2018.03.20 Tuesday
病的なくらい健康……、健康的なくらい病気……
人は、ある状態と、その状態を実現するための過程とが、正反対なものになっていることがときにあります。
たとえば、「病的なくらいに健康である」人がいます。血圧を1日50回、血圧計で測って、正常値であることを確かめているような人は、自分の健康に対して病的です。あるいは、どんなに寝不足でも、あるいはお腹が痛くても、健康のためにと自分に課した運動のノルマをなにがなんでも果たそうとするような人も、自分の健康に対して病的です。
病的というのは、心や体が異常なさまをいうものですが、「的」がついていることでいくぶん、純然たる「病気」よりは和らいだ状態を表してはいるかもしれません。しかし、血圧計測1日50回も、寝不足で運動も、ある意味で病気といってよいのではないでしょうか。
「病的なくらい健康である」ということがあるのであれば、その逆のような人もまたいたりするのでしょうか。つまり、ことばを入れかえると、「健康的なくらいに病気である」といったことになります。
「病的なくらい健康である」人よりも想像はしづらいものの、「健康的なくらい病気である」人もいなくはなさそうです。つまり、自分の患っている病気をめぐって生き生きとなるような状態の人です。
たとえば、自分たちの抱えているメタボリック症候群に対して、喜々として自慢しあっているような人たちの会話を耳にすることがあります。「おれ、先日の健康診断で、ついに血圧150を超えちゃったんだよ!」「ほほう、おれなんか尿酸値7.4だったよ!」といった具合に、病気自慢で盛りあがるわけです。
あるいは、病院に通うことが日々の生きがいになっているような人もいます。病院にいる医師やほかの患者たちと会話をするのが楽しみであり、それが健康的に過ごす理由となっているような人です。
「病的なくらいに健康である」という人は、病的な習慣の部分を奪ってしまったら健康を保つことができなくなるかもしれません。また「健康的なくらいに病気である」という人は、健康的でいられる部分を奪ってしまったら病気が悪化してしまうかもしれません。どちらも「病」と「健康」が微妙に均衡をとりながら保たれているといえそうです。