科学技術のアネクドート

PFASは「ペルまたはポリに、フルオロな、アルキルの、化合物」

画像作者:fdecomite

炭素原子(C)とフッ素原子(F)が結びついている化合物を「有機フッ素化合物」といいます。「有機」にはいくつかの意味がありますが、「炭素原子がふくまれている」という意味が基本にあります。

つまり、炭素原子とフッ素原子が結ばれている部分をふくんでいれば、それは有機フッ素化合物です。このような化合物の種類は多種あります。

その多種の有機フッ素化合物のうち、すべてではありませんが、かなりの種類をなすのが、「ペルフルオロアルキル化合物およびポリフルオロアルキル化合物」(PFAS:Per and Poly FluoroAlkyl Substances)です。つまり、「有機フッ素化合物のうちのかなりの種類がPFASである」といえます。

「ペルフルオロアルキル化合物」は、「ペル」「フルオロ」「アルキル」「化合物」に分けられます。「ペルに、フルオロな、アルキルの、化合物」といったところ。「ペル」(Per-)は「すべて」という意味。また「フルオロ」は「フッ素の基」の意味ですが、ここでは「フッ素化された」つまり「炭素原子と結ばれている水素原子がフッ素に置きかわった」の意味と考えてよいでしょう。つぎの「アルキル」は「炭素原子n個と水素原子2n+1個からなる基がふくまれる」の意味です。アルキルの定義がそういったものなのです。

まとめると、「ペルフルオロアルキル化合物」は「すべて(ペル)が、フッ素化された(フルオロ)、炭素原子n個と水素原子2n+1個からなる基(アルキル)の、化合物」ということになります。

「ポリフルオロアルキル化合物」のほうは、「ポリ」を冠しています。「ポリ」(Poly-)は「いくつかの」を意味します。上の「ペル」のほうは炭素原子と結ばれている水素原子が「すべて」フッ素に置きかわったことを指していましたが、こちらの「ポリ」のほうは、炭素原子と結ばれている水素原子の「いくつか」がフッ素に置きかわっているわけです。

まとめると、「ポリフルオロアルキル化合物」は、「いくつか(ポリ)が、フッ素化された(フルオロ)、炭素原子n個と水素原子2n+1個からなる基(アルキル)の、化合物」ということになります。

ことばのなりたちを知ったうえで、PFASの定義を見てみます。つぎの定義は欧州化学機関によるものです。

「PFASとは、すくなくとも一つの完全にフッ素化されたメチル(CH3-)またはメチレン(-CH2-)炭素原子(H/Cl/Br/I原子が結合していない)をふくむフッ素化物質」

この定義にある「メチル」とは、炭素原子1個と水素原子3個で表される基のことであり、上にある「アルキル」つまり「炭素原子n個と水素原子2n+1個からなる基」のひとつです。いっぽう「メチレン」とは、炭素原子1個と水素原子2個で表される基のことであり、「アルキル」の「炭素原子n個と水素原子2n+1個からなる基」という意味からすると、水素原子1個が過不足しています。実際、メチレンはアルキルにふくまれませんが、PFASの定義としては「すくなくとも一つの完全にフッ素化されたメチル(CH3-)またはメチレン(-CH2-)炭素原子(H/Cl/Br/I原子が結合していない)をふくむフッ素化物質」となっています。

参考資料
日本フルオロケミカルプロダクト協議会 2022年4月20日・25日「PFASの規制化動向について」
https://cfcpj.jp/pdf/Lecture_materials_20220420.pdf
東京都保健医療局「PFAS(ピーファス)に関する電話相談窓口 物質の特徴」
https://www.hokeniryo.metro.tokyo.lg.jp/kankyo/sonota/pfas/qa_tokucho.html
デジタル大辞泉「PFAS」
https://kotobank.jp/word/PFAS-2131507
化学辞典 第2版「フルオロ」
https://kotobank.jp/word/フルオロ-2127133
日本大百科全書「フッ素化」
https://kotobank.jp/word/フッ素化-1406307
ミライアルコラム 2020年12月14日「第3回 フッ素樹脂の特徴と用途」
https://www.miraial.co.jp/column/106/
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書評『源氏将軍断絶』
きのう(2024年)3月26日のこのブログで書評した本とおなじ著者による一冊です。

『源氏将軍断絶 なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか』酒井孝一著 PHP新書 2020年 320ページ​


鎌倉時代は12世紀終盤から1333年までのおよそ150年間。いっぽう「源氏」が将軍の地位にいたのは、源頼朝(1147-1199)の6年6か月、源頼家(1182-1204)の1年2か月、源実朝(1192-1219)の15年4か月のみ。実朝の突然の死と、その暗殺者である頼家の子の公暁(1200-1219)が暗殺直後に殺されたことをもって、頼朝の血は途絶えた。

本書は、「なぜ実朝は暗殺されたのか」や「そもそも源氏将軍とは何だったのか」といった歴史上の疑問に迫るもの。著者は、『源実朝』の著書をもつ、日本中世史を専攻とする研究者。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の時代考証を担当した。

基本的に、頼朝の初代将軍就任から、二代頼家の絶命、そして三代実朝の絶命までを、時系列でたどっていく。

本書の最高潮を、鶴岡八幡宮における公卿の実朝暗殺の場面と捉えたい。暗殺の場面を描写した歴史的資料『吾妻鏡』と『愚管抄』を並列させて、共通点や相違点を浮かびあがらせ、暗殺の前・瞬間・後になにが起きたのかを伝えようとする。公暁にとって実朝とともに真の標的だった北条義時(1163-1224)が難を逃れたのは、「中門ニトゞマレ」という実朝の指示だった。それでも、公卿たちをまえに「ヲヤノ敵ハカクウツゾ」と声を上げる公暁。しかし、親の敵を討ったという理論をもちだした甲斐なく、生きのがれた義時から指示を受けた三浦義村に裏切られて、あっけなく殺されてしまった。

800年以上も前の事件の、人物たちの動きを生き生きと想起することができる。

いっぽう、描写的でないので地味ながらも圧巻だったのは、この暗殺の遠因となった「権門体制」への合意が後鳥羽・実朝・北条家の三者のあいだでいかになされたかの著者の推察だ。権門体制とは、儀礼を司る公家、治安維持を担う武家、神仏祈祷を司る寺社の相互補完・協力がありつつ、そのうえに天皇が君臨するという構造だ。具体的には、実子のいない実朝が、後鳥羽の皇子を次代の将軍に推戴し、実朝が後見するという提案を後鳥羽が受けいれた。こうして、権門体制が築かれようとしていた。

この合意の裏には、後鳥羽・実朝・北条家それぞれのヴィジョンがあったと著者は考察する。後鳥羽としては、息子が将軍に就くことで、「組織ごとその軍事力を掌握・利用することができる」。実朝としては、「高い格と権威をもつ後継者を確保できる」し、「自らの自由の獲得」もなる。また、北条氏としては、王家の親王が将軍になれば「執権の権威はこれまで以上に高まる」し、「朝廷との太いパイプを手に入れる」ことができる。思惑はずれていれど、「三方よし」だったわけだ。

だが、これも実朝の突然の死により御破算となる。その後は、急速に北条家と後鳥羽の関係が悪化し、後鳥羽による鎌倉幕府打倒の試みとしくじり、つまり「承久の乱」に進んでいく。

著者の見方は、実朝自身が「将軍家断絶」を意図していたというもの。ただし、実朝が心のなかで描いていた正真正銘の「将軍家断絶」とは、自分が生きているなかで後鳥羽の血統による将軍が推戴され、その体制が自分の生きているかぎりつづくことだった。想い果たされぬまま、突然の最期が訪れ、べつのかたちの「将軍家断絶」となったのである。

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書評『源実朝』
歌人、将軍、非暗殺者……さまざまな側面をもつ「鎌倉殿」の一人を解く一冊です。

『源実朝「東国の王権」を夢見た将軍』坂井孝一 講談社選書メチエ 2014年 288ページ​


源実朝(1192-1219)は鎌倉幕府三代将軍。父で一代将軍だった頼朝(1147-1199)と母の北条政子(1157-1225)の間に第二子として生まれた。兄で二代将軍だった頼家(1182-1204)の北条家による幽閉・謀殺されての死を受けて、1203年に将軍となった。しかし、実朝は頼家の第三子の公暁(1200-1219)により鶴岡八幡宮で暗殺される。

実朝は、和歌などの文化を愛すものの、政治には向いていなかった「悲劇の将軍」と捉えられることが多い。だが、その実はどうなのか。日本中世史を専攻とする研究者が、実朝の実像に迫っている。

拠りどころとなるのがやはり文献だ。鎌倉幕府の事績を残したものとして1300年ごろ成立した『吾妻鏡』がよく知られ、著者もたびたび引用する。だが、『吾妻鏡』には、「合理的説明を加えることができない部分がみられる」などと、信憑性に欠ける部分があることを指摘する。背景には、北条家の執権政治を正当なものに見せようとする伝え手の偏向があるようだ。天台宗の僧だった慈円(1155-1225)が1220年ごろ著した『愚管抄』の記述を優先する。

これらの資料にまして、著者が実朝像を浮きぼりにするため着目するのが、実朝のつくった和歌だ。『金槐和歌集』は実朝が集めたもので、自身の歌も収めている。著者は実朝自作の歌から、統治者としての心のありようを探っていく。

たとえば、つぎの実朝作の二句をとりあげる。

  君が代も わが代も尽きじ 石川や 瀬見の小川の 絶えじとおもへば(369歌)

  朝にありて わが代は尽きじ 天の戸や 出づる月日の 照らむかぎりは(370歌)

369歌の「君が代」は、実朝が敬愛していた後鳥羽天皇(1180-1239)の時代をさす。「わが代も」とつづけ、後鳥羽と自身を並置させ、どちらの時代も永遠であると歌う。これに対して、370歌は「大胆にも実朝が『わが代』の永遠なる繁栄をみずからが寿いだ」とし、369歌を「発展させ、深化させた」と分析する。

これらから浮かびあがるのは、実朝の統治者としての本気ぶりだ。決して、政治に背を向けるような人物ではなかった。

だが、後鳥羽に右大臣の称号をあたえられ、その拝賀の儀をとりおこなっていた最中、公暁に暗殺されてしまった。

『吾妻鏡』によれば当日、実朝は拝賀の義に出るまえ、御所の梅の花を見て、つぎの歌を詠んだという。

  出でていなば 主なき宿と なりぬとも 軒端の梅よ 春を忘るな

まるで自分のそう遠くない死を予感したような歌だ。著者はこの歌に疑義を呈す。つまり、実朝が詠んだのでなく、あとでべつの人物、具体的には公卿だった藤原長兼(生没年不詳)が、歌人としての実朝を悼んで詠んだ代作だったという考えかたを示す。真相がわかる日はくるだろうか。

研究者らしく、資料を丹念かつ客観的に捉えながら、実朝の人間像を可能なかぎり浮かびあがらせようとした一冊だ。

『源実朝「東国の王権」を夢見た将軍』の情報はこちらでどうぞ。
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実朝暗殺を見ていた伝説の大鴨脚、若木に命を継いで――唱歌の面影(7)
八幡宮の石段に 立てる一木の大鴨脚樹 別當公曉のかくれしと 歴史にあるは此蔭よ
(『鉄道唱歌』東海道編 第7番)

「唱歌の面影」連載

大和田建樹(1857-1910)が作詞した『鉄道唱歌』の第7番から第9番までは「鎌倉」を舞台としたもの。第7番で大和田は、鶴岡八幡宮に光を当てています。
 



「大鴨脚樹(おおいちょう)」とは、鶴岡八幡宮の石段の脇にあるイチョウのこと。長いことこの神社を象徴する木となっていましたが、2010(平成22)年3月10日未明、根本から倒れているのが見つかりました。折からの強風によるものとみられます。



鶴岡八幡宮の源流は、平安時代中期の武将だった源頼義(988-1075)が1063(康平6)年、石清水八幡宮を勧請した、つまり移しまつったことにあります。頼義が建てたその神社の場所はというと鎌倉の海寄りのほう。いまの鎌倉市材木座にあります。建立から100有余年の1180(治承4)年、頼義の5代後の源頼朝(1147-1199)の手で、いまの鶴岡八幡宮の地に神社が移されたのです。そのため源流にあたる頼義の建てた神社は「元八幡」とよばれています。



鶴岡八幡宮の一の鳥居。源頼朝が社を移したとき木で建てられました。木づくりから石づくりになったのは、江戸幕府の第二代将軍だった徳川秀忠(1579-1632)と結婚した崇源院(1573-1626)が願ったためとされます。



二の鳥居。鶴岡八幡宮境内にある若宮社殿へと向かう目抜き通り「若宮大路」の起点です。



三の鳥居。奥に見えるは鶴岡八幡宮の舞殿。その奥には本宮の姿が。



鶴岡八幡宮は、この神社の別当つまり長だった公暁(1200-1219)が、鎌倉幕府第三代将軍だった源実朝(1192-1219)を暗殺した舞台でもあります。公暁は、幕府第二代将軍だった源頼家(1182-1204)の第三子。八幡宮の別当の座にありながら、自分もいずれ将軍の座に就くという望みを抱いていたようです。実朝に後継となる嫡子がいなかったことからその可能性はあったかもしれません。ところが、実朝が後継を京にいる後鳥羽天皇(1180-1239)の家系に求めていることを公暁は察し、そうだとしたら自分の将軍就任の道が絶えてしまうと悟り、実朝を殺してみずから第四代将軍となる意を決しました。幕府側からみれば、血迷ったとしかいいようがないでしょうが。

暗殺決行の時は1219(建保7)年1月27日夜。雪が深く積もっていたといいます。公暁は、実朝が右大臣拝賀の儀で八幡宮を訪れたのに乗じ、太刀で実朝の首を斬りました。上の写真は、公暁が斬首のとき幕府方の列座に向かって「父の敵を討つ」と叫んだとされる上宮の砌(みぎり)つまり軒下からの眺め。公卿の父の頼家は、将軍の座を幕府初代執権だった北条時政(1138-1215)らに奪われたのち誅殺されたことから、幕府側の最高位にいる実朝も敵とみなし「父の敵を討つ」と表したのかもしれません。




実朝の首を斬ったあと、公卿はわが味方と信じてうたがわなかった三浦義村(生年不明-1239)と合流するはずでした。義村からの迎えを待っていたものの遅く、ついに公暁は本宮の裏にある大臣山にのぼって、みずから義村亭をめざすことにしました。ところが、公暁は義村に裏切られてしまいます。義村から討手に指名された長尾定景(生没年不明)にあえなく斬首され、命を落としました。実朝を殺して自分が将軍になるという夢は、実朝暗殺からわずか数時間のうちにはかなくも絶えました。



公暁に暗殺された実朝の墓は、暗殺の場から西に700メートルほど、寿福寺の境内の崖を切りぬいた「やぐら」に置かれています。すぐ側には、実朝の母にあたる北条政子(1157-1225)の墓も並びます。では公卿の墓のほうはというと、現存しません。



実朝なきあと、鎌倉で政府の実権を握る北条家と、京で朝廷に君臨する天皇家は急速に関係を悪化させます。天皇を後代に攘夷した後鳥羽上皇は、鎌倉幕府打倒を試みたものの失敗。隠岐島へと流され、最期を迎えました。鶴岡八幡宮には、本宮のさらに北に「今宮」とよばれる社が建てられています。これは、この「乱」を首謀した後鳥羽上皇はじめ三天皇の霊をなだめるため鎌倉幕府が1247(宝治元)年に建てたもの。



2010年に倒れた「大鴨脚樹」から若芽が吹きました。この若芽が八幡宮の宮司たちの手で大切に育てられ、大鴨脚樹と階段にはさまれたところで背を伸ばしています。強い生命力をもつイチョウと、その生命力を信じて再生を誓う人びとと……。

じつは、公暁が「大鴨脚樹」に隠れていたというのは創りばなしとも。「大鴨脚樹」の樹齢は2010年に倒木した時点で1000年ほど。暗殺のあった1219年、まだこのイチョウは、公暁が隠れるには細すぎる若木だったはずです。公暁が暗殺を企てていたころのイチョウの姿は、むしろ再生のため育てられているいまのイチョウの姿に近いものだったのではないでしょうか。


建樹先生。本宮の砌からの鎌倉の眺めはいかがでしたか。

参考資料
坂井孝一『源実朝』
https://www.amazon.co.jp/dp/B00MOYKK96/
坂井孝一『源氏将軍断絶』
https://www.amazon.co.jp/dp/B08QHGMZPY/
百科事典マイペディア 「鶴岡八幡宮」
https://kotobank.jp/word/鶴岡八幡宮-99577
鎌倉観光公式ガイド「由比若宮(元八幡)」
https://www.trip-kamakura.com/place/9.html
鶴岡八幡宮「武士の都・鎌倉の文化の起点」
https://www.hachimangu.or.jp/knowledge/
精選版 日本国語大辞典「後鳥羽天皇」
https://kotobank.jp/word/後鳥羽天皇-65564
日本経済新聞 2010年4月10日「大銀杏再生、ここまでやる 鶴岡八幡宮が3つの方法で挑戦」
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG09029_Q0A410C1CC0000/

| - | 20:22 | comments(0) | -
「『何日までに』に『何日』がふくまれるか問題」は「今日までに」の例示で解決

画像作者:milena mihaylova

仕事などの納期をめぐるやりとりで、「何日までにお願いします」という頼みかたがあります。

「原稿の書きなおし、28日までにお願いします」
「料金のお振りこみは、10日までにお願いします」
「例の件、今週の金曜までにお願いします」

こうしたやりとりで、人びとに齟齬が生じることもあります。編集者から「原稿の書きなおし、28日までにお願いします」と言われた記者が「28日じゅうに改稿を送ればいい」と思っていたところが、当日の28日の昼ごろ、編集者から「原稿の書きなおしのほう、いかがですか。28日までにお願いしますと伝えていたのですが」とメールが送られてくる、といったように。

 記者「あれ、28日までっておっしゃっていましたよね」
編集者「ですから、その28日になったので、改稿いかがかと思ってメールしたのですけれど……」

つまり、この齟齬は、「28日までに」に「28日の一日」がふくまれるかどうかをめぐっての齟齬といえます。

結論からいうと、記者と編集者のどちらの「28日までに」のとらえかたが正しかったかといえば、記者のほう、つまり「28日じゅうに改稿を送ればいい」のほうが正しかったといえます。

「まで」は、 動作やことがらのおよぶ距離的または時間的な限度・範囲・到達点を表す副助詞です。

記者が編集者に、「28日じゅうに改稿を送ればいい」のほうが正しいことを証明するには、編集者が納得するような例文を示せばよろしい。そこで、記者は編集者につぎのように伝えました。

 記者「では、『今日までにやらないと』と言ったとき、その案件は前日に済ませるべきことになりますか。それとも当日に済ませればいいことになりますか」
編集者「それは、『今日までに』だったら、その当日にでしょうに」
 記者「ですよね。そうであれば『28日までにお願いします』とあなたがおっしゃったのは、その当日である今日28日にやればよいということになりませんかね」
編集者「ぐぬぬぬ……」

この記者は、日本語の表現における「適切さ」を盾にとって、編集者を説きふせたのでした。

しかし、編集者から以降、新たな仕事の依頼はこなかったとか。

言っていることが正しいかどうかと、言っていることが受けいれられるかどうかは、べつの話なのでしょう。

この記事は、2024年3月28日(木)NHKラジオ「Nらじ ニュースのしゃべり場」での話題をもとにしたものです。

参考資料
デジタル大辞泉「まで」
https://kotobank.jp/word/迄-635186
| - | 13:15 | comments(0) | -
プログラミングを数学のひとつとする考えと、べつものとする考えと……


写真作者:Christiaan Colen

2017年3月に改訂され、2020年度から全面実施となった小学校の学習指導要領で、プログラミング教育が必修となりました。

プログラミングとは、コンピュータに動作を指示するための手順であるプログラムをつくることをいいます。

プログラミングをめぐって、「数学のひとつである」という考えかたと、「数学とべつのものである」という考えかたがあるようです。

「数学のひとつである」という考えかたでは、数学の分野のひとつである「計算機科学」におけるひとつの要素がプログラミングであると位置づけられています。計算機科学は、情報と計算の理論的な基礎と、その成果のコンピュータ上への応用を研究する数学の分野。コンピュータに対して指示をする作業をともなうプログラミングはこの計算機科学の一要素として捉えられるわけです。

いっぽう、「数学とはべつのものである」というプログラミングへの考えかたがあります。その例として、「数学的な知識がなくてもプログラミングはできる」といった論がしばしば語られています。もし、プログラミングを数学のひとつだとすると、「数学的な知識がなくても数学はできる」という矛盾した論がなりたってしまいます。つまり、「数学的な知識がなくてもプログラミングはできる」という論は、数学とプログラミングはべつものであるということを暗にいっていることになります。

ただし、プログラミングが数学に近いところにあるということはいえるのではないでしょうか。プログラミングにおいてコンピュータに動作を指示するための手順を築くことは、数学において解を得るために数式を重ねていくこととにています。順序だてて考えて、目的に向かっていくという点で、プログラミングは数学に近いものがあります。

参考資料
精選版 日本国語大辞典「プログラム」
https://kotobank.jp/word/プログラム-8466
精選版 日本国語大辞典「プログラミング」
https://kotobank.jp/word/プログラミング-8463
文部科学省「小学校プログラミング教育の概要1」
https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2019/05/21/1417094_003.pdf

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書評『土門拳の東寺』
著者となっている土門拳は1990年に鬼籍に入りましたが、この本は2023年に出版されたもの。

『土門拳の東寺』土門拳、クレヴィス、2023年、180ページ


20世紀を代表する写真家の一人で、各地の古寺を撮った『古寺巡礼』を代表作とする土門拳。彼が1964年6月以来、撮った寺のひとつが京都・九条町にある東寺だ。東寺から撮影の依頼を受けたという。この寺を真言密教の根本道場に興した空海(774-835)の幼名「真魚」を長女に名づけていたほどというから、撮影に臨んだときの心はいかばかりか。

弟子で写真家の藤森武(1942-)が「凝視から生まれる土門作品」という随筆的解説を寄せていて、土門の撮影のしかたをこう伝える。

「先生の撮影は、事前に書物で徹底的に『調べる』。大変な読書家だった。調べたあとに『見る』。その次が『感動する』。感動がなければ撮らない。その後『凝視する』。ここに一番多く時間を割く。最後に『撮影する』」

最後の「撮影する」までに、どう撮るかはほぼ決まっていたことがわかる。土門の撮った仏像などの写真はどれも、仏像と土門の双方の気迫が伝わるものだが、調査と感動を経ての撮影だからこそのものなのだ。

そのような土門が、東寺を撮影しての「感想」といえる随筆を1964年、読売新聞に寄せており、本書で読むことができる。

「一番気に入ったのは、観智院客殿である。その客殿の中でも一番気に入ったのは、縁板を透かした簀子縁である、簀子縁の中でも一番気に入ったのは、その縁板に打ってある鉄釘である」

観智院は、東寺境内の北のほうにある塔頭。研究室のような役割を果たす院だ。そこの縁側の板に打っている鉄釘をたいそう気に入ったようだ。「大きなあたまの鉄釘を、密に、等間隔に打つことによって、リズミカルな効果と凛とした気品をあわせもたせている」とつづける。

この鉄釘への認知は、土門が徹底的にしていたという「調べる」のなかに含まれていたかどうか。すくなくとも、見て、感動し、凝視し、撮った成果としての「観智院の縁板」の写真を本書に収めている。モノクロ写真だが、火の光に照らされて浮かぶ縁板のきめと、鉄釘の影がなんとも心地よい。

『土門拳の東寺』はこちらでどうぞ。
https://www.amazon.co.jp/dp/490953296X
| - | 20:45 | comments(0) | -
水切りざる、目ひとつずつでは水切れず

写真作者:[cipher]

料理道具のなかで、水切りざるは、代替のきかない重宝なもののひとつです。

麺や野菜をゆでたあと、お湯と分ける。このとき水切りざるがないと、トングで麺や野菜を挟みだすか、水を注いでぬるくしてから素手で麺や野菜をつかみだすことに。しかし、トングを使うと時間がかかって時間がかかるし、素手を使うと麺や野菜をつまみきれないことも。

鍋をひっくりかえして、水切りざるにとりあえず麺や野菜を入れてしまえば、これらの困ったことは起きません。

しかし、水切りざるには、「洗うときのちょっとした課題」があります。それは、「水が切れない」というもの。

水切りざるなのに、水が切れないというのはおかしな話ですが、使っている人は「ああ、あれね」と思いうかぶのではないでしょうか。

洗剤などで洗って、水ですすいだ水切りざるの目を見るとどうでしょう。目のひとつひとつに、水が膜をはっていて残るのです。つまり水が切れていない。

この切れない水を放って片づけると水がぽたぽたしてしまう。かといって、ざるを流し台のなかでぱんぱん叩いたり、さっさっと振ったりして水を落とすと、水滴が流し台に散らばってしまいます。

おそらく、布ふきんやキッチンペーパーのような拭くもので水切りざるの外側あるいは内側をさっと拭いて、水をざるから拭きものに移すのが正解なのでしょう。

目が大きすぎると通りぬけてほしくない麺などが通りぬけてしまうし、目が小さすぎると通りぬけてほしい水が通りぬけない。洗うとき水の膜が残るくらいの目の大きさが、水切りざるとしての目のふさわしい大きさといえます。
| - | 16:11 | comments(0) | -
デジタル方式で「アナログもどき」

人の感じかたとして、「これはアナログだ」「これはデジタルだ」と思えるものがあります。アナログのほうは連続的な変化をするもので、デジタルのほうは不連続的な変化をするものというのが、人のだいたいの感じかたでしょう。針で表示されるアナログ時計と、字で表示されるデジタル時計のちがいがわかりやすい。

しかし、人の感じかたにはあいまいなところがあるため、デジタル方式の機械で、人に「アナログの感じかた」をもたらすことができます。

たとえば、発光ダイオードの明るさや、音響機器からの音の大きさを、つまみをひねることで変えることができます。右にひねれば明るく、あるいは大きく。左にひねれば暗く、あるいは小さく、といったように。

連続的な変化に感じられるので、「これはアナログだ」と思う人もいるでしょう。しかし、デジタル方式でも、「ほんのわずかに明るくする」とか「ほんのわずかに音を大きくする」といったことはできるので、これにより人に「アナログの感じかた」をさせられるわけです。

この「アナログもどき」を表現するためのデジタル出力で使われているのが、パルス幅変調(PWS:Pulse Width Modulation)という方式です。

パルスとは、もともと「脈拍」を意味することばで、とても短い時間のうちに変化する電圧の波形などのこと。つまり、高い電圧と低い電圧を、ごく短いあいだにくりかえすような波形がパルスです。

高い電圧のときの時間と、つぎの低い電圧のときの時間を全体の時間としたとき、「全体の時間に占める高い電圧のときの時間」をデューティ比といいます。このデューティ比を、高くしたり低くしたりする制御によって、明るさや音の大きさを細かく変化させることができます。デューティ比が高いと、つまり高い電圧のときの時間が長いと、それだけ出力は大きくなるので、発光ダイオードは明るく感じられるし、音響機器からの音は大きく感じられます。


音響機器
写真作者:david falkner

あるいは、高い電圧のときの時間が、100マイクロ秒より長いときは「0」とし、100マイクロ秒より短いときは「1」とするといったように決まりを設ければ、高い電圧のときの時間を毎回かえることで「0111001……」といったようなデジタル信号を発進させることができます。交流の電圧波形を、波状というよりパルス状にすることで、「交流にデジタル信号をのせる」といったことができるようになります。そして、この「0」と「1」の並びかたを細かくかえることによっても、「アナログ的な感じかた」をもたらすことができます。たとえば、「000000000001」のときは明るさは1パーセントで、「000000000011」のときは明るさ2パーセント」といったように。

こうした「アナログもどき」ができるのは、人の感じかたにあいまいなところが多分にあるからです。ほんとうは、明るさの変化や音の大きさの変化が、デジタルで飛び飛びなのに、人の脳は「ま、いっか」とやりすごします。そうしたこまかいちがいに気づかなくても生きてこれたので、「ま、いっか」でいいのです。

参考資料
ローム「PWM信号」
https://www.rohm.co.jp/electronics-basics/micon/mi_what11
analogista 2021年6月21日「PWM制御とは? 仕組み、原理をわかりやすく解説」
https://analogista.jp/pwm/
TechEyesOnline「計測関連用語集 パルス幅」
https://www.techeyesonline.com/glossary/detail/パルス幅/
Digital Cube 2019年5月29日「PWMはデジタルとアナログの架け橋1」
https://www.cube-d.co.jp/2019/05/29/pwmはデジタルとアナログの架け橋1/
ザックリ解説Web 2022年10月1日「PWM、デューティ比とは?Arduinoを使って小学生でもわかるよう解説!」
https://zakkuri-kaisetsu.com/pwm/
ウィキペディア「デジタルコマンドコントロール」
https://ja.wikipedia.org/wiki/デジタルコマンドコントロール
chibiegg研究ノート 2009年5月3日「DCCパケットの取得」
https://www.chibiegg.net/loco/dcc/dcc_make/dcc_packet.htm

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交流の大きな利点は電圧を変えられること
電流の方式には、直流と交流があることが知られています。電流の向きと電圧の大きさが一定である方式が直流で、電流の向きと電圧の大きさが変わる方式が交流です。

直流のほうが電流の向きも電圧の大きさも一定で、単純明快な印象をあたえます。しかし、交流の利点があるからこそ、交流が広く使われているわけです。

交流の大きな利点は、電圧を変えられる点にあります。家などに電力が送られるとき交流が方式として使われていますが、これは、発電所から家に電気が届くまでに、変圧器という装置を入れることで、電圧を高められ、効率よく送電することができるから。電圧を高めると、電流を低めることができ、電流を低めると、むだな熱が生じにくくなるのです。

「高圧電線」とよばれる電線があちらこちらに張りめぐらされているのは、電圧を高くした電気が送られている証拠です。

交流では、電流の向きが切りかわるわけですが、どのくらいの早さで切りかわっているかというと、多くのところでは1秒間に50回または60回。1秒間における1周期の振動数をヘルツといい、1秒間での切りかわりが50回であれば50ヘルツ、また60回であれば60ヘルツとなるわけです。

1秒間に50回といえば、0.02秒に一度、電流の向きが切りかわっているわけです。1秒間に60回となれば、0.016666秒に一度。そのくらいひんぱんに電流の向きが変わっているとは、直感的には理解しづらいものがあります。

しかし、たしかに電流の向きがすばやく変わっているということを感じられることがあります。デジタルカメラなどで、1コマの数を多くして、蛍光灯を撮影すると、コマごとに蛍光灯の光が明るくなったり、暗くなったりしているのを確かめられます。


蛍光灯
写真作者:Tamaki Sono

蛍光灯には電極があり、つねに電流は一方向に流れるので、交流の電流を流すと、単純な計算で半分の時間は、電流が流れていないことになります。電流が流れていない時間、じつは蛍光灯は消えているのですが、あまりにも早すぎてヒトの肉眼と脳では蛍光灯が暗くなっていると感じられないのです。しかし、デジタルカメラの高速コマ撮りでは、たしかに蛍光灯が暗くなっていることが撮影されます。敏感な人であれば、肉眼でも蛍光灯がちらついているのを感じることでしょう。

ただし、50ヘルツまたは60ヘルツの交流電流の方向の切りかわりを、その1000倍ほどの20キロヘルツから70キロヘルツぐらいまで早めたインバータ方式という蛍光灯では、すくなくとも肉眼ではちらつきが感じられなくなります。

参考資料
NHK高校講座物理基礎「なぜ交流を使うのか 直流と交流」
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/butsurikiso/contents/resume/resume_0000001959.html
電気事業連合会「直流と交流」
https://www.fepc.or.jp/enterprise/souden/denki/index.html
京都教育大学 沖花研究室「蛍光灯の光はちらちらして見えるって知ってた?」
http://natsci.kyokyo-u.ac.jp/~okihana/trivia/keikoutou/index.html
パナソニック「インバータ式(電子式)点灯回路とは」
https://jpn.faq.panasonic.com/app/answers/detail/a_id/109681/~/《用語解説》インバータ式%28電子式%29点灯回路とは
| - | 20:52 | comments(0) | -
「摸摸具和も桃も揉もうにも揉めません」の「も率」5割8分8厘「も数」10

写真作者:caroline legg(左)dogolaca(右)

早口ことばのひとつに「もももすももももものうち」があります。「桃も季も桃のうち」というわけです。

この早口ことばには、「も」が1文12字のうち8字ふくまれるという「も」の多さにあります。

早口ことばでないものの、1文のなかに「も」が多くふくまれる創作文があります。

「摸摸具和も桃も揉もうにも揉めません(ももんがもももももうにももめません)」

こちらは「も」が1文17字のうち10字ふくまれるものです。「も率」は5割8分8厘であり、「もももすももももものうち」の6割6分6厘より劣るものの、「も数」でいえば10文字なので「もももすももももものうち」の8字より2字まさります。

問題は、「摸摸具和も桃も揉もうにも揉めません」という文の妥当性です。つまり、自然に発せられる文といえるのかどうか……。

つぎのような状況があるとします。

ジビエの料理集に「モモンガ肉の桃ジャム漬け」というものがあります。といいますか、あるとします。料理のしかたは、鼯鼠の肉をやわらかくするためによく揉むこと。それとべつに、桃もジャムにするためによく揉むこと。

しかし、やってみると料理の手順に書いてあるほどうまくいきません。まず、摸摸具和の肉が、思いのほかかたくて、揉もうにも揉めません。

では、桃ジャムづくりはどうかというと、用意した桃はまだ熟していませんでした。こちらも思いのほかかたくて、揉もうにも揉めません。

「モモンガ肉の桃ジャム漬け」の料理にここまで挑んで、「こりゃだめだ」と悟った人が、この料理の方法を考案した人に、手紙を書くのでした。

「誰々先生。ご考案のレシピを参考に、モモンガ肉の桃ジャム漬けに挑戦したのですが、モモンガも桃も揉もうにも揉めません。こういう場合、どうしたらよろしかったでしょうか」

この手紙での問いあわせに対する誰々先生からの返事はこの際どうだってよろしい。ここでの問題は「鼯鼠も桃も揉もうにも揉めません」が自然な文といえるかどうかだからです。

はたして自然な文といえるでしょうか。これはひとえに、読んだ人が「自然だ」もしくは「ありえる」と感じれば「自然な文」といえるし、「不自然だ」「あるはずない」「ばかげている」と感じれば「自然な文」といえないとしかいいようのない問題ではないでしょうか。つまり、読んだ人の判断に委ねるしかすべはないのではないかということです。
| - | 20:16 | comments(0) | -
「こようもございません」や「こよねー!」は、ありうるものの使われず

写真作者:Felipe Peixoto

「主の御年は、おのれにはこよなくまさり給へらむかし。みづからが小童にてありし時、主は二十五、六ばかりの男にてこそはいませしか」

これは、平安時代の後期に成立した歴史物語『大鏡』にある、夏山茂樹の大宅世継に対することばです。「あなたのお齢は、私よりはなはだ上でいらっしゃいましょう。私が幼い子どもであったとき、あなたは二十五、六歳ほどの男性でいらっしゃいました」といった意味になります。

1000年以上も前から、「こよなく」ということばが使われていたことがうかがえます。昔から「はなはだ」といった意味で使われていたようです。21世紀のいま「こよなく」といえば、「愛する」がつづき、「こよなく愛する車」のように使うことがもっぱらですが。

「こよなく」は、「越えなし」あるいは「越ゆなし」からきているという説があります。「越えるものがない」ということで、「はなはだ」や「この上なく」といった意味が「こよなく」にあるというわけです。

よく「何々ない」ということばには、「何々が無い」と分かれるものでなく、「何々ない」で一語であるものがあるといわれます。たとえば、「危ない」はこれで一語。よって「危ございません」や「危ある」は本来の使いかたとしてふさわしくないことになります。「はしたない」や「しがない」も、「危ない」とおなじように、これで一語とされます。

では「こよなく」がこれで一語かというと、上の「越えなし」あるいは「越ゆなし」からきたことばだとすれば、かならずしもそうといえないのではないでしょうか。

あえて、「こよなし」に「ございません」をつけるとすれば、「こようもございません」や「こゆにございません」となるでしょう。「はなはだしくございます」や「この上なくございます」の意味になります。

「田中さんのネコに注ぐ愛情といったら……。それはもう、こようもございませんね」

「この鰹だしのお味の上品さは、こゆにございませんわね」

ことばは、いつどこで発展するかわかりません。そのうち「すごーい!」といった意味で、「こよねー!」といった使われかたがあらわれるかもしれません。たとえば、つぎのように使われる日がくることもなきにしもあらず。仲のよい男子高校生の会話例です。

「おれさぁ、毎日、彼女に10回もLINE電話で愛してるって直に伝えてるんだぜ」
「うほっ! こよねー!」

しかし、「こよなく」が、なかなか「こようございません」や「こよねー!」のように使われないのは、「こよなく」という副詞的なことばの表現的な完成度が高いからでしょう。崩したり、変えたりして使う気を起こさせないことばが、「こよなく」なのではないでしょうか。

参考資料
精選版 日本国語大辞典「こよなし」
https://kotobank.jp/word/こよなし-269954
マナぺディア「大鏡『雲林院の菩提講(先つころ、雲林院の菩提講に詣でて〜)』のわかりやすい現代語訳」
https://manapedia.jp/text/3548
減点されない古文「こよなし 形容詞(ク活用)」
https://hohoemashi.com/koyonashi/
NHK放送文化研究所 2023年9月1日「『とんでもありません(とんでもございません)』という言い方は,とんでもない?」
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/20230901_5.html
| - | 21:49 | comments(0) | -
裏金問題の真相に向け、懸賞広告を出してみたら……

写真作者:Richard, enjoy my life!

政治資金パーティー収入の裏金問題をめぐり、当事者にあたる政治家たちは国会の場で「知らぬ存ぜぬ」をくり返しています。おなじく「秘書が、秘書が」とくり返す政治家もいます。

では、だれがことの真相を知っているのか。だれも知らないということはないでしょう。

真相を知っている人に、真相を打ちあけてもらうため、興味と資金のある人は懸賞広告を出してみたらいかがでしょうか。つぎのような具合に。

「政治資金パーティー収入の裏金問題について、だれが指図をしたのかなど、まだ公表されていない事実を知っている人は、ぜひとも告発してください。告発の内容により、最高で10億円をさしあげます」

懸賞金は、たいてい重要犯罪にかけられるものです。警察庁が「捜査特別報奨金」という名でかけるもののほか、民間の人がかけるものもあります。重要かどうかはともかく、裏金問題は犯罪の要素がたぶんにあるので、かける対象になりうるのではないでしょうか。

懸賞広告を定めた民法第529条から第532条には、有効な期間や支払いのしかたについて書かれているものの、懸賞の対象についてはなにも書かれていません。この点でいっても、裏金問題の真相は、かける対象になりうるのではないでしょうか。

「はたして、懸賞金という金につられる人はいるだろうか」という話が出るかもしれません。なるほど、政策秘書たちと議員とのあいだには固い結束がありそうです。しかし、「10億円」とか「100億円」とか、高額の賞金をかければ、「もう一切合切をしゃべって、政治界から足を洗ってしまおう。先生よ、おさらば」と、開きなおる人物が現れるのではないでしょうか。

近ごろは、資金がないというとき、「賛同者たちの集団による資金調達」といった方法もよく使われています。だれかが言いだせば、賛同してそれなりの資金を出すという人たちはいることでしょう。

参考資料
e-GOV法令検索「民法」
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=129AC0000000089
「捜査特別報奨金制度」
https://ja.wikipedia.org/wiki/捜査特別報奨金制度
| - | 21:00 | comments(0) | -
長期増強「海馬から前帯状皮質へ」の手順あり


1か月や1年や一生といった長きにわたり保たれる記憶を「長期記憶」といいます。食べもののうらみを忘れないとか、百年の恋が覚めるとかは、長期記憶のなせるわざといえます。

2020年代になり、この長期記憶の手順が研究者たちの手によってわかってきました。長期記憶に欠かせない、脳における「長期増強」という現象を、意図的に“消せる”ようになり、「このとき、この部位の長期増強を消したら長期記憶に影響が生じるか」「このとき、この部位ではどうか」と調べられるようになったからです。

たとえば、ある人が“translucent”という英単語を暗記で覚えようとしているとします。ちなみに“translucent”は「半透明な」という意味です。

「トランスルーセント、半透明、トランスルーセント、半透明……」と念仏のように唱えて覚えようとしている最中、まず脳の海馬というところに変化が起きます。

海馬は、大脳にある古くからの皮質で、「海馬」つまりタツノオトシゴにかたちがにているため、そうよばれます。この海馬で長期増強が起きます。つまり、海馬における神経細胞と神経細胞のあいだの信号伝達がさかんになりつづけるのです。長期増強に携わる神経細胞の面々は、「この神経細胞に信号を伝えるぞ」とそれぞれ相手を選んだり、「いっせいのせで伝えるぞ」と時期を揃えようとしたりします。

さて、この人は暗記しているうちに眠くなり、床に就くことにしました。この「暗記をした当日の睡眠中」に、おなじく海馬で、さらにもう一段階の長期増強が起きます。ただし、暗記している最中の長期増強とはやや質の異なるもの。「暗記をした当日の睡眠中」における海馬の神経細胞の面々は、「いっせいのせで伝えるぞ」と時期を揃えることにのみ力を注いでいるようです。

朝になりこの人は目を覚まし、そして一日を過ごし、また夜に眠くなり、床に就くことにしました。この「暗記をしてから2日目の睡眠中」に、こんどはべつのところで変化が生じます。大脳のうち、海馬よりも前のほうにある「前帯状皮質」というところで長期増強の現象が起きるのです。前帯状皮質は、以前から、古い記憶を想起するとき活性化されることが知られていました。いわば長期増強の現場が、海馬から前帯状皮質に移ったともいえるでしょう。

こうして、「暗記しているときの海馬での第一の長期増強」「暗記した当日の睡眠中の海馬での第二の長期増強」「暗記した翌日以降の前帯状皮質での長期増強」という手順を経て、「translucentは『半透明な』」という長期記憶が形づくられていくようです。

参考資料
改訂新版 世界大百科事典「海馬」
https://kotobank.jp/word/海馬-166007
実験医学online「LTP」
https://www.yodosha.co.jp/jikkenigaku/keyword/1340.html
後藤明弘・林康紀「光によるシナプス可塑性制御で明らかになった記憶固定化機構」
http://glutamate.med.kyoto-u.ac.jp/shared/images/2/2d/Goto_生物物理_2022.pdf
| - | 21:29 | comments(0) | -
「駅に水飲み場」東京都はいまも展開中

駅での「水飲み場」が減りました。昭和時代には水飲み場に蛇口だけでなくコップまで置いてある主要駅もありました。夜行列車に乗る人たちが歯みがきをするためのものだったのでしょう。

東京メトロは、冷水機式の水飲み場を2014年度に廃止し、蛇口式の水飲み場もふくめ2018年5月までに全廃としたようです。

JRも、門司港駅の「帰り水」など文化遺産的な水飲み場になっているものを除けば、ほぼ廃止したといってよいでしょう。

そうしたなか、いまも管轄するすべての駅に水飲み場を置きつづけている事業者が、都営地下鉄を走らせている都営交通局です。

都営地下鉄の駅の水飲み場は冷水機式のもので背丈は低め。器の手前のボタンを押すと器の右前にある吸水口から水が出てきます。子どもや車椅子を使っている人でも使いやすいような設計にしているようです。

多くの事業者が、持ちあるけるミネラルウォーターが広まって水飲み場を廃止するなか、東京都交通局が駅に水飲み場をいまも置きつづけている背景に、「東京の水道水」を広めたいという都のねらいがあるようです。

東京都水道局は、公共性の高い場所などおよそ900か所に水飲栓を「東京水ドリンキング・ステーション」として設置しています。都営地下鉄の各駅にある水飲み場を2017年、この「ステーション」に指定しました。

なぜ都が「東京の水道水」を広めたいかといえば、水質の高い水道水を供給しているという自負心があるから。水道局は、「安全でおいしい水道水」へのとりくみとして、「国の定める水質基準を大きく上回る283項目の検査」「131箇所の蛇口(給水栓)で常時水質を確認」「ISO/IEC 17025を取得」などをおこなっているとうたいます。ISO/IEC 17025とは、国際標準化機構により定められた「試験所と校正機関の能力に関する一般要求事項」の国際標準規格のこと。

伝言板、時刻表、時計など、駅にあったものが減っていっているなか、都営地下鉄の駅の水飲み場は、すくなくともしばらくなくなることはなさそうです。

参考資料
乗りものニュース 2017年7月18日「東京メトロの『冷水機』、消えた? 蛇口タイプの水飲み場全廃で気になるその行方」
https://trafficnews.jp/post/76376
九州テレビ 2023年4月1日「『帰り水の謎に迫る』名前の由来とは?」
https://kyushu.tv/kaerimizu/
東京都交通局 2023年8月10日「移動中もこまめな水分補給で熱中症対策を」
https://www.facebook.com/toeikotsu/posts/670070145156864/
東京都水道局「水源・水質」
https://www.waterworks.metro.tokyo.lg.jp/suigen/high_quality.html
東京都水道局「くらしと水道」
https://www.waterworks.metro.tokyo.lg.jp/kurashi/drinking_station/
ウィキペディア「ISO/IEC 17025」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ISO/IEC_17025
| - | 11:33 | comments(0) | -
二度目の帰還なった古川聡さん、13年前は「地球酔い」を経験

古川聡宇宙飛行士。2023年6月撮影
写真作者:NASA

宇宙航空研究開発機構の所属する宇宙飛行士の古川聡(1964-)ら4人のうちゅ飛行士が国際宇宙ステーションの中期滞在を終え、きょう(2024年)3月12日(火)地球に帰還しました。

古川さんの宇宙滞在は今回で二度目。一度目は2011年6月から11月にかけてで、今回は2023年8月からの2024年3月にかけて。およそ12年ぶりの宇宙飛行となりました。あわせての宇宙滞在日362日は、日本人では若田光一さんの504日につぐものといいます。

一度目の宇宙からの帰還後、古川さんはかなりの「地球酔い」を経験したといいます。地球酔いとは、宇宙から戻ってきてからの地球での感覚に対して、気分が悪くなること。帰還直後、頭のなかがぐるぐる回る感覚をもったそうです。

その後の米国航空宇宙局でのリハビリテーションの体験をこう話しています。

「はじめはどのくいらいまで体を傾けるとどのくらい体重がかかるのかわからなかったので、体を傾けてみたり、首を曲げてみたりしました。でも、そうすると気持ち悪くなります」

リハビリテーションは45日間で完了となりました。

バス酔いしやすい人としづらい人がいるように、「地球酔い」あるいは、宇宙に行ったときの「宇宙酔い」をしやすい人としづらい人はいるのでしょう。

おそらく古川さんは、二度目の宇宙ということで、一度目に経験した「地球酔い」を踏まえて、これから地球での生活を送っていくのではないでしょうか。つまり、一度目ほど激しい地球酔いをせずに、地球での生活に戻れるよう算段を立てているのではないでしょうか。

報道の写真では、帰還宇宙船クルードランゴンから降り、手を振る古川さんの表情は笑顔です。気分のほうはいかばかりでしょうか。後日、二度目の宇宙体験と「酔い」の感覚について語ってくれる日がくることでしょう。

参考資料
UchuBiz 2024年3月12日「古川聡宇宙飛行士、地球に無事帰還–国際宇宙ステーションに200日滞在」
https://uchubiz.com/article/new42078/
漆原次郎『宇宙飛行士になるには』
https://www.amazon.co.jp/dp/4831513806
産経新聞 2024年3月12日「古川聡さんが地球に帰還、笑顔で手を振る 約6カ月半の宇宙任務終了」
https://www.sankei.com/article/20240312-2CEVI2IN4RMHNBVTEVXH7F65UU/
| - | 22:46 | comments(0) | -
福島第一原発事故に「人間のなすすべなさ」感じた人も

2011年3月16日に撮影された福島第一原子力発電所
写真作者:Digital Globe

特撮テレビ番組「ウルトラマン」では、怪獣が現れて街を破壊しはじめてからウルトラマンが登場するまでのあいだ、毎回のように「科学特別捜査隊」が怪獣への対処にあたります。戦闘機などで怪獣に攻撃をしかけるものの、たいていなすすべなく、ウルトラマンの登場を待つことになります。

「人間のなすすべのなさ」を、2011年3月の福島原子力発電所事故で、報道などを通じて感じた人は多いのではないでしょうか。

津波による浸水で電源が失われ、圧力容器内の水が枯渇し、圧力容器内の水位が下がっていきました。東京電力の資料によると、1号機では大地震と大津波が起きた3月11日すでにこの状況に陥っていましたが、3号機では13日に、2号機では14日にこの状況となり、刻一刻と圧力容器内の温度が上がっていくようすが伝えられました。

覆う水がなくなり、炉心が剥きだしになってもなお、なすすべありません。

核燃料をどうにか冷やさなければならない。17日になり、自衛隊が政府からの命により、ヘリコプターで原発ちかくの海水をくみあげ、3号機に対し、30トンの水を投下しました。テレビなどを通じて、そのようすを見た人もいるでしょう。

しかし、放射線が強いため、ヘリコプターを核燃料に近づけることができません。投下した水は、原発の上空で、風に吹かれて霧雨のようなるのみ。この作戦も、報道に触れていた多くの人に「人間のなすすべのなさ」を感じさせるものだったにちがいありません。結局、放水の効果がどのくらいあったかはわかっていないといいます。

福島原子力発電所事故が「ウルトラマン」と異なるのは、創作のできごとでなく事実だったこと。そして、怪獣の襲来という不可抗力的な状況でなく、人間そのものが招いた状況だったことです。

こうした「なすすべのなさ」の実感というのは、すくなからずその人にとって、人間の技術利用に対する考えかたを改めたり定めたりするものかもしれません。

参考資料
円谷プロダクション「科学特捜隊」
https://m-78.jp/character/sssp/
東京電力「福島第一原子力発電所1〜3号機の事故の経過の概要」
https://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/outline/2_1-j.html
2021年3月30日「『原発に水を入れろ』決死の放水 舞台裏でいったい何が…」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210330/k10012942471000.html
| - | 19:37 | comments(0) | -
下調べして旅先を訪れるからこその感じや気づきを得られる

写真作者:fdecomite

旅のしかたとして、「現地を下調べせず、訪れてみての感じや気づきを大切にする」というものがあります。

これから訪れるところを調べてしまうと、いざ訪れたとき「ガイドブックで見たとおりだ」と、いわば答えあわせの旅のようになってしまうため、現地を訪れる趣がなくなる、もしくは薄れるというわけです。

しかし、下調べをしたからといって、訪れてみての気づきや感じが減るかというと、そうともいえないのではないでしょうか。むしろ、下調べをしておいたからこそ得られる気づきや感じがあるのではないでしょうか。

たとえば、旅先にあるという遺構について、だれがどのようないきさつでつくったものかを下調べするとします。そのうえで、実際に旅に出て、その遺構を訪れるとします。

その場所に立つとどうでしょう。いまは遺構となっているその建てものをつくった人物がその当時に見ていたであろう光景を思いうかべることができます。遺構となっているレンガや石垣の積みかたの妙に気づくことができます。

下調べせず、その場に行って、そこではじめて遺構があると知ったとしたら、そこまでの感じや気づきを得られないのではないでしょうか。そもそもそこにそうした見る価値のある遺構があると気づかないことさえありえます。

下調べをせず旅先を訪れたときの感じや気づきとおなじくらいの感じや気づきを、下調べをして旅先を訪れたときも得られるものです。感じや気づきの質はすこし異なるかもしれませんが。
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1,435ミリメートルに「安定感」覚える人も

軌間1,435ミリメートルの鉄道

日本の鉄道のおもな軌間には、1,067ミリメートルと1,435ミリメートルのものがあります。JRの在来線などでは1,067ミリメートルが使われ、新幹線や一部の私鉄や路面電車などでは1,435ミリメートルが使われています。

幅の差は368ミリメートル。軌道にあらためて注目してみると、明らかにちがいがわかります。

世界的には1,435ミリメートルの軌間を「標準軌」とよび、1,067ミリメートルのほうを「狭軌」とよびます。しかしながら、日本では1872(明治5)年、当時の新橋駅と横浜駅のあいだで開通した官営鉄道の時代から1,067ミリメートルが採られていたため、こちらのほうを標準的に考える向きもあるようです。一説によると、山がちな日本では急勾配や急曲線な線形で線路を敷かねばならず、狭い1,067ミリが選ばれたともいいます。

しかし、感覚的には、1,435ミリメートルのほうが幅広く安定感があり、そこから安心感さえ覚える人もいるのではないでしょうか。そう感じる人のなかには、「地に足がついたような走りかたを覚える」と言う人もいます。

逆にいえば、軌間1,067ミリメートルの線路のうえを走る列車は、どこか不安定さを感じるという人もいるでしょう。もちろん、1,067ミリメートルでも安全性は確保されていて、たとえばかつてのJRの特急「はくたか」は、軌間1,067ミリメートルのうえを時速160キロメートルの最高速度で走っていました。

鉄道では、1,435ミリメートルや1,067ミリメートルのように、軌間の種類が定められているため、路線や鉄道会社をまたいでの直通運転ができるわけです。「線路は続くよどこまでも」と歌われるのは、こうした規格があるからといえます。

参考資料
日本民営鉄道協会「民営鉄道のレールの幅は、どの鉄道会社も同じなのですか?」
https://www.mintetsu.or.jp/knowledge/faq/19.html
西野法律事務所「線路の幅」
https://www.nishino-law.com/publics/index/22/detail=1/b_id=46/r_id=1031
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人工知能規制法に合意済の欧州、指針さえ未決定の日本

写真作者:托马斯

欧州は、環境保全のための規制に先進的であることで知られていますが、人工知能の利用をめぐる規制でもほかの地域より進んでいます。

2023年12月、欧州連合は、危険の段階ごとに人工知能の利用を規制し、違反に巨額の制裁金を科す法案を大筋で合意したと伝えられました。欧州委員会委員長のウルズラ・フォンデアライエン(1958-)は、「人工知能規制法は世界初だ」と歓迎しているといいます。

欧州の人工知能規制法の基本にあるのは、人権や自由の確保を最優先すべきというもの。人工知能によって、これら人権や自由を侵されてはならないという考えだともいえます。

規制のしかたを分ける「危険の段階」とは、危険度の高いほうから順に「許容できない危険」「高い危険」「限定的な危険」「最小の危険」という4段階。

たとえば、「許容できない危険」には、人の生命や基本的人権に直接的な脅威をもたらすと考えられる人工知能系がふくまれます。この規制法では、これらの人工知能系を禁止すると定めています。

また、「高い危険」には、人工知能による雇用・労働者の管理などがふくまれます。規制法では、要件と事前適合性評価の準拠を条件としています。つまり、特定の条件を満たし、あらかじめ利用は妥当と評価を受けたものにかぎって使ってよいと定めています。具体的な要求事項としては「危険管理過程を確立して実装すること」や「適切な透明性確保や利用者への情報的興をすること」などがふくまれます。

これらの禁止や規制の対象は、欧州連合圏に投入される人工知能とその提供者、また展開者です。欧州連合内にて、人工知能をもちこんだり使ったりするという場合、日本人も関係なしとなりません。

では、その日本での人工知能規制をめぐる制度づくりはどうかというと、2023年12月、日本政府が開発や利用に関する指針案を示しました。人工知能を活用する人が守るべき原則として「人間中心」「安全性」「プライバシー保護」などの10原則を掲げます。2024年3月までに正式決定するとしていますが、3月8日の時点ではまだ正式決定の発表がありません。

欧州で規制法に合意と伝えられるなか、日本は指針案を示すにとどまっていることから、進捗度が大きく異なっていることがわかります。

参考資料
NHK NEWS WEB 2023年12月9日「EU AI利用などの規制法案 大筋合意 委員長“世界で初めて”」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231209/k10014283091000.html
PWC「欧州『AI規則案』の解説」
https://www.pwc.com/jp/ja/knowledge/column/awareness-cyber-security/generative-ai-regulation03.html
読売新聞オンライン 2023年12月5日デジタル規制論の第一人者、日本国内のAI規制は『消極的で欧米から遅れ』と指摘…広島プロセスは『G7を主導』と評価」
https://www.yomiuri.co.jp/economy/20231205-OYT1T50020/
毎日新聞 2023年12月22日「AI、事業者向け10原則 規制と競争 日本、攻勢なるか 政府指針案」
https://mainichi.jp/articles/20231222/ddm/002/010/072000c
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吸盤の器に油で「どっしゃーん」知らず

元写真作者:Trevor Mattea

台所の壁の金属板に吸盤つきの留め具をはって、お玉やおろし金などを引っかけている人も多いことでしょう。

ところが、金属板の表面が汚れていたり、引っかけるものが重すぎたりすると、吸盤が耐えられなくなり、外れてしまいます。

「どっしゃーん」

夜中などに、このような音がして驚くといったことがあります。

吸盤のはりつきをよくするのに、吸盤の器に油を塗るという手があります。これは、吸盤がはりつくしくみを考えると理にかなった手といえます。

吸盤がはりつくのは、外側から大気圧におされるから。大気圧とは、空気のもっている圧す力のことです。空気のあるかぎり、私たちのからだも、ハスの上のカエルも、そして吸盤も、つねに大気圧におされています。

とはいえ、ただ単に吸盤を机のうえに転がせておいただけでは、吸盤は吸着しません。金属板などの平面のものに対し、吸盤を指で押すなどして、吸盤の器内の空気を除くことで、吸盤は吸着します。これは、吸盤の内側からの大気圧がほぼなくなり、吸盤にかかるのはもっぱら外側からの大気圧のみとなるから。

吸盤がとれてしまうとすれば、吸盤の外側だけでなく内側からも大気圧が生じてしまうことが原因のひとつとなります。金属板の表面に汚れなどの凹凸があると、そこから吸盤の内側に空気が入りこみ、内側からの大気圧が生じてしまい、吸盤がとれてしまうというわけです。

そうとあれば、吸盤の内側に空気を入れなくすることが、吸盤のはりつきをよくする手となります。吸盤の器に油を塗れば、吸盤の内側に空気が入りづらくなります。油でなく水でもよいかもしれませんが、水のほうが蒸発しやすいため、水より油のほうが向いています。

油を吸盤の器に塗って、吸盤を金属板などに指で押すと、しばらく油の滑りやすさによって吸盤は動きやすくあります。このときまだものを引っかけないほうがよいでしょう。しばらくすると、吸盤がしっかり吸着するので、あとは「どっしゃーん」知らずの生活を送るのみです。

参考資料
テレビ大阪 かがくdeムチャミタス! 2015年2月13日「人は天井にぶら下がれる? 吸盤で大実験!!」
https://www.tv-osaka.co.jp/ip4/muchami_smp/housou2015/1237604_9347.html
中京テレビ でんじろう先生のはぴエネ! 2015年6月27日「吸盤がくっつくワケ」
https://www.ctv.co.jp/hapiene/program/20150627/index.html
| - | 21:43 | comments(0) | -
書評『京都の平熱』
原本は2007年刊。文庫本は2013年刊。文庫本の刊行から10年以上が経ちますが、本に出てくる店の多くはいまもやっています。

『京都の平熱 哲学者の都市案内』鷲田清一著、写真・鈴木理策、講談社学術文庫、2013年、274ページ


とくに京都の街では、初めての店に入るのに勇気がいる。店から「いらっしゃい」と招いてくれる雰囲気はなく、店のなかで顔なじみだけで仲よくしていそう。「一見さんお断り」の店も多い。となると、気軽に入りやすい、イノダコーヒー、餃子の王将、天下一品へ、となってしまう。

「よそ者」の多くが、京都の人たちに「すこし距離を置かれている」と感じるとしたら、その感じはどこからくるのだろう。

本書『京都の平熱』にその明らかな答えがある。

著者は、いわずと知れた日本を代表する哲学者のひとり。京都の佐女牛井町で生まれ育ってきた。西本願寺から堀川通を越えた北西、いまロイヤルホストが建っている一角だ。

京都の人が、京都市営バス「206番」の進む道に沿って、「平熱」の京都を案内する。京都駅、祇園、出町、北大路烏丸、大宮などを経て、京都駅に戻ってくる。風俗やファッションへの眼ざしから「ピンク映画館」や「京の着倒れ」に話は及ぶし、哲学者になる思慮深さで「外の世界」に通じる京都の「孔」の存在を論じる。

京都の人たちが、外の人たちに「距離を置く」理由を、こう説く。

為政者たちにとって京は戦と支配の地だった。帝のすまうこの地で、足利幕府の統治、応仁の乱、豊臣家そして徳川家の支配、新撰組の戦いといった具合に、戦と支配がつづいてきた。

これは、町衆からすればえらい話だ。つぎつぎ代わる為政者から支配を受け、戦や乱が起きれば家を焼かれるのだから。時の為政者につこうものなら、つぎの政変で家が滅びる……。

「外部からの支配者には従わざるをえないが、接近しすぎるのはもっと危ない。それが身に沁みているから、外からやってきたひとには一定の距離を取る。内側を見せない」

京都の人に「ぶぶ漬け、どうどす」と勧められたら、「そろそろお帰りください」の意味。この屈折した話法が、まことしやかながら、まったくの虚言とならないのも、「『弱い』者の自衛手段」と考えれば合点がいく。

平安時代から庶民が重ねてきた京の暮らしを、現代の京にゆかりある庶民がその視線で描く。結果、名所を案内するガイドブックとまったく趣の異なる「都市案内」となったわけだ。

『京都の平熱』はこちらでどうぞ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4062921677
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暗箱の象徴だった人工知能に透明箱あらわる

画像作者:justin lincoln

ひと昔まえ、あるホームセンターが人工知能を使ってみたところ、「店内の高感度スポットはここです」と示され、そこに店員を配置すると、客単価が15パーセント上がったという話がありました。

なぜ、そこに店員を配置するとよいのかわからない。でも、とにかく、そこに店員を配置したら、めざましく売りあげが改善したという話です。

この話にあるように、人工知能は「暗箱」の象徴となってきました。暗箱とは、使いかたはわかれど、しくみはわからない装置のこと。「ブラックボックス」ともいいます。

ただ単によい結果を得たいだけなら、暗箱の人工知能を使えばよいのでしょう。しかし、そうなった理由を求められるとなると、「とにかく人工知能がそう言ってくれたんだもの」だけでは、説明できたとはいえません。

人工知能を使って得た結果について、どうしてその結果に至ったのかを聞かれる場面はいろいろありそうです。社長から「ライバル企業に圧勝できたのは、どういうわけだ」と求められたり、あるいは被雇用者から「どうして私は左遷される羽目になったのですか」と迫られたり。

こうしたことから、「透明箱」型の人工知能が求められています。

透明箱とは、どうしてそうなるのかがわかる装置のこと。「ホワイトボックス」ともいいます。人工知能でいえば、どうしてその判断に至ったのかの内訳を知ることができるものが透明箱型の人工知能です。「説明可能な人工知能」(XAI:eXplainable Artificial Intelligence)ともいいます。

透明箱型人工知能を使った事例はすでに世に見られます。とくに「ホワイトボックス型AI」と称される日本電気の透明箱型人工知能サービスは、やたらとインターネット検索に引っかかり、活用事例が示されます。「いつもの状態」を見える化することで異常な予兆を検知する「インバリアント分析」という透明箱型の人工知能技術を使って有人宇宙船の開発をしているロッキード・マーティンの事例。また、多種のデータから自動的に規則性を見いだす「異種混合学習」という透明箱型の人工知能技術を使って、経営層らに「なぜそうなのか」説明できるようになったコニカミノルタの事例などなど。

しかし、透明箱のなかを見ることができたとしても、そこでなにがどうなっているかを理解するには、かなりのリテラシーないし専門知識が必要そうです。

たとえば、野村総合研究所の記事では、「インテグレーテッド・グラディエンツ」「ライム」「SHAP」といった、説明可能な人工知能での実際の説明画面が見られます。説明そのものは、記事の解説があればわかるという人もいるでしょうが、その説明のしくみを理解するにはそれぞれ、「ベースライン」「勾配」、「解釈が容易なモデルでの局所的な近似」、「Shapley値」といった概念を承知することが大切そう。だれもかれもが、透明箱型の人工知能がなにを説明しているか読みとけるといったことではなさそうです。

透明箱型の人工知能については、人工知能の判断を説明できるようにするという考えかたはよいものといえます。性能面でも、暗箱型の人工知能にくらべて精度が落ちない場合もあるといいます。

ただし、箱を透明にしたところで、利用者みながその箱の中身を理解できるのかという課題がありそうです。「解説代」や「翻訳代」をふくめ、開発企業の儲けになるのでしょう。

参考資料
ダイヤモンドオンライン 2013年5月7日「ここまで来た、ビッグデータ活用 課題を克服し、収益向上を実現するために」
https://diamond.jp/articles/-/35105
改訂新版 世界大百科事典「ブラックボックス」
https://kotobank.jp/word/ブラックボックス-8302
旭リサーチセンター「『なぜ?』に答える説明可能AI」
https://arc.asahi-kasei.co.jp/member/watching/pdf/w_310-01.pdf
日本電気「NEC White Box型AI事例集」
https://jpn.nec.com/ai/pdf/White_Box_AI_2023.pdf
日本電気「インバリアント分析」
https://jpn.nec.com/ai/analyze/invariant.html
NRIセキュア ブログ 2022年4月8日公開「そのAIの思考、説明できますか? いま求められるExplainable AI(説明可能なAI)」
https://www.nri-secure.co.jp/blog/explainable-ai
ハーバードビジネスレビュー 2023年7月18日「AIの精度と透明性は両立する」
https://dhbr.diamond.jp/articles/-/9714
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痕跡ある記憶を、再生過程を経て想起する

写真作者:Paul VanDerWerf

人は、機械で撮影したり録画したりしたものを媒体にデータ化して保存し、見聞きしたいとき再生するということをよくやっています。写真機で撮った写真を紙焼やコンピュータ画面で見たり、録画機で録画した映像をテレビ画面で見たりといったことです。

しかし、人は、こうした機械や媒体を使わずとも、からだを使って「保存」し、「再生」しています。みずからの体験したことを心のなかに「保存」し、思いだしたいとき、あるいは思いだしたくないときも、脳裏で「再生」する、といった具合に。

なにか体験したことを記憶しているということは、なにかしら脳にその体験のまえとあとで「ちがい」が生じていると考えられます。ドイツの進化生物学者リチャード・ゼーモン(1859-1918)は、この「ちがい」は物理的な痕跡として脳に残るのだとし、それを「記憶痕跡」ということばで表しました。「エングラム」ともいいます。

機械を使って撮影したり録画したりしたものを保存するとき、アナログ的はフィルムに光のあたったところを色ありにする現像をしたり、デジタル的には0と1の並びを変えるデジタル保存をしたりします。このときの、色がついた跡や、0と1の並びが変わった跡が、脳でいえば記憶痕跡にあたるというわけです。

記録や記憶をしたものは、再生されることで、その記録したり記憶したりした目的がかなうことになります。写真や映像の記録いえば、フィルムやデジタルデータから写真や映像を見られるようにすることが再生です。いっぽう、脳の記憶でいえば、記憶されたものから想起することが再生となります。

ゼーモンは、脳に「記憶再生過程」とでもいえるこの再生のみちすじがあるとも考えました。このみちすじを「エクフォリー」ともいいます。

つまり、人における像の再生である想起とは、脳において「記憶痕跡」として形づくられる記憶を解錠する「記憶再生過程」を通じてこそなされる、というわけです。

ゼーモンの唱えた、記憶痕跡の説は、いまおおむね正しかったと考えられています。なぜなら、体験や学習をすると脳の神経細胞と神経細胞のあいだのシナプスというつなぎ目が強化されるという現象があるとわかったからです。

おなじくゼーモンの唱えた記憶再生過程の話は、正しいかどうかというより、当然あるといえます。なぜなら、だれもが経験として感じられるように、人は実際なにかを想起するとき、記憶を再生する過程を経ているからです。記憶再生過程については、記憶痕跡があるかどうか論じられる対象になるのとちがって、必然的にあるといえるものではないでしょうか。

記憶再生過程については、「あるかどうか」より「記憶痕跡とどう作用しあうか」が論点となりそうです。「想起のされかた」は時と場合により異なるものであって、では、どうして時と場合により異なるかといえば、記憶再生過程と記憶痕跡の相互作用のしかたに左右されるからです。

参考資料
ブリタニカ国際大百科事典「エングラム」
https://kotobank.jp/word/エングラム-38069
ブリタニカ国際大百科事典「記憶痕跡」
https://kotobank.jp/word/記憶痕跡-49920
脳科学辞典「記憶痕跡」
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/記憶痕跡
心理学辞典「エクフォリー」
https://sakura-paris.org/dict/心理学辞典/content/164_434
関口理久子「自伝的記憶と情動 情動的自伝的記憶の神経学的基盤」
https://core.ac.uk/download/pdf/22872019
Jung Hoon Jung et al. “Examining the engram encoding specificity hypothesis in mice”
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/36990091/
LOTERRE “ecphory”
https://skosmos.loterre.fr/P66/en/page/-XXG0MXW3-2
福元圭太「記憶、エングラム、エクフォリー ヘーリングからゼーモンへ」
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/4773108/48_p017.pdf
科学研究費補助金 2021年度実施状況報告書「物質に宿る記憶 リヒャルト・ゼーモンの『ムネーメ理論』研究」
https://kaken.nii.ac.jp/ja/report/KAKENHI-PROJECT-20K00499/20K004992021hokoku/
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ユニクロ傘、かゆいところまであとすこし


さまざまな道具のなかで、傘の進歩はわりかし遅いといわれます。

そのなかでも、折りたたみ傘の誕生は、傘の歴史では画期的ではないでしょうか。生みの親はドイツの技術者ハンス・ハウプト(1898-1954)で、1932年に特許を取得したとされますが、日本では1890年代、浦岡松次郎、高橋寛輔、小畠幾次郎といった人物が「蝙蝠傘」とつく名で特許を取得している記録が残されています。

2020年代、折りたたみ傘の革新といったふうに話題になっているのが、ユニクロの「収納袋をなくさない折りたたみ傘」です。

折りたたみ傘に収納袋はつきもの。しかし、収納袋はなくしやすいもの。折りたたみ傘を使うとき、たいていポケットに入れることになりますが、ポケットから財布や手袋を出すなどしているなかで、いつのまに収納袋をぽろっと落とすこともあります。

そこで、ユニクロは、傘本体のゴムストラップと収納袋のつまみとを、嵌合爪でかちっとはめられる折りたたみ傘をつくり、売っています。


傘本体と収納袋が嵌合爪ではまったところ

この折りたたみ傘について、インターネット上で「工夫がありがたい」「嬉しい」「おすすめ」などの声があがっており、おおむね好評のようです。

ただし、改良の余地はあるかもしれません。ユニクロのこの折りたたみ傘のとある使い手は、つぎのように話します。

「収納袋をポケットに入れて、どこかで落としてなくしてから、この機能の大切さに気づき、もう1本買うことになりました。まあ、それは置いておくとして、寒い季節、かじかんだ手で傘と収納袋をかちっとはめるのは、けっこうたいへんに感じます」

たしかに、冷たい雨や雪が降るなか、嵌合爪でかちっとはめるのは、手間のかかる作業かもしれません。手袋をしている人は、手袋をはめたままはめるのは難儀だし、手袋をとってからはめるのも手間を要します。手袋をしていない人は、手がかじかんでいるでしょうから、やはりすこしたいへんそうです。

「使い手として、改良点はわかりきっています。それは二つ。一つは、嵌合爪を大きくすること。もう一つは、嵌合爪を裏表どちらからでもはめられるようにすることです」

現状での嵌合爪の大きさは、7ミリメートル四方ほど。この嵌合爪がたとえば倍の14ミリメートル四方ぐらいの大きさになれば、手袋をしたままでも、かじかんだ手ででも、はめやすくなるというわけです。

また、現状での嵌合爪は、はめるとき雄と雌の表裏を合わせないとはめることができません。使い手は、どっちが表か裏か把握しているわけでないので、一発ではまるかは「半か丁か」といったところ。もし、表からでも裏からでも、はめることができれば、かならず一発ではめられることになります。

この使い手に指摘されるまでもなく、ユニクロの意匠担当者は、この改良点をわかっているかもしれません。では、なぜ改良しないかといえば、嵌合爪を大きくするのも、表裏いずれからでもはめられるようにするのも、どちらも費用がかかるからでしょう。

「すこしは値がはってしまっても、とことんまで機能性を高めていったらいいと思いますよ。ここまで便利さを感じさせる芽が生えているのなら、便利さを究極まで追いもとめていったらよろしい」

かゆいところに手が届くまで、もうあとすこしかもしれません。

参考資料
THE umbrella WORKSHOP 2019年9月 “History of the Umbrella”
https://www.umbrellaworkshop.com/umbrellas/history-of-the-umbrella/
傘全集「折りたたみ傘について その歴史や種類を調べてみた」
https://kasazenshu.acase.co.jp/umbrella/foldingumbrella/
ユニクロ「UVカットコンパクトアンブレラ(親骨55cm)」
https://www.uniqlo.com/jp/ja/products/E433776-000/
ロケットニュース24 2019年10月29日「ギミック満載! 私がユニクロの折り畳み傘に惚れ込んだ6つの理由 / 傘骨が回転して衝撃を受け流す…など」
https://rocketnews24.com/2019/10/29/1284170/
| - | 21:03 | comments(0) | -
日本の貴族の住まい、寝殿造から書院造へ
日本の古くからの住まいのつくりとして、寝殿造と書院造があります。大きくは、より古くからあった寝殿造が発展して、書院造が生まれたとされます。

寝殿造は、平安時代、つまり8世紀終わりからのおよそ400年間のうち、後期に成立した住まいのつくり。住まいといっても民衆でなく貴族のですが。「寝殿」とは、日ごろの寝起きなどに使われる殿ないし空間のこと。この寝殿を南向きに建て、その東・西・北に「対の屋」とよばれる家族の住まいを建て、そのあいだを廊下で渡しました。

寝殿造の参考になる建てものとして挙げられるひとつが、奈良・法隆寺山内にある法隆寺の聖霊院です。もともと聖徳太子をまつる仏堂として建てられました。


法隆寺の聖霊院
写真作者:Ktmchi

その後、書院造とよばれるようになる住まいのつくりが現れます。14世紀からの室町時代から17世紀末終わりまでの桃山時代にかけて完成したとされます。日本における「書院」とは、邸宅での居間と書斎を兼ねた空間のこと。ただし、書院造の文脈では、武家における儀式や客対応など座敷といった意味あいがあります。

現代の建築家だった堀口捨己(1895-1984)は、書院造が寝殿造とちがう点を、「母屋(もや)と庇(ひ)の区わけがなくなったところにある」と述べました。ここでの母屋とは、寝殿のまさに寝室にあたる主の空間のこと。その母屋のまわりを庇とよばれる空間が囲んでいました。書院造では母屋と庇が分かれてないというわけです。堀口はほかに、間どりが細かくなり、組みたてが複雑になった点や、畳敷詰めになった点などをあげます。

京都・銀閣寺町にある東求堂(とうぐどう)の一室に、一間幅の書院が設けられた4畳半の「同仁斎」があり、これが書院造の源流とされます。同仁斎は、室町幕府八代将軍だった足利義政(1435-1490)の書斎でした。


銀閣寺の東求堂。なかの一室が同仁斎
写真作者:Makimoto~commonswiki

寝殿造が発展して、書院造が生まれたといっても、その移ろいは急なものではありません。平安時代のあと、鎌倉時代に入り、寝殿造が徐々に書院造に近づいていったとされます。もちろんその移ろいをつくったのは人間ですが。

寝殿造より書院造のほうが実用的とされます。ここから、寝殿造での住まいは、実際に住んでみるとなると大変なところがあり、より日々の住まいに向いた造に移っていったとみることができます。

参考資料
精選版 日本国語大辞典「寝殿造」
https://kotobank.jp/word/寝殿造-82294
ウィキペディア「寝殿造」
https://ja.wikipedia.org/wiki/寝殿造
精選版 日本国語大辞典 「書院造」
https://kotobank.jp/word/書院造-78777
精選版 日本国語大辞典「書院」
https://kotobank.jp/word/書院-78775
ウィキペディア「慈照寺」
https://ja.wikipedia.org/wiki/慈照寺
名建築みがき隊 2019年10月25日「国宝 東求堂 同仁斎」
http://migaki-tai.org/archives/2636
京都市情報館「寝殿造から書院造へ」
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/pdffile/bunka06.pdf
ウィキペディア「中世の寝殿造」
https://ja.wikipedia.org/wiki/中世の寝殿造
| - | 11:54 | comments(0) | -
3月の「もうこんな経つのか」感は気のせいにあらず


このブログでは、2月が終わり3月が始まるこのころ、毎年のように、おなじことを伝えつづけています。それは、「2月の短さは、3月にも反映される」ということ。

2月は28日か29日までです。ほかの月が30日か31日までなので、2月はほかの月より1日から3日、短い。

この短さを、多くの人が「2月の話」と考えがちですが、2月の短さは3月にも影響をあたえうるのです。

たとえば、1月15日から2月15日にかけての1か月は31日ありますが、2月15日から3月15日にかけての1か月は、うるう年の2024年であれば29日、うるうでない年では28日しかありません。

多くの人が、月ごとに締めきりのある仕事をしているのではないでしょうか。たとえば、毎月15日に納品をするといったように。この場合、3月の締めきりは、ほかの月より1日から3日、早くやってくるわけです。つまり、2月の短さを、3月に対処することになります。

3月が始まって数日後、たとえば来週の金曜の3月8日ごろ、「あれ、3月が始まったと思ったらもう8日なのか」と感じるかもしれません。これは、けっして気のせいではありません。ほかの月が始まるのより、3月が始まるのが1日から3日、早いからです。うっかり気を抜いていると、「あれ、もうこんな経つのか」となりかねません。
| - | 06:38 | comments(0) | -
「エネルギーをもらえて、元気になりました」と分子

よく、元気な人と話したあと、「きょうはエネルギーをもらえて、私も元気になりました」と言う人がいます。ほんとうでしょうか。むしろ、愛想笑いを強いられて、元気を失くすということはないでしょうか。

人と人の関係は置いておくとして、分子と分子の関係では、「エネルギーをもらえて、元気になる」といい表せる現象が起きることがあります。

その現象を「蛍光共鳴エネルギー移動」(FRET:Fluorescence Resonance Energy Transfer)といいます。「蛍光」とあるとおり、蛍光をもたらす分子で起きます。

蛍光とは、ある物質が光や電磁波などを照射されたとき光を発する現象のこと。たとえば、「サイリウム」という商品名で知られるケミカルライトは、蛍光の現象を利用してあたりを光らせる道具です。


ケミカルライト
写真作者:nubobo

蛍光をもたらす分子は、強いエネルギーを受けとって、それより弱いエネルギーを蛍光として放ちます。これは、ある波長の光を受けとって、それより長い波長の光を蛍光として放つといいかえることができます。

たとえば、蛍光分子であるフルオレン誘導体は、蛍光分子なので光を吸収しますが、そのときのその光の波長の頂は380ナノメートルあたり。いっぽう、フルオレン誘導体が蛍光を放つときの、その光の波長の頂は420ナノメートルあたりにあります。

また、べつの蛍光分子アセトンの、黄色蛍光ペンに使われるときの光を吸収する波長の頂は420ナノメートルあたり。いっぽう、蛍光を放つときのその光の頂は、500ナノメートルあたりにあります。

このように、蛍光を起こす分子は何種類もあり、それぞれに異なる「吸収波長と蛍光波長」があるわけです。ある蛍光分子が、ある特定の波長の光を吸収するとしても、べつの蛍光分子がおなじ波長の光を吸収するとはかぎりません。蛍光波長についてもおなじです。

では、異なる蛍光分子どうしの距離を、うんと近づけたらどうなるでしょう。

たとえば、Aという蛍光分子は、波長380ナノメートルの光をよく吸収し、波長420ナノメートルの光をよく蛍光として発するとします。いっぽうBという蛍光分子は、波長380ナノメートルの光を吸収しないものの、波長420ナノメートルの光であればよく吸収し、波長500ナノメートルの光をよく蛍光として発するとします。このAとBの距離をうんと近づけると、どうなるでしょう。

Aが発する波長420ナノメートルの蛍光をBが吸収し、Bは自分の発する波長500ナノメートルの蛍光に使うことができるはずです。つまり、Bは、Aが発する蛍光のエネルギーを、自分が蛍光を発するためのエネルギーとして横どりできるはずです。

これをエネルギーの立場で見ると、Aが蛍光を発するために使われるはずだったエネルギーが、Bが蛍光を発するために使われる、つまりエネルギーが移動することになります。この移動こそが、蛍光共鳴エネルギー移動です。

発光する生きものとしてよく知られるオワンクラゲは、青色の光を発光するしくみと、緑色の光を発光するしくみの両方をもっています。しかし、人が見るのはたいてい緑色の光のみ。これは、青色の光を発するしくみが放った光のエネルギーを、緑色の光を発するしくみが奪ってしまうからです。


オワンクラゲ
写真作者:Hiroyuki Yamaguchi

このように、吸収波長や蛍光波長が異なる蛍光分子のあいだでは、「きょうはエネルギーをもらえて、私も元気になりました」というやりとりが、起きているわけです。ただし、「私“も”元気になりました」でなく「私“は”元気になりました」が正確ないいかたといえましょう。二つの蛍光分子のうち、もういっぽうはエネルギーを奪われるわけですから。

参考資料
黄華堂「ケミカルライトってどうして光るの?」
http://www.oukado.org/minomawari/002.html
NIMSバイオ分析共用施設「蛍光寿命測定」
https://www.nims.go.jp/mmsp/achieve/data/06/FRET.html
実験医学online「蛍光共鳴エネルギー移動」
https://www.yodosha.co.jp/jikkenigaku/keyword/2675.html
西條純一「有機物性化学 第5回 発光」
https://www.molecularscience.jp/lecture/OrgPhysProp05.pdf
村中厚哉「有機化合物の構造と色」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kakyoshi/65/5/65_246/_pdf
光科学及び光技術調査委員会「分子レベルでの駆け引き 蛍光共鳴エネルギー移動とその生物応用」
https://annex.jsap.or.jp/photonics/kogaku/public/34-10-kobo.pdf

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ものに色があるのは、そこに発色団があるから

写真作者:barbara_pounds

どうして、多くのものに色があるのでしょう。

光の観点でこれを説くと、「ものはある特定の色の光を吸収するので、その補色の光が反射されるから」となります。補色とは、混ぜあわせると白色光になる関係にある二つの色、あるいはそのうちの一方の色こと。

たとえば、トマトの実にあるカロチノイドという色素は、決まって緑色の光を吸収するので、緑色の補色にあたる赤色の光がカロチノイドから反射します。これを見るヒトの眼と脳には赤く感じられるわけです。なお、カロチノイドには複数の種類があり、トマトのカロチノイドにはリコピンのよび名がついてます。

では、物質の観点ではどう説けるでしょうか。いろいろな答えかたがあるでしょうが、「発色団があるから」というのが、そのいろいろな答えのひとつです。

発色団とは、そのものが色をもつために必要とされる原子団、つまり原子の集まりのこと。たとえば、上にあるように、カロチノイドは赤色の色素ですが、カロチノイドは発色団であるともいえます。また、葉っぱの色といえば緑色ですが、その緑色をもたらすクロロフィルaも発色団です。

発色団になることのできる原子団には共通の特徴があります。それは、長い共役二重結合をもつというもの。共役二重結合とは、2個の原子がおたがい手を差しだして結ばれている二重結合が、「二重結合-単結合-二重結合-単結合-二重結合……」といった具合にひとつおきに生じているものをさします。原子団が、この共役二重結合を長い距離もっていると、差しこんでくる可視光の電子を励起させることができるようになります。

可視光の電子が励起するということは、その可視光がその原子団によって吸収されるということ。つまり、トマトでいえば緑色の可視光が吸収されます。これで緑色の補色である赤色が発せられるわけです。

「発色団があるからこそ、ものが色をもてるのだ」という考えは1876年、ロシア出身でドイツなどで活躍した化学者オットー・ニコラウス・ウィット(1853-1915)が唱えたものです。ウィットの考えは、染料化学を発展させるきっかけとなりました。

その後、物理を微視的に捉える量子力学などの研究分野が発展し、いま発色団は、「光を吸収する原子または原子の集まり」のように説明されています。

参考資料
有機材料科学 2017年10月10日「赤い化合物は赤い光の吸収波長をもつか?」
http://www.ecm.okayama-u.ac.jp/organic/2017/10/10/赤い化合物は赤い光の吸収波長をもつか?/
日本大百科全書「発色団」
https://kotobank.jp/word/発色団-115088
岡野俊行「光と生物 発色団と光受容タンパク質の機能」
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書評『聖徳太子』
「小中学生から大人世代まで、幅広く読める入門新書」をうたう岩波ジュニア新書の一冊。専門性はかなり高いもので、「大人向け」と捉えてよいかもしれません。

『聖徳太子 ほんとうの姿を求めて』東野治之著、岩波ジュニア新書、2016年、228ページ


戦後の昭和のほとんどの時代にわたり、100円、1000円、5000円、1万円と各紙幣の「顔」になっていた聖徳太子(574-622)。それだけの「えらい人」や「すごい人」という印象をもつ人は、とくに昭和生まれの人に多いのではないか。本書は、書名にあるとおり、この聖徳太子なる人物の「ほんとうの姿」に迫るものだ。

著者は、日本古代史や文化財史科学を専攻する研究者。「以前、聖徳太子の人物像にせまる基礎作業として、伝記を考える上に欠かせない二、三の史料を取り上げて、その意義を考えた」と自己紹介する。

聖徳太子ほど生前も死後も、宗教におけるさまざまな開祖、時々の為政者、また広く庶民に信奉された人物はいないだろう。かえってそれが人物像を霞ませることにもなっている。

その点、著者は史料、つまり過去の記録にあたり、その史料の信憑性をできるだけ吟味したうえで、「ほんとうの姿」にせまろうとしている。そのため、超人的な逸話の紹介などはあまりなく、文献の記述の紹介を主とする本となっている。

聖徳太子が生きていたころの「最も信頼できる同時代の史料」として紹介し、しばしば引用するのが、法隆寺の金堂に祀られる本尊「釈迦三尊像」の背面に刻まれた「銘文」だ。621年12月に太子の母「鬼前太后」が亡くなったこと、そして太子をさす「上宮法皇」が病に倒れ、妃「干食王后」も揃って床に伏したこと、妃についで太子が亡くなり、残された子どもたちが、太子が浄土を往生するという願を実現しようと仏師にこの釈迦三尊をつくらせたことなどが刻まれている。

著者は、銘文の太子をさす「法皇」というよび名に着目する。経典では釈迦をさして使われるが、これが聖徳太子のよび名に使われていることから「(太子は)やはり仏教の造詣が、周囲の注意をひきつけてやまないほど、並はずれていたと考えねばなりません」と述べる。

いっぽうで、外交官としての太子像については、表だったものはなかったと推測する。小野妹子が最初の遣隋使から帰ってきた推古16年の朝廷の出迎えで、「聖徳太子は諸皇子の一人として列席していたに過ぎず、表だった役割を演ずることはなかったと見るべき」と述べる。

著者の太子像を凝縮した文がある。それは「偉人としての太子を認めることはしていません。しかし、なにもかも否定することには反対しました」というもの。これもまた、史実の分析を重ねてきた著者のいつわりなき心の結論なのだろう。

1400年以上も前の時代を生きた聖徳太子の実像を、客観的にせまるのにふさわしい一冊といえる。

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