2019.02.06 Wednesday
元気ある人に元気を吸いとられることも
「元気のある人」はいるものです。そういう人は、まわりの人に快活な感じでいろいろ話をしたり笑わせたりします。元気ですから。
そんな「とても元気のある人」にたまに会う人たちは、いっしょに話をしたり笑ったりして「じゃあまたね!」とさよならしたあと、「いつもあの人は元気よねー。私も元気をもらっちゃったわ」などと話すことがあります。
「元気ある人に会うと元気をもらう」というのは、ほんとうでしょうか。
元気のある人と会った人については、おそらく、その元気のある人よりも元気はありません。定常的な元気度が低いといいますか。ですので、元気のある人と会うときには、その「元気ぶり」に多少なりとも自分が合わせる必要が出てきます。
たとえば、元気のある人がしてくる笑い話を聞いていて「おもしろくないな」と感じていても、「元気がある人が笑い話をしているのだから、ここは笑わないと」とおもんばかって、むりやり笑うといったことはありえます。つまり、元気ある人の話の進めかたに自分が合わせて、笑うことを演じるわけです。
そうした「元気ある人に合わせなければならない人」が、元気になれるかというと、なんともいえないのではないでしょうか。
ほんとうは笑いが出てくる話ではないのに演じて笑うというのは、明らかな精神的負担です。これは、むしろ「元気ある人に会って元気を失う」あるいは「元気を吸いとられる」状況ではないでしょうか。
しかし、いっぽうで、「人はとにかく笑うことで明るくなる」という理論もあります。「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しい」というもの。この理論からすると「元気ある人に会って元気をもらう」という経験が得られそうです。
すくなくともいえるのは「人と会って元気をもらうには、相手が元気ある人でなくてもよい」ということでしょう。元気というのは活動のもとになる気力のことですから、自分の活動につながるような刺激をあたえてくれれば元気が出てくることになります。
たとえば「こんな仕上がりじゃだめですね。やり直していただけませんか」と言ってきたりする人や、「納品は1週間後ですよ。いまのペースで大丈夫ですか」と言ってきたりする人からも、いわば「元気」をもらえるわけです。その元気は、あまり明るいタイプのものではないかもしれませんが。