2019.01.17 Thursday
視線は意思がなくても向けられる
人はなにかを見るとき、どこかに視線を定めます。たとえば、東京タワーの展望台から眺めを見れば、六本木ヒルズの建てものに視線が向かうかもしれませんし、皇居のみどりに視線が向かうかもしれません。
こうした、人の視線がどこかに定まる過程は「視覚的注意」とよびます。
さらに、視覚的注意には、内発的なものと外発的なものがあるといいます。
内発的というのは、みずからの「ここを見よう」という意思がはたらいて、注意するもの。
いっぽう、外発的というのは、視覚が感じる刺激に導かれて、自分の意思とは関係なく注意が向いてしまうもの。たとえば、光っているものに対して、視線が向いてしまうといったものです。
写真作者:jacinta lluch valero
写真をぱっと見たときの人の視覚では、どちらかというと内発的注意がはたらくようです。たとえば、薄暗い背景のなかに、白いネコが写っていたら、その白いネコに、まず視線が定まるわけです。
そして、その後、背景などにも目が行き、全体として、「石の階段の途中でネコがたたずんでいる写真だ」ということをわかるわけです。そこまでくると、人は「この写真が伝えたいことはこういうことだろう」といった意味を探すようになります。
外発的注意は、人の知覚のなかでごく自然に起きるもの。逆に、この外発的注意を利用して「まず視線をここに向かわせる」といった操作も、写真などではできるわけです。
参考資料
リチャード・ガーベイ=ウィリアムズ『プロの撮り方 構図の法則』
https://www.amazon.co.jp/dp/B07518NRVF/
柏瀬啓起ら「内発的な視覚的注意による定常的視覚誘発電位の変調効果」
http://www.vision.riec.tohoku.ac.jp/kashiwase/Kashiwase_2009_Vision.pdf
脳科学辞典「空間的注意」
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/空間的注意
こうした、人の視線がどこかに定まる過程は「視覚的注意」とよびます。
さらに、視覚的注意には、内発的なものと外発的なものがあるといいます。
内発的というのは、みずからの「ここを見よう」という意思がはたらいて、注意するもの。
いっぽう、外発的というのは、視覚が感じる刺激に導かれて、自分の意思とは関係なく注意が向いてしまうもの。たとえば、光っているものに対して、視線が向いてしまうといったものです。
写真作者:jacinta lluch valero
写真をぱっと見たときの人の視覚では、どちらかというと内発的注意がはたらくようです。たとえば、薄暗い背景のなかに、白いネコが写っていたら、その白いネコに、まず視線が定まるわけです。
そして、その後、背景などにも目が行き、全体として、「石の階段の途中でネコがたたずんでいる写真だ」ということをわかるわけです。そこまでくると、人は「この写真が伝えたいことはこういうことだろう」といった意味を探すようになります。
外発的注意は、人の知覚のなかでごく自然に起きるもの。逆に、この外発的注意を利用して「まず視線をここに向かわせる」といった操作も、写真などではできるわけです。
参考資料
リチャード・ガーベイ=ウィリアムズ『プロの撮り方 構図の法則』
https://www.amazon.co.jp/dp/B07518NRVF/
柏瀬啓起ら「内発的な視覚的注意による定常的視覚誘発電位の変調効果」
http://www.vision.riec.tohoku.ac.jp/kashiwase/Kashiwase_2009_Vision.pdf
脳科学辞典「空間的注意」
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/空間的注意