換されていた。頭のなかでも自動変換されていた。新しいコンピュータだけは自動変換されていなかったわけです」
だれかにむけてなにかを書くときには、いつも初心に返ることができればよいもの。実際はなかなかそうもいきません。けれども、買いかえた直後のコンピュータを使うときにはとくに注意が必要といえます。