2018.03.24 Saturday
通天閣、広告面3面、公共面1面
大阪・恵美須東にある通天閣は、電気街のある日本橋や、ターミナル駅のある天王寺などからも、景観を特徴づける建てものとなっています。2014年に開業したあべのハルカスも近くにあるものの、大阪南部の高い建てものといえば、通天閣を思いうかべる人は多いのではないでしょうか。
夜の通天閣に映えるのは、やはり電照広告です。鉄塔の色は15分ごとに変わるなかで、白く縦に輝く文字がとりわけ映えます。
いまの通天閣は“2代目”。1956(昭和31)年に竣工しました。そして、電照広告が灯ったのは翌1957(昭和32)年7月だったそうです。当初から広告主は日立製作所。同社サイトの「日立と通天閣の歴史」というページには、「日立は通天閣が再建された1956年に白黒テレビ第1号機を発売し、家電事業に本格参入した時期でした。競合がひしめく関西エリアで日立の名を広めたいという強い志と、通天閣を再建したいという地元の想いが合致して、日立が通天閣にネオンサインを出すに至ったのです」とあります。
当初は「日立テレビ」のほか、「日立モートル」「日立ポンプ」といった製品名や企業ブランドを表現した電照広告だったそうです。2017年2月以降は「社会イノベーションの日立」そして「社会に貢献する日立」など。製品名から企業ビジョンなどに移りかわったのも時代の変化のあらわれでしょうか。
電照広告を出せる面が東西南北4面あるなかで、西面は「公共面」として、日立の広告でなく、「社会貢献や地域の活性化」を目的としたことばにしているとのこと。これは、通天閣と日立製作所の契約時の約束なのだそうです。
1961年までは水銀柱式寒暖計のような模様の「マンモス寒暖計」でしたが、以降、1967年まで「日本万国博」、1970年まで「みんなの願い交通安全」、1983年まで「交通安全大阪21世紀計画」、1988年まで「花の万博 あと○○日」、ふたたび2001年まで「交通安全大阪21世紀計画」となり、1996年からは夜のみ見られる「防火・防災街づくり」も加わりました。
その後、21世紀に入り、2001年から2006年まで「人、まち、かがやく大阪」「なにわの安心防火から」「安全はゆずりあいの心から」、2011年まで「元気な大阪、美しい水の都」「もってますか!!警戒心」「こころでつなぐ防火の輪」となり、2011年10月からは「笑顔の生まれる街、大阪」という公募採用標語とともに「通天閣」というシンプルなことばに。
そして、最新の2017年2月からの西面では、「通天閣」のほか「笑顔の生まれる街、大阪」と表現しています。
街には横書きによる広告があふれるなかで、天に通じる高い建てものには、やはり縦書きの広告がにあっています。
参考資料
日立製作所「日立と通天閣の歴史」
http://www.hitachi.co.jp/about/publicity/ad_outdoor/tsutenkaku_60th/history.html
日立製作所・通天閣観光 2006年6月29日付「なにわのシンボル・通天閣ネオンの全面的なリニューアル工事に着工」
http://www.hitachi.co.jp/New/cnews/month/2006/06/0629c.pdf#page=2
日立製作所・通天閣観光 2011年10月14日付「大阪のシンボル・通天閣ネオンのデザインを一新」
http://www.hitachi.co.jp/New/cnews/month/2011/10/1014.pdf
日立製作所「ネオンサインの改修内容」
http://www.hitachi.co.jp/about/publicity/ad_outdoor/tsutenkaku_60th/upgrade.html