科学技術のアネクドート

外国人名もセカンドネームまで表記すべき案に例外も
本や雑誌記事などの原稿をつくるうえで、「外国人名はセカンドネームのみ」とする風潮があります。たとえばつぎのような例です。

「光は粒子であると主張したのはニュートンである。いっぽう、光は波動であると主張したのはホイヘンスである」

ここでの「ニュートン」はアイザック・ニュートン(1642-1727)のこと。また、「ホイヘンス」とはクリスティアン・ホイヘンス(1629-1695)のこと。ともに、いまでいう自然科学者です。


アイザック・ニュートン


クリスティアン・ホイヘンス

日本人の人名をその原稿で初めて述べるとき、たとえば「iPS細胞を樹立した中山の功績によって……」などとセカンドネームだけで表すことはあまりありません。この場合は「山中伸弥の功績によって……」とするでしょう。二回目に述べるときは「山中は……」のように氏を省略するでしょうが。

なぜ、外国人名だけはセカンドネームのみということが多いのでしょう。

そもそも、その人の名前が記述されている書物などで、きちんと綴られている名前がセカンドネームのみという理由はありそうです。参考にした情報には「クリスティアン・ホイヘンス」とは書かれておらず、「ホイヘンス」で済まされているため、「自分もホイヘンスでいいや」となるわけです。

また、『ネイチャー』などの英文科学誌に載っている論文では、筆者名は「S. Nakayama」「C. Huygens」などと綴られます。よって論文からは、その人のファーストネームやフルネームを知ることはできません。そこで、インターネットなどのほかの情報で探るものの、なかなか出てこないものです。

とはいえ、もし「山中の功績によって……」という記述を読者が目にすれば、「たぶん、山中伸弥さんのことだろうが、ちょっとぶっきらぼうだな」とちょっとひっかかるかもしれません。日本人名はフルネームで表記し、外国人名はセカンドネームだけに略する必然性はあまりないわけです。

あえていえば、外国人名のほうが文字数が多くとられるため、省略することで字数を確保できるといったちがいぐらいでしょうか。しかし、これとて、筆者側の都合であり、けっして読者の立場になった表現法とはいえますまい。

ただし、例外的に、外国人名のなかで「この人をファーストネームもふくめて表現するのはかえって違和感が生じる」とためらわれるものもあります。つぎの場合はどう感じるでしょう。

「そうしたなかで、アルバート・アインシュタインは、光は粒子性をもつと考えないと説明できない現象があると考えた」

この場合、「アルバート・アインシュタイン」より「アインシュタイン」のほうが違和感なくしっくりくる、という人もかなりいるのではないでしょうか。「アルバート・アインシュタイン」だとかしこまりすぎる、というわけです。


アルバート・アインシュタイン

アインシュタインの場合、ほかにこの性での有名な人物がいないことや、あまりに孤高な存在であることなどから、わざわざ「アルバート」をつけなくても「アインシュタイン」で通じるということが、この例外につながっているのではないでしょうか。だれもが存在を認めるような人物になると、「さん」や「氏」をつけなくなるといいますが、これににた現象なのかもしれません。

これからの時代、セカンドネームを省略しても違和感を覚えないような人物は現れるでしょうか……。
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