科学技術のアネクドート

校正作業、メール本文欄記入式をあきらめて校正紙記入式に



本づくりでは、本が完成するよりも前の段階で、文字や内容に誤りがないかを確かめ、誤りをなおすための指示をする作業をします。一般的には、原稿段階でのこの作業は「原稿確認」と、また、校正刷段階でのこの作業は「校正」などとよばれます。

校正の作業を、一般的には編集者や著者、そして場合によっては校正者という専門職の人がおこないます。

情報の電子化が進んだ今日日。本の校正刷でも紙に印刷せず、コンピュータ上の書類といえるPDF(Portable Document Format)形式の電子ファイルで表示して、そこで文字や内容の誤りを見ていくといった作業も多くなりました。

しかし、PDF形式のファイルで校正作業をおこなうとき、朱入れをどうするかがしばしば厄介な問題になります。

ある著者は、本の校正刷をPDF形式の電子ファイルで出版社から送信してもらったといいます。そして「原稿を完成度高く書いたから、修正希望を伝える分量は多くないだろう」と考えたこの著者は、「メールの本文の欄に、修正希望を記していこう」と決めました。

この場合、たとえばつぎのような伝えかたになります。
_____

13ページ、5行目
恐竜たちの特徴や、発見された経緯などを迫力ある絵と分かりやすい文章で紹介する。

恐竜たちの特徴や、発見された経緯などを迫力ある絵としっかりした説明の文章で紹介する。
_____

つまり、該当するページ番号や行数番号を書き、文の単位、あるいは節の単位、最低でも句の単位で、どう改めるのかを、「改める前」と「改めた後」を記すわけです。

この著者は、「原稿を完成度高く書いたから、修正希望を伝える分量は多くないだろう」と、いわば高をくくっていました。たとえば、200ページの本として、4ページに1か所の修正希望があれば、上のような表記を50個すればよいことになります。

しかし、この計算は大きく外れました。最初の10ページをこの方法でおこなったところ、修正希望は100箇所にもなったといいます。もし、この方式を最後まで貫けば、修正希望を上のように記す作業を2000箇所にわたりしなければならないことになります。

たしかに、PDF形式のファイルでは、たいてい文字のコピーとペーストができるので、キーボードを使ってPDFファイル上の文字をメールの本文欄に転記する手間はありません。しかし、これほど数が膨大になると、「この1文は修正が必要だからコピー・アンド・ペーストしないと」「あれ、つぎの1文も修正が必要だ。コピー・アンド・ペースト」「おいおい、つぎの1文も修正が必要なのかよ……」となり、けっきょく1ページ分の文を丸まるコピー・アンド・ペーストして、「改める前」と「改めた後」をメール本文欄に記していかなければならなくなります。

どうして、予想していたよりもはるかに多くの修正希望が生じてしまうのか。その理由のひとつには「用字・用語の統一にともない、よく使われている基本的な語彙を改めなければならないから」といったことがあるようです。前出の著者はうらめしそうにこう言います。

「『作る』とするか『つくる』とするか。『作る』で統一しようとしたんです。ところが原稿を書いたときには『つくる』のほうをよく使っていたらしく、『つくる』が現れるごとに『作る』に改めるよう、メールの本文欄に修正希望を記していきました。すると、途中から『つくる』だらけになり、ほぼ丸まる1ページ分の文を、メール本文欄にコピー・アンド・ペーストして、修正希望の文を記していくことに。とほほ……」

いつしかこの著者は、メールの本文欄で「つくる」を「作る」に改める指示を記す作業だけに気もちを奪われ、ほかの確かめるべき誤字・脱字などを拾うことに集中できなくなってしまったといいます。

「10ページやったところで、この方法はあきらめました。PDFファイルを紙に印刷して、それを校正紙として赤ペンで朱入れしていく方法に切りかえました」

デジタルの文字群をコンピュータ上のメール本文欄やテキスト・エディタにコピー・アンド・ペーストして、修正希望を記すという方式での校正が効率的であるという場合は、そう多くないのかもしれません。

あるとすれば、もともと校正する記事がウェブニュースなどの電子媒体であるときや、あるいは本づくりの最後の段階で念のために校正刷を見ておくときぐらいかもしれません。そしてたいていは、「改める必要がある箇所は、そう多くないだろう」といった予想は外れるものです。

なお、PDF形式のファイルでは、アクロバットなどのソフトウェアを使えば、画面上の文字に対して「削除」や「文字挿入」などの「注釈」をつけていくことができます。この機能を積極的に使う人もいれば、見逃してしまうおそれがあるため使わうのに消極的である人もいるもよう。

| - | 21:32 | comments(0) | trackbacks(0)
「森林の“厄介者”が生み出した新たな食材ビジネス」


ウェブニュース「JBpress」で、きょう(2018年)4月20日(金)「森林の“厄介者”が生み出した新たな食材ビジネス 美味しいタケノコと悩ましきタケ(後篇)」という記事が配信されました。

日本の風景には竹林がよくにあうと感じる人も多いでしょうか。しかし、江戸時代より前から、山やまが竹林に覆われていたというわけではなかったようです。日本のタケで主流となっているモウソウチクは18世紀前半の江戸時代、いまの京都府または鹿児島県から、人の手を介して入ってきたとされています。

モウソウチクは、ほかの植物をも侵食する、繁殖力の強い植物であるため、その後、日本で広がっていきました。タケノコのほか竹材として多く利用されたころはまだ、竹林の広がりすぎはあまり問題視されなかったものの、輸入タケノコが増えたり竹材の利用が減ったりしてタケが資源として使われなってくると、竹林の管理が届かなくなり放っておかれるようになりました。

タケの地下茎は地中をどんどん這っていき、そこからタケノコがどんどん芽生えるため、なにもしなければこれからもタケは増えていくばかりです。

なにもしなくてもどんどんタケノコが生えてくるわけです。そして、そのタケノコは食べることができ、食材として売ればお金にもなるわけです。

生のタケノコは何日も放っておくと固くなってしまいます。しかし、加工してメンマのような食品にしておけば、しばらく経ってからも食べることができます。

こうしたことから、いま、生えてくるタケノコを切って、煮て、乾かして「乾タケノコ」にして出荷するという農法が、日本の一部でおこなわれています。JBpressの記事では、愛媛県大洲市で乾タケノコづくりを営む第一人者に話を聞いています。

大洲市をはじめ、愛媛県でつくられている乾タケノコの納入先の大きなひとつは「餃子の王将」の王将フードサービス。ラーメン用のメンマに愛媛県産の乾タケノコが使われているといいます。

いまメンマ向けのタケノコのほとんどは中国をはじめとする海外から輸出されたもの。しかし、中国ではほかの作物への転作が進み、メンマ用タケノコの生産量が落ちてきているともいわれます。

乾タケノコの用途はメンマ以外にも、チャーハンの具材やお菓子など、さまざま考えられそう。需要と供給の均衡がとれれば、国産の乾タケノコがより食べられるようになり、また、放置竹林の問題にも解決の糸口が見いだせるかもしれません。

JBpressの記事「森林の“厄介者”が生み出した新たな食材ビジネス 美味しいタケノコと悩ましきタケ(後篇)」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52901

前篇では、日本におけるタケノコやタケの歴史をたどっています。「和食で人気の筍、意外と新しかった日本への伝来」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52827

記事の取材と執筆をしました。
| - | 15:21 | comments(0) | trackbacks(0)
「工学」には設計がともない「技術」には具現化がともなう

写真作者:aussiejeff

学校などの場での教育では「STEAM教育」の大切さがよくいわれるようになりました。“STEAM”は、Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Arts(芸術)、Mathematics(数学)の頭文字をとったもの。これらの分野を重点的かつ融合的に教育することで、児童や生徒たちの批判的思考力や課題解決力を養おうとするものです。

「科学」は大まかにいえば「理科」のこと。「数学」は数についての学問分野。「芸術」は美を創造したり表現したりするための学問分野。これらは多くの人びとに「だいたいこんな感じ」という印象をもたれることでしょう。

しかし、「技術」と「工学」については「ちがいがどこにあるのかわからない」と思いいだく人も多いのではないでしょうか。外来語で表せば「テクノロジー」と「エンジニアリング」。ますますちがいがわからなくなるかもしれません。

「レゴ・エンジニアリング」というサイトには、マサチューセッツ工科大学で生命科学と電気工学の学位をとり、米国退役軍人省で医工学者として25年の経歴をもってきたジョナサン・ディーツが、「工学と技術のちがいはなにか」という随筆を書いています。

「工学は、デザインの過程であり、物質についての知識や、それらがどのように振るまうか予測するモデル、そして革新的な思考を統合させるものである。それにより、人類が必要な解決策が、頻度高く革新的に創られる」

「対照的に、技術はものをつくる過程として考えることで理解は進むかもしれない。そこでは、道具、物質、プロセス技能といったものが使われ、工学者(あるいは芸術家や設計者のようなデザインの職業者)がつくる計画に物理的実在をもたらす」

そして、例として、建てもののもち主が雨水浸透緑地帯を組みこんだオフィスビルを建てようと考えている場合をあげます。工学者は、典型的な降雨から時間あたりの水量を計算したりして設計するのに対し、技術者はそのしくみを構築するものであるとしています。

これらからすると、工学あるいは工学者は設計をともなうものであり、技術あるいは技術者はものごとの具現化をともなうものであるといえそうです。ものごとが実現したり、課題が解決されたりするときの上流には工学的要素や工学者が存在し、下流には技術的要素や技術者が存在するといってもよいかもしれません。

参考資料
Jonathan-Dietz “What is the difference between engineering and technology?”
http://www.legoengineering.com/what-is-the-difference-between-engineering-and-technology/
| - | 23:25 | comments(0) | trackbacks(0)
「組織」が集まって「器官」、「器官」の種類のなかに「臓器」

写真作者:Eric Villalba

からだを構成する、ある程度のまとまりを指して、「器官」や「臓器」や「組織」などといいます。「器官臓器組織」などと並べると、かつてあった雑誌『蛋白質核酸酵素』の誌名みたいです。それぞれ、なにを意味しているのでしょうか。

「器官」と「臓器」については、使われている漢字に注目すると、関係性が見えてきます。

どちらも「器」が使われていますが、「器官」は1文字目であるいっぽう、「臓器」は2文字目。「臓器」という熟語を分解すると「“臓”の“器官”」といった解釈ができます。

すると「臓」とはなんなのかが問題となりますが、これは「腸」と書く「はらわた」ということばに近いもよう。国語辞典の「臓」の項目には「はらわた」とあります。「はらわた」とは、「大腸」や「小腸」などの総称です。また「五臓」ということばは「肝臓」「心臓」「脾臓」「肺臓」「腎臓」のことを指します。

これらから、「臓器」は、とくに、大腸や小腸などの腹腔や、心臓や肺臓などの胸腔などにある器官を指すものといえそうです。

つまり、「臓器」と「器官」では、「器官」のほうがより多種類なものを指し、「臓器」はその器官のなかでの限られた種類のものを指すことになります。どちらかといえばですが。

では、「組織」はというと、これは国語辞典によっては、明確に「さらに集まって器官を構成する」とあります。つまり、「組織」は「器官」の一部あるいは構成要素といえるわけです。

以上をまとめると、「『組織』が集まると『器官』になるが、その『器官』のうち、とりわけ腹腔や胸腔などにあるものは『臓器』とよばれることがある」といったことになります。

なお、英語では「組織」は“tissue”、「器官」は“organ”、「臓器」は“internal organs”などといいます。

参考資料
デジタル大辞泉「器官」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/50756/meaning/m2u/器官/
デジタル大辞泉「臓器」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/128231/meaning/m2u/臓器/
デジタル大辞泉「組織」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/130515/meaning/m0u/組織/
| - | 19:52 | comments(0) | trackbacks(0)
子育て中の親ツバメは夜、巣の近くで寝る

写真作者:coniferconifer

今年も夏が近づき、ツバメが子育てに励む季節になりました。

ツバメは渡り鳥。春になると南のほうから北のほうへと渡り、そこで子どもを生み育て、そして秋にまた南のほうと渡っていきます。子どもを生み育てる「北のほう」が、日本列島にあたるわけです。日本には人里や人も多いため、天敵のヘビなどから襲われにくく、ツバメにとっては日本は好都合な土地かもしれません。

昼間、親ツバメはがむしゃらなまでに餌を取ってきては子ツバメたちにあたえつづけます。子ツバメのいる巣から離れていることが多いわけです。では、子育て期間の夜には、親ツバメはどこにいるのでしょうか。

卵から孵って間もないころは、まだ子ツバメは毛が生えていないため、体温が奪われがち。そこで親ツバメも夜に巣に入り、子ツバメたちを温めるといいます。

しかし、餌をあたえられた子ツバメの成長は著しいもの。だんだんと大きくなっていくと、親ツバメが巣に入れないくらい手狭になります。

でも、この段階までいくと、子ツバメの体には毛が生えていて、親に体を温めてもらう必要はなくなります。

そうなると、親は子ツバメのいる巣のけっこう近いところで夜は寝て過ごすようです。

人間でいったら、子どもが大きくなって家が狭くなり、親は家の外に出ざるをえなくなり、庭先に布団を敷いて寝るようなものでしょうか……。いいえ、そういう悲しい状況ではないようです。

卵を生むころになると、巣の近くで寝るようになる親ツバメは多いようです。そんな親ツバメからしてみれば、子育て中も巣の近くで夜を寝て過ごすというのは普通の生活といえそうです。なかには、子ツバメを生む前後のころ、子ツバメ用の巣に入って寝る親ツバメもいるそうではありますが……。

子ツバメに巣立ってもらうために、親ツバメは献身的なまでに毎日を過ごす。ツバメにとってみれば、そのように生きることは体に叩き込まれたしくみと化しているわけです。しかし、そうした姿をはたから人間が見ると、人間の目には愛おしく感じられるものです。

参考資料
大阪市立自然史博物館「大阪府下のツバメの集団ねぐら」
http://www.mus-nh.city.osaka.jp/wada/Roost/swallowroost.html
Yahoo!知恵袋「ツバメについてです。親鳥は夜はヒナと一緒に巣の中で寝るんですか?」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13130307173
| - | 22:48 | comments(0) | trackbacks(0)
ゴルフの素振りは見かけるが、相撲の立ちあいのしぐさは見かけない


駅のホームで、ゴルフの素振りのようなしぐさをする人がいます。スマートフォンが普及したため、電車が来るまでの定番は「スマホいじり」になってはいる化もしれません。しかし、いまも傘が必要な天候の日などには、パターがわりなのかアイアンがわりなのか、傘を両手に持って振っている人はいます。

ゴルフの素振りほど多くないものの、野球の投手が球を投げるときのように、片手を肩のところまで上げてから前のほうへ下ろすようなしぐさをする人もたまにいます。たいていは、斜め上の角度から投げおろす「スリークォーター投法」くらいの投げかたです。小林繁や仁科時成のような「下手投げ」のしぐさをする人はさすがに見かけません……。

こうした運動競技のしぐさを駅のホームでする人の多くは、実際その競技をしているのでしょう。そして、電車を待っているとき、つい手持ち無沙汰で、体が動くのでしょう。まわりの人に迷惑をかけるほどの行為は慎むべきでしょうが、体が動くということは基本的には健康でよいものといえます。

ゴルフの素振りや投手の投球のまねをする人がいるのであれば、ほかの運動競技をしている人がその競技のからだの動きをしたとしても、理論的には不思議ではありません。

たとえば、水泳をしている人が、駅のホームで首を前かがみぎみにし、両方の腕と手を回しはじめたとします。この人はクロールで泳ぐ自分の腕や手の動かしかたをホーム上で確かめているのでしょう。さらに、両手を同時にまわしたり、両方の手のひらを合わせたあと手を離して水平に回したりしていたら、この人は個人メドレーの泳ぎしているのでしょうか。

また、相撲をとっている人は、駅のホームで四股を踏むかもしれません。さらに、立ちあいをもっとよくしたいと考えている人は、四股を踏んだあと両拳をホームの地面についてから、前へ前へとすり足で前進するかもしれません。

柔道をしている人は、駅のホームに背中から倒れこみ、そして両方の手のひらをホームの地面にぴしゃんと叩くかもしれません。その人は、受け身の練習をとにかくどんな場所でもしたかったのでしょう。

しかし、水泳のクロールも、相撲の立ちあいも、柔道の受け身も、駅のプラットフォームでしている人を見ることはめったにありません。四股を踏む人はたまにいるかもしれませんが……。

どうして、ゴルフの素振りや投手の投球のまねをする人はホーム上にいて、ほかの運動競技のしぐさをする人はそう多くはないのでしょうか。

競技人口には競技によって多さ・少なさがあるもの。ゴルフや野球などの競技は、そうしたしぐさをしても、自分で「ここでやるのは場ちがいだ」と感じたり、まわりから「この人おかしいのでは」と思われたりしないくらいに浸透しているということでしょうか。べつの言い方をすれば、駅の風景に溶けこむくらい、そうしたからだの動きを人びとは見なれているということでしょうか。
| - | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0)
「椿の湯」に「十年の汗を道後の温泉に洗へ」



愛媛・道後湯之町にある道後温泉には三つの共同浴場があります。1894(明治27)年より建てられた趣のある「本館」はよく知られるもの。いっぽう、最近では2017年9月に「飛鳥の湯」が完成し話題をよびました。

もう一つあるのが、飛鳥の湯のすぐとなりにある「椿の湯」。1953(昭和28)年に建てられ、1984(昭和59)年に改築されました。さらに、2017年12月に改修されています。

伝統の「本館」、真新しい「飛鳥の湯」にくらべると、やや影の薄い存在になってしまったものの、三つの館のなかではもっとも安い400円で入浴ができます(ロッカー使用量がべつに10円かかります)。

男湯の浴室の大理石でできた湯口に刻まれているのは、松山市出身の俳人・正岡子規のつぎの句。

「十年の汗を道後の温泉(ゆ)に洗へ」

野球を愛していた正岡子規。「草野球をしつづけて10年も経験を積んだら、道後温泉で汗を洗ってさっぱりしなされ」とでも言わんとしているのかというと、そうではないようです。

この句は1896(明治29)年、子規が30歳のときに詠んだもの。子規の2年後輩で、おなじ松山出身で言語学者の小川尚義(1869-1947)が、台湾から帰国しました。小川は同年、東京文科大学を卒業後、台湾総督府学務部につとめました。

この句が記されている『寒山落木』には、句の前につぎのような文もあります。

「小川氏大學を卒へて帰國するよし聞きて申遣す」

日本に帰ってくる小川に対して、道後温泉に入って「十年の汗」を洗え、とことばを贈っているわけです。子規と小川が親しくなったのは1887(明治20)年。この年、小川は第一高等中学校予科に入学しています。1889(明治22)年には脚気を患って休学したことも。大学の卒業までに至るおよそ10年の小川の労苦をねぎらったようにもとれます。

子規自身も、この句を詠む前年の1895(明治28)年、帰国途上船中で喀血して入院するなどし、病を抱える身でした。句を詠んだ年には脊椎カリエスと診断されています。

「10年かけてかいた汗」でなくとも、子規から疲れた体を「温泉に洗へ」と言われたと考えると、ちょっと癒やされた気もちになるでしょうか。温泉はぽかぽかですから、夏場などは湯あがりに結局また汗をかくことになりますが……。

参考資料
吟行ナビえひめ「十年の汗を道後の温泉尓洗へ」
https://www.iyokannet.jp/ginkou/spot/detail/kuhi_id/554
愛媛県生涯学習センター「データベース『えひめの記憶』」
http://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:1/5/view/1017
正岡子規会「正岡子規 略年譜」
https://matsuyamashikikai.jimdo.com/正岡子規の略年譜/
WebM旅「十年の汗を道後の温泉に洗へ」
http://www.webmtabi.jp/201009/famous/mshm29026402.html
ウィキペディア「小川尚義」
https://ja.wikipedia.org/wiki/小川尚義

| - | 16:13 | comments(0) | trackbacks(0)
青で「出発」赤茶で「到着」、長距離ながら疲れづらく


成田空港内の格安航空会社による航空機の出発と到着の出入口がある「第3ターミナル」が開業したのは2015年4月。3年が経ちます。

京成電鉄やJRの成田空港駅から第3ターミナルまでは数100メートルあります。駅により近い第2ターミナルと第3ターミナルのあいだに連絡バスも通っているようですが、かなりの人は徒歩で第3ターミナルへ向かいます。

よく使っている人にとってはあたりまえの光景になっているかもしれませんが、第2ターミナルから第3ターミナルまでの通路の地面は、陸上競技場の競走路とおなじ仕様です。もちろん陸上競技場とちがってS字の曲線などもありますが、最近の陸上競技場の競走路とおなじ青色の舗装と、かつての陸上競技場とおなじ茶色の舗装がされています。



この競走路的通路の設計に携わったのはパーティー・クリエティブ。第3ターミナル全体の建築事業を、成田国際空港、日建設計、無印良品とともにおこない、第3ターミナルは2015年度のグッドデザイン賞を受賞しています。

競走路的通路を紹介する記事によると、舗装の色にも意味があるのだそう。青色の舗装は出発口に向けたものですが、空の色に近い色で出発が象徴されているといいます。逆に到着口からの赤茶色の舗装は地球色を意識したものといいます。もし、出発口への色が赤茶色で、到着口からの色が青色だったら、利用者は「なにかがへんだな」と違和感を覚えていたかもしれません。

グッドデザイン賞の資料によると、競走路には「足の負担を軽減する機能」も備えさせたといいます。実際、歩いてみるとアスファルトやコンクリートの地面とちがって弾力性があります。本物の競走路とおなじ素材か、それに近い素材が使われているのでしょう。疲れづらい。



通路の途中には、天井にも「Terminal3 110m」などといった情報が視覚で認識できるようになっています。



いよいよ第3ターミナルに入ると、レーンが4つに増え、直線路と曲線路が融合するような意匠に。海外旅行者などにも斬新に感じられることでしょう。

ただし、この青い競走路的通路の先にある保安検査場には、時間帯によって長蛇の列が。第3ターミナルへの到着が、航空機の出発時刻直前になると、保安検査場から搭乗口までのかなり長い距離を選手よろしく駆けぬけていかなければならないため余裕をもった行動が大切になります。

参考資料
マイナビニュース 2015年4月8日付「成田空港第3ターミナルに陸上トラックが現れた理由は? クリエイティブラボPARTY・伊藤直樹が仕掛けた『空港のデザイン』」
https://news.mynavi.jp/article/20150408-lcc/
グッドデザイン賞2015「空港[成田国際空港 第3旅客ターミナルビル]」
http://www.g-mark.org/award/describe/42995
| - | 18:45 | comments(0) | trackbacks(0)
路面に投影して注目される


ものの影をなにかの表面に映すと、光の部分と影の部分の明るさの対比によって模様が生じます。夕日が沈みかけているときに砂浜に立てば、自分の姿が影となって見えるでしょう。

この光と影の物理的なしくみによる模様を意図的に映しだす技術もあります。しかも、歩道などの路面に。その装置は「路面投影機」とか「路面プロジェクタ」とかよばれています。

路面投影機の製造業が用途として紹介しているのは、一般的に道路上の「安全性」高めるためというもの。たとえば、鹿島道路という企業は、路面投影で「この先電線共同溝工事中 注意!」という文字と工事作業者のピクトグラムを光の部分で表現した路上投影を写真で示し、「夜間における歩行者の注意喚起への認識度を向上させる事ができます」と説明しています。

同社製の路面投影機の照明には、最近では発光ダイオードが使われているのだそう。影と光のもととなるスライドは「現場に即したデザインが可能」とのこと。また「カラー化も可能」とのこと。

投影機という装置そのものは1927年にドイツのリーゼカングという企業に発明されたもの。歴史は古いものがあります。

その投影先を路面にしたという点に、ひとつの発想があるといえましょう。人はどこを向いて歩いているかといったら、「真正面を見ながら」という人はさほど多くなさそうです。むしろ「前方ななめ下を見ながら」という人のほうが多いでしょう。地面のうえを歩いていれば、その地面の先になにがあるかを注目しようとするものです。

それにつけても、公道の路面上に店などの看板を掲げるのとおなじような目的で路面投影をしてもよいものなのでしょうか……。すくなくとも、路面をペンキで塗るような行為にくらべれば許されているようです。人は、塗料や顔料による模様よりも、光と影による模様のほうが慣れているということでしょうか……。この手の路面投影は一般的に、許可を得ているものものか、黙認されているだけのものなのか……。

参考資料
鹿島道路「路面プロジェクタ KRスポット」
http://www.kajimaroad.co.jp/technology/detail.php?pcat=2&cat=30&seq=104
日刊建設工業新聞 2017年8月2日「鹿島道路/路面への画像照射による安全喚起装置改良/省エネ・長寿命化し設置容易に」
http://www.decn.co.jp/?p=93183
ウィキペディア「オーバーヘッドプロジェクタ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/オーバーヘッドプロジェクタ
| - | 18:15 | comments(0) | trackbacks(0)
嫌気がさしているのに売られている商品はそれだけ

写真作者:Luca Sartoni

ドラッグストアなどには、衛生や健康にかかわる商品がたくさん売られています。そして、そうした商品のいくつかには、「マイナスイオン」が含まれていることを思わせるような表示のものがあります。

たとえば、髪を洗うときに使う、とあるブラシの商品には、つぎのような文言が書かれています。

「ブラシ部に練り込んだ、天然鉱石が放射するマイナスイオンの効果で、髪と地肌をリフレッシュします」

「マイナスイオン」は国語辞典にも載っています。「イオンの一種とされる物質。森林中や滝の水しぶきなどに多く含まれ、健康によいとされるが、科学的根拠はない」とあります。さらに「学術用語ではなく、統一された定義をもたない。陰イオンとは異なる」といった補説もあります。

商品の紹介文によると、このブラシは、天然鉱石が「マイナスイオン」を「放射」し、それにより髪と地肌を「リフレッシュ」するものだそうです。

しかし、国語辞典にも載っているとおり、「マイナスイオン」の健康への効果については科学的根拠がありません。

明治大学科学コミュニケーション研究所の「疑似科学とされるものの科学性評定サイト」には、「マイナスイオン」の効果を科学的に検証した研究の結果が紹介されています。

2013年に『BMCサイキアトリ』という雑誌に掲載された「空気イオンと雰囲気結果:調査とメタ分析」という論文については、「マイナスイオンを浴びた場合の効果として、季節性気分障害患者に対する抑うつ作用は認められたが、(健康なヒトを含んだ他の対象への)不安(anxiety)、気分(mood)、リラクゼーション(relaxation)や睡眠(sleep)、個人的な快適さ(personal comfort)などの効果に関しては首尾一貫したデータが得られておらず、効果を認めるのに十分な根拠はないとしている」とあります。

また、おなじく2013年に『ジャーナル・オブ・ネガティブ・リザルト・イン・バイオメディシン』に掲載された「空気イオンと呼吸器機能の結果 包括的な調査」という論文については、「マイナスイオンによる身体的な効果(たとえば代謝機能、痛みの緩和、喘息症状など)はないと結論付けている」としています。

科学的に「マイナスイオン」の効果は認められていないに等しい状況ながら、街なかのドラッグストアには「マイナスイオン」の効果を思わせる商品が置いてあるわけです。

商品を買う人の選びかたはさまざまです。「マイナスイオン」という文言に惹かれて買う人がいるのも事実でしょう。

いっぽうで、「マイナスイオン」という文言があると嫌気がさし、買うことを避ける人がいるのもまた事実でしょう。そして、「科学的に認められていない効果を標榜するかのような商品が嫌な人は、買わなければいい」といった考えかたはなりたつのでしょう。

嫌気がさす人たちにとっての問題は、店先におなじ用途の商品が1種類しか置いておらず、それが「マイナスイオン」を謳った商品である場合があるということです。

もし、「マイナスイオン」が本当にその商品から放出されているとしても、おそらく体に対してよい効果もなければ、悪い影響もないのでしょう。「薬にも毒にもならない」わけです。

だれが「マイナスイオン」を謳う商品を買ったとしても、「マイナスイオン」による効果はないとして、もともとの「ブラシ」の役割は果たすでしょう。なので、「マイナスイオン」に嫌気がさす人がこの商品を買えば、「ブラシする」という目的はかなうことにはなります。

しかし、嫌気がさす人のなかには、「『マイナスイオン』と書かれてある商品はとにかく嫌だから買わない」という人もいるはずです。そうなると、要求を満たす商品は売っていても、それを買わずに店を出ることになります。

店が「マイナスイオン」と書かれてある商品を置くと、「嫌気がさす人たちに買われない」といった損が生じるはずです。しかし、それにもかかわらずそうした商品が置かれているということは、「嫌気がさす人に買われない」以上に、「信じている人たちに買われる」あるいは「嫌気がさすでも信じるでもない人びとに買われる」といった得のほうがやはり大きいという実状があるのではないでしょうか。

参考資料
デジタル大辞泉「マイナスイオン」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/206888/meaning/m0u/マイナスイオン/
明治大学科学コミュニケーション研究所 擬似科学とされるものの科学性評定サイト「マイナスイオン」
http://www.sciencecomlabo.jp/health_goods/negative_ion.html
| - | 16:49 | comments(0) | trackbacks(0)
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