科学技術のアネクドート

「バークレー」のハンバーグカレー――カレーまみれのアネクドート(112)


福岡市の繁華街「中洲川端」は、その名のとおり、川のなかの洲である中洲を臨む川端にあります。

中洲から対岸の川端を臨むと、赤い軒に「ハンバーグカレーの店 バークレー」の白い文字が。博多大橋を渡って右手、アーケード街「川端通商店街」の奥まったところに「バークレー」はあります。

店の外には「噂のハンカレー」「旨味が凝縮」といった文字が並ぶ看板が。「ハンカレー」がハンバーグカレー、つまり中心の具材をハンバーグにしたカレーライスであることが、看板の写真からわかり、期待をそそります。

そして店内は、カウンター席にテーブル席、雑誌や新聞も置いてある、これぞ喫茶店といった風。多くの客が、やはりハンバーグカレーを注文するもよう。

実際のハンバーグカレーは、カレーライスのライスの上に、さらに縦方向に丈のあるハンバーグが乗せられ、そこにカレーソースがかけられたもの。もし、ハンバーグ単品として注文して、供されることを考えると、やや小ぶりなハンバーグです。しかし、カレーライスの添えものとしてのハンバーグとなると、小さくもなく大きくもなく、調和がとれています。

味のほうは、ハンバーグもカレーソースも、どちらも強く主張するものでなく、こちらも調和がとれています。店は、カレーライスの添えものとしてのハンバーグとはどういうものであるべきかをきちんと考えた末に、このやや小さめながら存在感のあるハンバーグをつくっているのではないでようか。

カレーソースのなかに目に留まる具材はなし。カレーソースの味もさほど辛くはあらず。ハンバーグ、カレーソース、ライス……それぞれの要素が調和のとれたカレーライスです。

バークレーの食べログ情報はこちらです。
https://tabelog.com/fukuoka/A4001/A400102/40001017/
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博多祇園山笠、「流舁き」から「追い山」へ
  山笠や博多目出度き祝唄 橋本幹夫



福岡市の櫛田神社とその周辺では、7月1日から15日にかけて、夏祭「博多祇園山笠」がくりひろげられています。

「山笠」は、櫛田神社の例祭に出る山車のこと。人びとは祭の名前としても「山笠」とよんでいます。

祭の起源については、いくつかの説がありますが、1241(仁治2)年に始まったとするものが有力のよう。臨済宗の僧で聖一国師(しょういちこくし)ともよばれる円爾 (1202-1280)が、疫病をなくそうと「施餓鬼棚(せがきたな)」とよばれる精霊棚に乗って、祈祷のための甘露水をまいたのが始まりといいます。僧、つまりお坊さんはお寺の主であり、神社との縁はふつうないものの、円爾の生きていた鎌倉時代には、仏事と神事が混ざりあって信仰されていた時代。神社がとりおこなう祭として発展していったとされます。

「祇園山笠」とよばれるのは、この祭が祇園信仰にもとづくものだから。祇園信仰とは、出雲系神道の祖「素盞嗚命(すさのおのみこと)」と、疫病神の「牛頭天王(ごずてんのう)」を信じあがめるもの。災厄や疫病をもたらす霊を慰め、平安を祈ります。

1241年を博多祇園山笠の起源年とすると、2018年は777年目。「777」という数字にとりわけ強調すべき意味はなさそうですが、一般に神事では奇数の縁起がよいとされています。



中洲の対岸、上川端町にある櫛田神社の境内は、ふだん大きな広場のようになっていますが、山笠の期間中、特設の見物席が設けられたり、出店が並んだりと、ようすを変えます。



神社周辺の街には、「飾り山」とよばれる見せるための山車が置かれています。それぞれの飾り山には物語があり、たとえば写真のものは戦国時代の1586(天正14)年、薩摩の島津義久が、大友家の高橋紹運が籠る岩屋城を落とした「岩屋城の戦い」を表したもの。また、現代版の飾り山では、福岡ソフトバンクホークスのユニフォームを着た放送局のアナウンサーたちの人形をあしらったものなども見られます。



「飾り山」とはべつに、実際に人びとが引く山車は「舁き山」とよばれます。毎年、7月14日は「流舁き」の最終日。神社のまわりの各区域に置かれている6期の舁き山を、区域の人びとが引きまわします。

そして翌15日は祭の最終日、「追い山」がおこなわれます。6基の舁き山を氏子たちがかつぎ、櫛田神社から上須崎までの4キロメートルを走りきそいます。

参考資料
清月俳句歳時記「博多山笠」
http://hai575.info/sa07e/09/09.htm
博多祇園山笠公式サイト「起源七百七十年 博多祇園山笠の歴史」
https://www.hakatayamakasa.com/61840.html
日本大百科全書「円爾」
https://kotobank.jp/word/円爾-448063
山笠ナビ「『舁き山笠』と『飾り山笠』」
http://www.hakata-yamakasa.net/knowledge/history/yamakasa/
山笠ナビ「流舁き(7月14日)」
http://www.hakata-yamakasa.net/yamaksa-seeing/recommend-guide/nagaregaki0714/
| - | 22:56 | comments(0) | trackbacks(0)
標準との差から過去のことを推しはかる


ふたつのおなじようなものがあるとき、いっぽうを標準にして、「標準よりこちらはこれだけ高い」「これだけ大きい」「これだけ広い」などと差を出すことがあります。そして、その差がどのくらいかを見て「こういうことだろう」と推しはかることがあります。

たとえば、人の体温はだいたい36度とされているので、これを標準にします。いっぽう、体温計で体温をはかったところ、37度5分あったとします。すると「微熱があるな。風邪のひきはじめかな」などを推しはかれるわけです。あるいは、39度5分もあったら「こんな高熱が出ているとは、インフルエンザかも」と推しはかれます。

つまり、標準との差は、ものごとを推しはかるための情報になるわけです。

この原理とおなじようなことが、「安定同位体の存在割合の分析」という技術で使われています。

「同位体」というのは、おなじ元素に属していながら、中性子と陽子の個数の和である質量数が異なる原子のこと。そこに「安定」がつくのは、この同位体が安定しているからです。つまり、放射線を出してじょじょに崩壊していく放射性同位体ではなく、放射線を出さないで自分自身は安定している同位体を「安定同位体」といいます。

それぞれの元素の安定同位体については、自然界における平均の比率が定められています。たとえば、酸素の安定同位体については、陽子8個と中性子8個をもつ質量数16のものが海水では99.763パーセントを占めています。いっぽう、陽子8個と中性子9個をもつ質量数17の酸素安定同位体は海水で0.037パーセント。また陽子8個と中性子10個をもつ質量数18の酸素安定同位体は海水で0.2パーセントだけあります。

これらの値から、酸素安定同位体の標準的な割合を出すことができます。たとえば、質量数16の酸素と、質量数18の酸素の比は99.763対0.2。ここから、「99.763分の0.2」つまり「0.0020047513」を標準の値とすることができます。

この値はあくまで標準の値。実際の海では、場所によって、この標準の値とは異なる酸素同位体の割合になっていることもあります。

たとえば、標準の「0.0020047513」よりも、質量数18の酸素の割合が高くなれば「0.002005」といった値が出てくることもありえますし、質量数18の酸素の割合が低くなれば「0.002003」といった値が出てくることもありえます。

つまり、ここでは標準の値との差がどのくらいかを求めているわけです。

その差が求まったら作業終了、ということでは、あまり差の求めがいがありません。その差から、推しはかることができるものがあるからこそ、安定同位体の割合の差を求めるわけです。

では、酸素の安定同位体の割合からなにが推しはかれるかというと、おもなものは海水の温度。さきほどの質量数16の酸素と質量数18の酸素の比でいうと、質量数18の酸素が標準より多いほど、海水温は低くなる傾向にあります。いっぽう、質量数18の酸素が標準よりすくないほど、海水温は高くなる傾向にあります。

研究者たちにとって便利なことに、過去のある特定の時点と場所における安定同位体の割合が、いまに保存されていている場合があります。たとえば、サンゴの化石を調べれば、質量数18の酸素が標準より多い部分やすくない部分があり、その結果により、「この時代の海は冷たかった」とか「温かかった」といった環境が推しはかれるのです。

標準の安定同位体の割合がわかっていること、過去の時点での割合がいま保存されていること、そして割合を分析技術で割りだせること。これらが揃っているため、安定同位体の存在割合の分析により、研究者たちは過去のことを推しはかることができるわけです。

参考資料
同位体研究所「安定同位体の組成を比較するには・・・安定同位体比」
http://www.isotope.sc/cn8/tech_02.html
山形大学理学部地球環境学科 希ガス・放射年代学研究室「海水中の酸素同位体の変動と気候変化」
http://ksgeo.kj.yamagata-u.ac.jp/~kazsan/class/chronology/oxygen-isotopes.html
茅根創「サンゴが語る過去の気候変動」
http://www.metsoc.jp/tenki/pdf/2007/2007_05_0043.pdf
| - | 12:59 | comments(0) | trackbacks(0)
取材の前に「質問」の文を書く


文を書くことで生活している人を「もの書き」といいます。もの書きが書く文にはどんなものがあるでしょうか。まっさきに「原稿」が思いうかばれそうですが、それだけではありますまい。

原稿をつくるときには、たいてい取材、つまり人から話を聴くなどして材料を得る作業がともないます。そして、取材で人から話を聴くためには、もの書きのほうから「これについてはどう思っているんですか」「あのときどんなふうに行動したんですか」といったように尋ねていかなければなりません。

ですので、多くの場合、もの書きは取材のまえに「質問」の文を書くことになります。

ときには、もの書きが「質問」の文をつくらずに取材を迎えることもあります。たとえば、取材対象者に取材の趣旨をひとこと伝えるだけにとどめ、あとは取材の本番でやりとりするなかで話を聴いていくという場合です。また、もの書きでなく編集担当者が質問をつくり、それにそって取材が進む場合もたまにあります。

しかし、そうした場合はむしろすくなく、5割以上の確率でもの書きが質問の文を用意するというのが実際のところではないでしょうか。

書いた質問は、取材本番の何日か前に取材対象者に届けられることがあります。あらかじめ取材対象者が、取材本番でどんなことを尋ねられるか把握しておけば、答を準備して取材に応じることができるからです。

なかには、即興的なやりとりを重視するもの書きもいるかもしれません。しかし、あらかじめ尋ねたいことを伝えておくほうが、まとまった答を取材で得られやすいため、原稿を書くうえでは利点のほうが大きそうです。

こうした場合の質問の文は、当然ながら取材対象者が「読む」もの。記事になる原稿にくらべたら、誤字・脱字や文の乱れの影響は小さいものの、もの書きは相手に伝わる文をつくらなければなりません。

あるもの書きは、こんなことをつぶやいているようです。

「取材がたてつづけにあるものだから、ここのところ書くのは質問の文ばかり。原稿を書く時間がなくなっちゃうよ」

最終形である原稿を書くことも大切ながら、原稿の質をも左右する質問を書くことも大切。重きをどちらにどのくらい置くかは、もの書きのそれぞれの感覚によりけりです。
| - | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0)
「そんなこと言っても、しょうがないじゃないか」

写真作者:tedd okano

「近ごろの若い子たちは、何々ができなくなった」と口にする人がいます。「近ごろの若い子たちは、半田づけすることもできなくなった」「マッチで火をつけることもできなくなった」「きっぷを買うこともできなくなった」といった具合です。

こうしたことを口にする人には、「自分が若いころにはできたのに。若い子たちはこんなこともできなくなるなんて」といった思いがあるのかもしれません。

そういう発言をする人は、「そんなこと言っても、しょうがないじゃないか」といった反応にどのように応えかすでしょうか。

そんなこと言っても、しょうがないのです。半田づけできる若い人があまりいなくなったのであれば、それは社会のなかで半田づけをする機会が減ったからです。おなじように、マッチで火をつける機会や、券売機できっぷを買う機会も減ったのです。

もし「近ごろの若い子たちは……」と言っている人とおなじくらいの頻度で、若い人にもそれをする機会があるならば、半田づけや、マッチの着火や、きっぷ買いの能力で、若い人のほうが劣ってしまう根拠はあるでしょうか。

むしろ、「近ごろの若い子たち」は、そうした行為を上手におこなうための情報を手に入れて、初めておこなうときも器用にこなすかもしれません。そして、器用にその行為をくりかえせば、「近ごろの若い子たちは……」と言っている人たちに引けをとるようなこともないかもしれません。

「近ごろの若い子たちは、何々ができなくなった」という発言が、「時代は変わったものだ」とか「便利な技術が現れたものだ」といったことに感嘆してのことであれば、それは理屈に外れていません。ただし、そういうことを感嘆したいのであれば「時代は変わったね」とか「便利になったよね」とか言えばいいのです。

「近ごろの若い子たちは、何々ができなくなった」という発言が、「そうした技術はいまの若い子たちにも身につけておいてもらわないと困る」と嘆いてのことであれば、なぜ身につけておいてもらわないと困るのかを聞かれる可能性はあります。
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
心臓を動かすのも筋肉


写真作者:ajari

筋肉は、収縮つまり縮まったり、弛緩つまり緩んだりして、動物の体を運動させる器官です。「キン肉マン」や「なかやまきんに君」などの印象からでしょうか、「筋肉」というと厚い胸板や太くてたくましい二の腕が想起されがちです。

しかし、収縮や弛緩によって体を運動させるという点では、特定の臓器を動かすのも筋肉といえます。

「心筋」も筋肉のひとつ。心臓には、体に血液をめぐらせるため拍動して血液を送りだす役割があります。その心臓の収縮おこなっている筋肉が心筋です。具体的には心臓壁の大部分が心筋でできています。

筋肉には、横縞のある筋繊維でなりたつ「横紋筋」と、横縞のない筋繊維で、意志の支配を受けずに動く「平滑筋」があります。心筋はというと、横紋つまり横縞をもつものの、意志によって動くわけではありません。そのため心筋は、横紋筋の要素と、平滑筋の要素のふたつの中間どころに位置づけられる筋とされます。

心筋が動くのは、心臓の右心房ちかくにある「洞結節」とよばれる部分が出す電気刺激を受けてのこと。電気は通り道となる刺激伝導系を伝って、まず心房の筋肉を収縮させます。ついで、電気は房室結節という心臓の中心部まで伝って、プルキンエ繊維という部分までたどりつき、心室の筋肉を収縮させます。つまり、心房が収縮してから、心室が収縮する。このくりかえしで、心臓はどくんどくんと拍動し、血液を全身に送りだしているのです。

心筋が動くには、酸素や栄養が必要です。これら酸素や栄養が送られる血管は冠状動脈とよばれます。しかし、そこに血栓などが生じて血液の循環に支障をきたすと、酸素や栄養が送られなくなるためその部分が壊死してしまいます。この病気が「心筋梗塞」です。

動物が生きているあいだじゅう、基本的に心臓は動きつづけます。いたわるには、心筋梗塞のもととなる血栓をひきおこす動脈硬化などを生じさせないこと。つまり、高血圧、脂質異常症、肥満などの生活習慣病を起こさないようにすることです。

参考資料
ブリタニカ国際大百科事典「心筋」
https://kotobank.jp/word/心筋-81500
百科事典マイペディア「心筋」
https://kotobank.jp/word/心筋-81500
世界大百科事典第2版「心筋」
https://kotobank.jp/word/心筋-81500
フクダ電子「心臓の基礎知識」
https://www.fukuda.co.jp/public/pacemaker/heart2.html

| - | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0)
日本の缶詰の歴史は長崎の篤志家から

写真作者:temaki

サバの缶詰がよく売れているといいます。2017年の年間生産量では、ツナ缶詰を逆転し、過去最高を記録したといいます。

では、魚の缶詰の歴史をたどると、日本では文明開化直後にまでさかのぼれるといいます。

松田雅典(1832-1895)という明治時代に活躍した実業家がいます。松田は長崎にあった長崎府管轄の外国語学校「広運館」で司長をしていた1869(明治2)年、フランス人のレオン・デュリという人物に缶詰を見せられ、作りかたについての手ほどきを受けたとされます。そして、2年後の1871(明治4)年には、日本で初めて缶詰をつくったといいます。

松田雅典の子息で、『日本農学叢書』などの著書もある農学博士の松田秀雄(1885-1970)は、雅典の死後に雅典を追憶した文で、つぎのように述べています。
_____

近年父の古い日記を読んでみると(明治十七年頃から記されているが)殆ど寝食共に工場に於いてして居りその熱心が如何なものであつたかが窺われる。その日記の如きも殆ど九〇パーセントは罐詰のことで埋まつて居る。日清戰爭が始まつてからの父の活動は私としては殆んど涙ぐましいものがある。父は平常から罐詰の内容の如きも出来るだけ充分に入れる事をやかましく云つていた。凡そインチキな事、不正な事を蛇蝎の様に嫌つて居たが戰爭になつてからは特に八釜しく云つていた。(山田永雄「我国罐詰の始祖松田雅典翁」『缶壜詰時報』1951年1月号より)
_____

ことを始める篤志家は、ひたすら情熱を注ぐといいますが、松田雅典の場合もそうだったようです。松田は広運館から長崎県庁勧業課に移ると、缶詰試験場をつくることを提案。1879(明治12)年には県立の缶詰試験場が開かれました。

このとき、松田が缶詰にした中身は、イワシだったといいます。ただし、当時、西洋でイワシの缶詰に使われていたオリーブ油がなかったため、菜種油、ごま油、つばき油など、入手できるさまざまな油を試し、結局つばき油を使うことに決めたといいます。

その後、県立缶詰試験場は1882(明治15)年に廃止に。この試験場を払い下げしたのが松田でした。官職を辞任して、缶詰製造業に専心したといいます。

その後、松田の創始した缶詰製造は、上の松田秀雄の追悼文にもあるように、1894年から1895年の日清戦争、そして1904年から1905年の日露戦争において、兵隊食に役立てられるようになり、需要が拡大していったといいます。

参考資料
ニコニコニュース 2018年6月15日付「生産量が過去最高に!『サバ缶』のメリット・種類ごとの特徴・効果的な食べ方」
http://news.nicovideo.jp/watch/nw3594894
デジタル版 日本人名大辞典+Plus「松田雅典」
https://kotobank.jp/word/松田雅典-1111024
国会図書館サーチ「日本農学叢書 第7」
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000779740-00
池田昌男「缶用表面処理鋼板の産業技術史」
http://sts.kahaku.go.jp/diversity/document/system/pdf/037.pdf
日本製缶協会「缶詰・製缶業界のあゆみ 明治時代」
http://www.seikan-kyoukai.jp/progress/01.html
ウィキペディア「長崎英語学校(旧制)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/長崎英語学校_(旧制)
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ゲノム解析で「縄文人」の姿を浮かびあがらせる


(2018年)7月3日(火)発売の『東京人』(都市出版刊)では、「縄文散歩 Tokyo」という特集が組まれています。

特集のリードには「自然と共生した縄文の思考に、今、一部の哲学者やアーティストらが強い関心を寄せている。未来を切り拓く新たなる思想のヒントは、案外、私たちの足元にあるのかもしれない」とあります。

縄文時代は、日本における考古学上の時代区分のひとつで、縄文土器を作り、使っていた時代を指します。旧石器時代のあとから、弥生時代の始まる前までで、紀元前5世紀から3世紀ごろまでとされます。

特集のうち「核ゲノム解析で見えてきた遺伝的特異性」という記事では、いまの日本人の源流のひとつとされる「縄文人」の特徴を、ゲノム解析という手法で追究する研究の現状を伝えています。

研究は、国立科学博物館、金沢大学、山梨大学、国立遺伝学研究所が共同で進めているもの。国内の遺跡から発掘された縄文人の遺体の一部から、細胞を得て、細胞核のなかにあるゲノム、つまり遺伝子の全体の情報を解析します。これにより、縄文人の体の特徴を探ったり、縄文人がどこから日本列島にきたのかを探ったりします。

実際、国立科学博物館の研究者らは、北海道礼文島の船泊遺跡から、女性の縄文人の大臼歯を得て、核ゲノム解析、そして細胞内のミトコンドリアの核からもゲノム解析をしました。その結果「シミのリスクがある」「肌の色は濃い」「毛髪は細く、縮れている」などの身体の特徴がわかり、この縄文人女性の「復顔」にも成功しました。

また、縄文人と、いま日本列島で生活している本土日本人、アイヌ人、琉球人たちとのゲノムの比較分析をしたところ、縄文人のゲノムはいずれからもかなり孤立していることがわかったといいます。

これまで古代人の姿を追究するためには、出土した古代人の骨の特徴などから推測する「形態学的手法」がとられてきましたが、推測の域を超えられない部分も多くありました。いっぽう、ゲノム解析の手法を使うことにより、より確度の高い根拠をもって、古代人の姿を浮かびあがらせることができるようになってきました。

特集では、鼎談「縄文の思考で未来を切り拓く」や「都内で見るべき土器」「丘陵人をたずねて」などの、縄文人をめぐる記事がふんだんです。

図書出版による『東京人』2018年7月3日発売号のお知らせはこちらです。
http://www.toshishuppan.co.jp/tokyojin.html
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「とんかつ楽天」のカツカレー――カレーまみれのアネクドート(111)
これまでの「カレーまみれのアネクドート」



週7日のうち、曜日限定で献立にのぼる料理があります。「毎日つくるのはたいへん」「限定品として価値を出したい」「材料の仕入れの都合で」など、曜日限定の理由はさまざまあることでしょう。

茨城県水戸市には、曜日限定で「カツカレー」を供するとんかつ屋があります。

水戸駅界隈は、新しいホテルやファミリーレストランなどが並んで整然とした南口と、神社や坂道があって昔ながらの風情を残す北口とで、街の風景がだいぶ異なります。

北口にあたる宮町にある「とんかつ楽天」は、水戸東照宮へとのぼっていく参道のふもと、「宮下銀座商店街」の一角にあります。店内はカウンター席、座敷席、さらに2階にも席がって広め。

楽天の「カツカレー」は火曜と金曜のランチ限定品です。金曜の昼どき、ひなびた雰囲気で人どおりもすくない商店街にくらべて、店内には大勢の客がいます。そしてたいていの客が注文するのは「カツカレー」。曜日限定のカレーが、地元の客たちに定着しているのでしょう。

カレー店のカツカレーのカツといえば、「主」のカレーに対する「従」としての位置づけとなる場合が多いもの。しかし、この店はとんかつの店だけあって、カツカレーのカツは大きく存在感を示しています。

ではいっぽうのカレーソースのほうはというと、こちらも店の気合いが伝わるような味です。カツを主役に引きたてるためのソースではありません。多く使われる香辛料が効いており、カツなしのカレーライスとしてもじゅうぶん味わえるような本格的なソースです。

つまり、この店のカツカレーでは、カツもカレーも「主」の存在となっています。このふたつの「主」に、量多めのライス、千キャベツ、さらに冷奴、お新香、味噌汁といった「従」の材料が揃って、「カツカレー」となっているわけです。

カツカレーを火曜と金曜のみ限定で出しているのは、従来カレー店ではない店が本格的な味のカレーを供するうえで必要または最善の頻度なのかもしれません。客側にとっても、カツもカレーも「主」の、心踊るカツカレーに出合える頻度は、週2回ぐらいがちょうどよいのかもしれません。

「楽天」の食べログ情報はこちらです。
https://tabelog.com/ibaraki/A0801/A080101/8006471/
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医療の問題を経済学の視点で分析し、解決めざす

写真作者:sergio santos

経済学の本質的な目的は、「お金もうけをする」ことではなく、「かぎられた資源を有効に使うこと」にあるといいます。かぎられた資源を有効に使うことによって、人びとの幸せになったり、望みがかなったりすれば、経済学は役立ったことになるでしょう。

世の中のどんな分野でも「資源が無尽蔵にある」ということはめったにありません。このことからすると、多くの分野で経済学が役立てられる可能性があるということになります。

医療の分野に関係する経済学は「医療経済学」とよばれます。医療とは、医術で病気を治すこと。医療の分野で生じる問題を、経済学の見かたで分析したり研究したりする学問といえます。ただし、医療経済学では、純粋な医療だけでなく、保健や健康福祉といった病気になる前の段階における問題も扱います。

また、たんに分析したり研究したりするだけでなく、問題の解決の方法をうちたてることも研究者たちの視野に入っています。医学・医療が人びとと直接的に接して問題を解決するものだとすれば、医療経済学は社会の環境をよくしたり、医療のしかたやありかたを検討したりすることで問題の解決をめざそうとするものといえます。

意外にも医療経済学が経済学の一分野として確立したのは1970年代に入ってからのことといいます。近年になって医療経済学が存在感を増した背景には、医療費が増えて国家の財政を逼迫するようになったこと、また、医薬品や医療機器の産業が大規模になったことなどがありそうです。

米国の経済学者だったケネス・アロー(1921-2017)は、医療経済学の経済学としての特殊性を、患者と医療従事者のあいだで情報の非対称性があること、けがや病気の発生や経過に不確実性があること、また、外部性があることなどをあげてます。

「外部性がある」というのは、医療や健康福祉が当事者ではない人にも影響するというもの。たとえば、感染症の治療がうまくいくと、感染症になっていない人びとの感染症リスクも下げられる、といったものです。

経済学の成果は、医学・医療や工学などとちがって、目に見えるようなものがすくないため、実感がわきづらいもの。しかし、成果が出れば出るほど、かぎられた資源を有効に使うことにつながっていきます。それもなかなか実感できませんが。

参考資料
ブリタニカ国際大百科事典「医療経済学」
https://kotobank.jp/word/医療経済学-32469
世界大百科事典「医療経済学」
https://kotobank.jp/word/医療経済学-32469
国際保健用語集「医療経済学」
https://www.weblio.jp/content/医療経済学
安川文朗「医療経済学1 医療経済学とは」
https://yasukawafumiaki.weebly.com/uploads/2/6/5/5/26557135/teikyo1.5.12.pdf
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