科学技術のアネクドート

「観たい、聞きたい」と思わない「話芸」が目の前で
自分が「観たい、聞きたい」と思っているわけではないのに、自分の座っているまえで人びとの「話芸」がくりひろげられることがあります。中学校の行事にある「自分の知らない役者たちが舞台に立つ劇場鑑賞会」はそのひとつですが、それとはべつの「話芸」をおとなの人でも味わうときがあります。

電車に乗っていると座席に座れることがあります。そして、7人がけなどの長座席に座っていると、目のまえにほかの客が立つことがあります。

その立っている客が“ソロ活動”をしていれば、つまり1人で乗っていれば、おそらくその人はおとなしくスマートフォンをいじったり、本を読んだりしているだけでしょう。

しかし、立っている客が2人で“コンビ活動”、あるいは3人で“トリオ活動”をしていると、当然そこには対話や会話が生じます。

すると、座っている客にとっては「観たい」と思っているわけでもないのに、自分の座っているまえでその複数人の立ち客が「話芸」をくりひろげるような状況になるわけです。


立ち客A「いやー、あそこでお前が『てんとう虫のサンバ』歌い出すとはな!」
立ち客B「だってワイ、チェリッシュ好きなんやもん」
立ち客A「そうやなくて。新郎スキーでこけて骨折した言うてたやろ。『てんとう虫』が『転倒虫』に聞こえたらってビクビクしてたんやわ!」
立ち客C「もうそんなんくだらんこと、無視や無視無死!」
立ち客ABC「ワッハッハッハ」
座り客 「…………」


立ち客A「あ! しもーた。わい、御茶ノ水で降りるんやった」
立ち客B「ほーら話に夢中だからや。でも秋葉原でも乗りかえられるで」
立ち客C「秋葉原には甘酒の自販機もあるよってに」
立ち客B「お茶の代わりに、甘酒ってことか!」
立ち客ABC「ウワーッハッハッハ」
座り客 「…………(なんだこいつら)」

こうした会話をくりひろげる立ち客たちは、「自分たちの目の前に座り客がいる」ということを心のどこかで意識して、座り客にも聞こえよがしにしゃべるということも、人によってはあります。

乗りのよい座り客であれば、この“トリオ”がくりひろげる「話芸」に反応して、「あ、私もチェリッシュ好きですよ。『クッククッキング』とか」とか「秋葉原の甘酒は、森永のやつがおすすめですよ」とか、“観客”として参加するのも手でしょう。きっと、舞台の仲間に入れてくれるはずです。

しかし、「(なんだこいつら)」と感じているような座り客であれば、“トリオ”が舞台から降りていくのを待つしかありますまい。座れていて楽なのだし、しばしの辛抱です。
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