科学技術のアネクドート

長崎市松山町「平和公園」の変遷をたどる――長崎とアトム(1)

原爆投下以前の長崎市

毎年8月9日、人々が死者を弔うために集まり、二度とおなじできごとが起こらぬように誓いを新たにする場所があります。

長崎市の原子爆弾投下中心地、つまり「爆心地」です。

原子爆弾が投下されたのは、現在の松山町2400番地3号。当時は、松山町171番地という番地でした。この地は、いま長崎市が管理する「平和公園」の一部になっています。

長崎市による平和公園の案内を見ると、この公園は「世界平和と文化交流のための記念施設として昭和26年に整備を行い、これまで国内外の多くの人々に親しまれてきました」とあります※。
※長崎市みどり課の説明では、この公園は1955(昭和30)年に開園したとしています。

しかし、原爆投下からこの整備までの間、爆心地は野ざらしに放っておかれたわけではありません。

公的な記録とは別に、この爆心地には平和公園の前身となる公園が存在していました。遅くとも、原爆投下から3年後の1948(昭和23)年までには、長崎市民は爆心地を公園として認識していました。そして、この公園は「平和公園」とは異なる呼ばれ方がされていました。

この新連載企画「長崎とアトム」では、いま「平和公園」として知られる長崎市の爆心地が、原爆投下を境にどのような変遷をたどっていったのかを、当時の地元の新聞記事などから追っていきます。そして、そこから、当時の長崎市民ないし日本国民の終戦直後の精神性を探っていきます。つづく。
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