科学技術のアネクドート

落ちつく中間点と落ちつかない中間点


一瞬にして終わるようなものでなく、ある程度じっくりと取り組むようなものでは、「中間点」が意識されます。

マラソンでいえば、折り返し地点が中間点になっている場合もあります。走ってきた選手は、中間点で折り返すと「あと半分だ」と思うわけです。

物書きにも中間点があります。「1万字を目安に書いてください」と言われた原稿で、5000字を書けば、「とりあえずは半分まで埋めた」となります。

江戸から京都まで東海道を旅していた昔の人も、中間点を意識していたかもしれません。宿場町では袋井あたりがそこになります。「あと半分だな、野次さん」「おう、北さん」と。

ものごとに始めと終わりがあれば、全体のうちの10分の1、5分の2、8分の5、12分の11といったように、それぞれの“地点”があるはずです。そのなかでも、中間点はより多くの人びとに意識されやすいものかもしれません。

まず、「半分まで来た」という実感が、人を落ちつかせるからです。半分まで来たということは、それまで経験したこととおなじ手間や時間を使えば終わりにたどり着けることになります。いままでの実感から、目標までにどのくらいの労力を使えば済みそうかが、とてもよくわかるわけです。

「ここまでで、5分の2か。ならば、あと1.5倍の作業をすればいいんだな」と考えるより「中間点か。ならば、あと同じだけ作業をすればいいんだな」と考えるほうが簡単なのでしょう。

さらに、「半分を過ぎたのだから、終わりまでの時間はあとは減っていくだけだ」という算段もつきます。これにより、もっと落ちつくかもしれません。

ただし、上にあげた中間点は、すべて「自分の行動により終わりまで近づく」種類のもの。これとは別に、「自分の意志に関係なく終わりが近づいてくる」種類の中間点もあるわけです。

たとえば国家プロジェクトはこの例でしょう。国の予算でおこわれるような事業には、「3年間で」や「5年間で」といった期限があります。その半分が過ぎると「中間評価」を受けることに。多くのプロジェクト参加者は、「もう半分が過ぎてしまった」と思うことでしょう。

こちらの中間点を意識しても、落ちつきはあまり得られないかもしれません。達成すべき目標は別にあるので、「あと半分」の中間点までさぼっていた人は、より気合いを入れなければならなくなります。つまり、「自分の意志に関係なく終わりが近づいてくる」中間点では、「あと同じだけ作業をすればいい」ということにはならないわけです。

「あと半分だ」と「もう半分しかない」は、微妙にちがうわけですね。
| - | 23:52 | comments(0) | -
試合の最中に“蛍の光”の曲

サッカーの試合には応援がつきもの。国際大会では、応援にもその国のスタイルが現れます。

日本は、歌劇「アイーダ」の「凱旋行進曲」を口ずさんだり、曲に合わせて「オー、ニッポン、ニッポン、ニッポン、ニッポン」と「ニッポン」を連呼したり。

「永遠のライバル」といわれる韓国の応援スタイルも日本と似たものがあります。太鼓で音頭をとりながら、韓国民謡の「アリラン」や、ベートーベンの「第五交響曲」の曲に合わせて、「大韓民国(テーハミング)」「コリア」「ハングル」といったことばを連呼します。

日本人にとってもなじみある曲が歌われているわけですが、その中でも、ひとつだけ日本人にとっては違和感を覚えるかもしれない曲があります。試合の最中に歌われる「オールド・ラング・サイン」です。

「オールド・ラング・サイン」は、日本では「蛍の光」という名前で知られています。百貨店やレストランの閉店時間を知らせたり、大晦日の紅白歌合戦の最後に歌手が歌ったり。日本のプロ野球でも、阪神タイガースの応援では、敵軍の投手が降板するときファンが「蛍の光」でお見送り。“お別れの歌”として定着しています。

いっぽう、サッカーの韓国戦では、この「オールド・ラング・サイン」の曲に合わせた歌が、「アリラン」や「第五交響曲」とおなじ並びで、試合の最中にふつうに歌われます。べつに対戦国の選手が退場するわけでもありません。

「オールド・ラング・サイン」は、もともとスコットランド民謡。日本のように、国によっては“お別れの歌”として歌われる場合もありますが、この歌の使われ方はそれだけではありません。

じつは韓国では、この「オールド・ラング・サイン」の曲が、国歌として使われていた時代があります。20世紀初頭、この曲に「愛国歌」という歌の歌詞が付き、これが国家として通用していました。その後、戦後になると、歌詞はそのままで、曲は『韓国幻想曲』を使うということが大統領令により定められました。

それぞれの国のなかで、「オールド・ラング・サイン」には、独自の歌詞がつき、歌うのにふさわしい場面がつき、歌への印象がついたわけです。世界の各国で発展する土台としての曲は、誰にとってもなじみやすいということなのでしょう。ちなみに作曲者は不明です。
| - | 23:36 | comments(0) | -
“地図”を手に入れた生命科学


方向音痴の人は、頭に地図を描くことが苦手といいます。いっぽう、方向感覚に長けている人は、「交差点があって道路があって、向こうに公園」という奥行きある風景を目にしたとき、無意識に頭のなかに平面地図を開いて「自分がいる位置はここだろうと」と推測するといいます。

頭に地図をなかなか描けない人は、「駅の南口を出て、商店街を進み突き当たりにコンビニエンスストアが見えてきたら右に曲がって、30メートル進んだら今度は左折して、さらに20メートル進んだ右手にある建物が事務所です。お待ちしています」という、言葉の情報が頼りになるかもしれません。

しかし、多くの人はことばで示されるよりも、地図で「この赤い目印のが事務所です。お待ちしています」と言われたほうがぴんと来ることでしょう。万一、道に迷ったときも、地図を見れば「あ、道から外れているな」とわかります。

実際の場所についてでなくても、全体の状況がどうなっているかを把握することは、「地図を描く」や「マッピングする」などと表現されます。その人が知りたい対象が全体の“どこ”にあるのか、この“地図”を参照にして調べるわけです。

「21世紀はバイオの時代」とよくいわれます。「20世紀は物理学の時代」ということばに対抗するもので、「バイオ」とは「生命科学」を指します。

「生命科学の進展がこれからさらに加速するだろうという」思いが「バイオの時代」にはこめられているわけですが、バイオの進展を加速するのに大きく関わっているのが「地図」です。

2000年に、人間のもつ遺伝情報の総体である「ヒトゲノム」がほぼすべて解読されました。ほかにも「チンパンジーゲノム」「ハエゲノム」「イネゲノム」などなど、いろいろな生物のゲノムが解読されています。

これは、それぞれの生物の遺伝情報についての「地図」がつくられたようなものと喩えられます。

たとえば、植物の研究者が「イネの背丈の長さに関係する遺伝子はどれなのだろうか」と思って調べようとするとき、「イネの遺伝情報についての地図」つまり、イネゲノムの情報がすべてわかっていれば、解明の時間は圧倒的に短くなります。

「ほかの草では、この遺伝子の部分が背丈を決めていたというじゃないか。だったら、イネゲノムでも似たような遺伝子の部分がそうかもしれないな」と目星をつけたうえで、地図からその該当部分を見つければよいのです。やみくもに遺伝子の最初のほうから一つひとつを「これかな、ちがうな、これかな」と調べていく必要はありません。

全体像を把握するために地図をつくる。その地図を広げて、つぎつぎと発見したことを地図の上に書き込んでいく。その地図を共有していく……。

21世紀に入り、こうしたことが本格的に行われるようになったため、生物学の進展は加速しています。
| - | 23:01 | comments(0) | -
「2010年問題」に“呉越同舟”も


その年に起きることが予想される問題を「何年問題」とよぶことがあります。1999年から2000年になるとき世界中のコンピュータが誤作動するのではと心配された「2000年問題」はその例です。ほとんどのコンピュータは問題を起こさず、2010年は杞憂に終わりました。

ことし2010年は、製薬業界で「2010年問題」が心配されています。

ほかの製品とおなじように、薬も企業が開発すると、特許をとって、その企業が開発の権利を独占したり、ほかの企業に売って儲けるなどします。こうした薬の特許が、米国などで2010年につぎつぎと期限切れとなります。

すると、その薬を開発した以外の企業もその薬を売ることができるようになります。これは後発医薬品とよばれるもの。大規模な臨床試験などの開発費が上乗せされないため、安い価格で売ることができます。

ちょうど2010年は、過去に開発された主力級の薬が特許を迎える件が集中する年にあたるのです。いままで会社の利益を確保していた薬の特許が切れてしまうため、「開発して販売する」という姿勢をとってきた製薬企業は、利益が減ってしまうことになります。

2010年問題は、あらかじめ予想はできたことですから、製薬企業も覚悟はあります。たとえば、製薬大手の武田薬品は、2011年に、米国で売っている潰瘍の薬や闘病病の薬の特許が期限切れを迎えます。しかし、対策は万全とはいかない模様。今年に入り、長谷川閑史社長は「万全の準備をしてきたつもりだが、残念ながら開発中止や大幅な承認延期を余儀なくされる例が続出し、現時点では十分な答えを描き切れていない」と話しています。

製薬会社の対抗策として、注目されているのが“合剤”です。病気に対する治療法はひとつだけではありません。そのため、カプセルの中に、これまでべつの薬としてあつかわれていた成分をまとめて入れて、「新薬ができました」として特許をとったり販売したりするわけです。カプセルに入れる薬は、これまでも使われていたので安全性の問題は少なく、認可は早めに下りるといいます。

たとえば、高血圧の薬は、これまで利尿薬、アンジオテンシンII受容体拮抗薬、カルシウム拮抗薬などが使われており、それぞれの薬は「この薬こそがよく効きます」とライバル関係でした。しかし、2010年問題を前に、つぎつぎとこれらの合剤が開発されています。“呉越同舟”といったところ。

薬業界に詳しい医師は、「高血圧、糖尿病、脂質異状症など、別の病気に見られていた生活習慣病を総合的に治療しようという動きがある。この表向きの動きに乗じて、製薬業界では高血圧の薬、糖尿病の薬、脂質異常症の薬を合剤にするような動きもある」と言います。

名前は「2010年問題」ですが、特許切れはそれ以降もしばらく続きます。そのため、世界的に製薬企業の合併が加速するのではともいわれています。

参考文献
薬事日報2010年1月22日「武田薬品・長谷川社長『答え描き切れていない』主力品の2010年問題は“急がば回れ”」
| - | 23:55 | comments(0) | -
“残された最後の国”いまだ批准なし


ことし(2009年)10月、名古屋で「生物多様性条約締約国会議」が開かれます。

生物多様性条約は、生物の多様性を守り、人間たちが持続可能な多様性の利用をすることなどを目的として結ばれた条約。条約を締結している国どうしが、2年に一度の頻度で締約国会議に集まり、具体的な方法を話し合っており、名古屋での開催は16回目。

環境問題についての条約で、多く報じられるのは、この生物多様性条約締約国会議と、昨2009年にコペンハーゲンで行われた気候変動枠組条約締約国会議。気候変動枠組条約では、温室効果ガスの排出削減義務などをめぐって、各国の足並みが乱れがち。京都議定書に米国が参加していないのはその例です。

いっぽう、生物多様性条約では、ほぼ全世界の国が署名し、それぞれの国で批准しています。

ただし、この条約でも、ある大国が批准をまだしていません。こちらも米国です。

この条約を管理する国連環境計画の条約事務局は、世界の国々に対して、条約国に加盟するよう促しました。その結果、ソマリアやイラクといった内政が難しい状況にある国も加盟を果たしました。

この事務局の働きかけは、「どの国も参加しているのだから、あなたも入りなさいよ」という米国への圧力ともいいます。それでも、米国は条約の批准をしません。

かといって米国がこの条約をまったく無視しているわけでもありません。過去の締約国会議では参加しており、順番が回ってくれば発言もします。関係者によると、ことし1月に行われた「戦略計画見直しのための専門家会合」という関連の会議でも、米国の課長補佐級の担当者が現れ、他国から「お、アメリカが出てきたね」と視線を集めたそうです。

しかし、米国は「公式には批准しない立場はなにも変わっていませんから」と述べたとのこと。

この米国のかたくなな態度は条約に詳しい日本の専門家でも読みづらいようです。名古屋会議の支援実行委員会アドバイザーで名古屋市立大学の香坂玲准教授は、「遺伝子組み換え技術が進んでいる米国は、他国と考え方が違うのかもしれない」と話します。

条約では、「遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分」が謳われています。米国は遺伝子組み換えを含む遺伝資源への投資で、特許や商品などを生みだし、大きな利益を上げてきた経緯があります。「公正かつ衡平な配分」を強いられれば不利になります。

気候変動枠組条約で、日本や欧州などの条約国は、米国や中国の条約参加にそうとうな苦労を強いられました。いっぽう、生物多様性条約では、米国は“残された最後の国”という立場。名古屋会議開催後、その次の締約国会議までホスト国になる日本は、米国に批准をとりつけることができるでしょうか。

この記事は、世界自然保護基金(WWF)ジャパンで2010年2月5日に開かれた勉強会「生物多様性条約(CBD)成立の経緯とこれまでの展開」(香坂玲准教授の講演)を参考にしています。
| - | 23:48 | comments(0) | -
複雑化した生きものが単純化に進む


科学の世界で語られる概念が、一般の社会にもあてはまることがよくあります。

前の世代から次の世代へと受け継がれる生物的特徴のもとは「遺伝子」といいます。これを「うちの会社の遺伝子を引き継ぐものは、きみしかいない」とか「猪木の遺伝子を受け継いだ最後の男」とかいったように使うわけです。

「進化」という言葉も、科学に使われるとともに、社会一般にもよく使われます。辞書にも、生物学的な意味と、社会学的な意味が両方のっています。

―――――
〔生〕生物が世代を経るにつれて次第に変化し、元の種との差異を増大して多様な種を生じてゆくこと。その過程では体制は概して複雑化し、適応が高度化し、また種類が増す。ダーウィンによれば「変化を伴う由来」。原義は展開。

〔社〕生物における進化の観念を社会に適用した発展の観念。社会は同質のものから異質のものへ、未分化のものから分化したものへ進むとする。スペンサーが提唱。社会進化。

『広辞苑』より
―――――

生物学的な「進化」と、社会学的な「進化」。どちらも、「時間経過とともに以前とは異なるものが生まれ、種類が枝分かれしていく」といった意味を含んでいます。

ただし、おなじ「進化」でも、生物学と社会学の見方では、ちがってくる要素があります。

生物学でいう「進化」のほうは、辞書の意味にもあるように、「(進化の)過程では体制は概して複雑化」します。これは、地球が誕生してほどないころには細菌という単細胞生物しかなかったのが、いまではヒトなどの複雑な動物があらわれている、といった例から思いうかべることができます。

いっぽう、社会学でいう「進化」のほうは、「複雑化」という言葉が見あたりません。複雑化とは逆をいく「進化」が社会的にあるからです。

たとえば、言語は進化するにつれ、単純なほうへ向かっているという説があります。もともと言語体系は簡単でしたが、語彙が増えたり、自制表現が加わったりで、だんだん複雑になっていきました。しかし、言語により意思疎通をする人の数が増えると、「もっと簡単に話したいね」という圧力が加わり、単純化していくというのです。

インドネシア語は、「世界でもっとも簡単な言語のひとつ」といわれますが、同時に「世界でもっとも進化した言語のひとつ」ともいわれています。

ほかにも、活版印刷が隆盛だったころの書体は、文字の線の端につけられるヒゲのような「セリフ」が特徴的でしたが、時代とともにヒゲがない、図形的に単純化された「サンセリフ」の書体が増えてきました。

おなじく、公共施設のサインであるピクトグラムも、より単純でわかりやすいデザインになるほど、記号が進化したといえるのでしょう。

生物学的進化で複雑になりすぎた人間が、自分たち特有の進化としては単純化の道を選んでいるのかもしれません。
| - | 23:59 | comments(0) | -
「医学と芸術展」で向き合う「生と死」


東京・六本木の森美術館で「医学と芸術展:生命(いのち)と愛の未来を探る」という展覧会が開かれています。(2010年)2月28日(日)まで。主催は、森美術館、ウエルカム財団、読売新聞社。

英国の製薬企業家ヘンリー・ウエルカム卿(1863-1936)の遺志をつぐ「ウエルカム財団」が保有する150点の医学資料や美術作品と、30点ほどの現代美術作品を展示しています。

展覧会のねらいは、「医学と芸術、科学と美を総合的なヴィジョンの中で捉え、人間の生と死の意味をもう一度問い直そう」(森美術館の案内より)というもの。


館内に入ってすぐの「第一部 身体の発見」の展示で出迎えるのは「鉄製関節模型」。21世紀に日本で開発された人間型ロボット「PINO」と大きさや骨格が似ていますが、鉄製関節模型は1570年から1700年ごろイタリアで作られたもの。関節の各部が動く優れもので、講義などに使われていたようです。イタリアの技術の精巧さがうかがわれます。

「第二部 病と死の戦い」は、「人間の生と死の意味」を考えるうえで重要な展示物が並べられます。


壁に掲げられた、ほぼ全面が白塗りの壁画。フィリピンの現代芸術家アルヴィン・ザフラの作品「どこからでもない議論」です。板に紙やすりを貼り付け、そこに人間の頭がい骨を2週間かけて削り、粉にして作りました。背景には作者が死を単なる物理的現象とみなす唯物史観があります。「死は現前とそこにあり、それ以上でもそれ以下でもない」とザフラは考えます。


多くの来場者が立ち止まって見入っていたのが、ドイツの写真家ヴァルター・シェルスの「ライフ・ビフォア・デス」の作品群。1歳5か月の赤ちゃんを含む2連の顔写真が4対、並んでいます。すべて、左が生前で右が死後。開いていたまぶたは閉じられ、輝いていた眼は輝きをなくし、深く刻まれていたしわは平坦になっています。

「第三部 永遠の生と愛に向かって」は、理化学研究所脳科学総合研究センターとトヨタ自動車が共同開発した「脳波駆動式電動車椅子」という極めて実用的でな非芸術的機器から、遺伝子組み換えによって作られた蛍光ウサギ「アルバ」という芸術目的のいきもの論争まで、なんでもござれの世界。

ふだん芸術と結びつけることのないテーマを結びつけて、未知の見かたや考えかたを客に提案する展覧会。雑誌『BRUTUS』のコンセプトをそのまま展覧会にしたような雰囲気です。

「医学と芸術展:生命(いのち)と愛の未来を探る」は、2010年2月28日まで東京・六本木の森美術館で。森美術館による展覧会のお知らせはこちら。
| - | 18:51 | comments(0) | -
月よ雪よと眺む


関東平野では、きのう(2009年2月1日)夜遅くから、きょう未明にかけて雪が降りました。都心でも1センチの積雪が観測されました。

関東に雪が降るときの気圧配置として多いのは、日本の南岸を西から東へと前線をしたがえた低気圧が通過する場合です。

暖気とぶつかる前線の周辺は雨が降りやすく、さらに前線の北側は寒気のため冷え込みます。この条件がそろうと、雪になる可能性が高くなります。1日21時の天気図は、関東地方に雪が降るお手本のような気圧配置となっています。

写真は午前2時ごろに見られた空模様。雪が降っているにもかかわらず、画面右側に月が出ています。月が雲に隠れはするものの、おぼろ月のようにうっすらと光は届きます。月の方向には、それほど雲がかかっていなかった模様。

気象庁の天気相談所によると、雪が降っているときに月が見える現象は「それほどめずらしいものでもない」とのこと。

ちょうど午前2時ごろは、関東地方から低気圧が離れかけていた時間帯。雲の切れ間が生まれながらも、低気圧の本体の影響はまだあるために、雪が降りながらも晴れ間が見えることになったのでは、とのこと。台風や低気圧が過ぎたあとに晴れる“強制晴れ”が起きようとするとき、見られることが多いようです。

似たような状況として、天気雨または天気雪がありますが、月には新月のように光の量が減る日もある分、めずらしさは増すかもしれません。めったに雪が降らなくなった関東地方となればなおのことです。

 狐の嫁入りに対して、天気雪はなんというのでしょうか。「うーん、それはちょっとわかりません」。
| - | 16:34 | comments(0) | -
グーグルが克明に報じるハイチ被災地


中米ハイチの首都ポルトーフランス西方で(2009年)1月12日に起きた大地震から20日が経ちました。

震災の様子を伝える報道は、日本ではあまり見られなくなりました。現場が遠いほど、情報の伝わり方は疎くなるという法則が報道にも当てはまるようです。

報道とは別の手段により、地震後のハイチの様子を見ることができます。グーグルマップに以下の英語表記の場所名を入れて「地図を検索」すると、その場所の状況がわかります。

グーグルが提供するグーグルマップは、大地震が起きた直後のポルトーフランスなどの街の様子を衛星写真で鮮明に写し出しています。

デ・ラ・リベルテ通り(Avenue de la Liberte, Morne A Tuff)の付近、倒壊したナショナルパレスの庭にはヘリコプターが離着陸しています。パレス前の広場には無数の青や赤のテントが張られ、被災者がパレスの塀際に集まっているのがうかがえます。

市内のサッカー場スタッド・ シルヴィオ・カトル(Stade Sylvio Cator‎)にも、テントが張られています。その南西の共同墓地セメタリーでも、倒壊した墓が見られます。

首都圏北部の海岸沿いにあるシテ・ソレイユ(Site Soley)は、北半球最大の貧民街のひとつとされます。近代的な建物の倒壊に比べると目立ちませんが、それでも屋根が抜け落ちたり、サッカー場にテントが張られていたりといった光景が見受けられます。

ロイター通信の報道では、教育省担当者や支援団体の推計で死者が約20万人になったといいます。この地震のモーメントマグニチュードは7.0。これは阪神大震災をもたらした地震のモーメントマグニチュード6.9より0.1大きいことになります。

モーメントマグニチュードが0.1大きい場合、地震のエネルギーは1.4倍。いっぽう、地震による犠牲者は、阪神大震災の6434人に比べて、30倍以上になる計算です。

中心街は19世紀はじめの独立後に建てられた石造のたてものが多かったたため、石壁が崩れたことでがれきの山の下敷きになった方も多かったと見られています。

グーグルの説明によれば、通常の衛星画像は「大部分は、約1年から3年前くらいのデータ」であり「特定の地域が更新される時期については、お知らせすることができません」とのこと。大地震から1か月も経たないハイチの衛星写真を提供するのは異例のことです。

報道機関は、断片的な情報しか伝えられない性格があります。いっぽう、グーグルマップは網羅的な情報を提供します。まったく新たな情報の伝え方といえるでしょう。今後も、大きな災害や事件が起きた直後の場所でグーグルマップが衛星画像をいち提供するすることが予想されます。

グーグルマップはこちら。
| - | 23:46 | comments(0) | -
タヌキ、ハクビシン、アライグマも東京で生活中

イメージ写真

動物ジャーナリストの宮本拓海さんが、集計してきた東京23区内のタヌキ、ハクビシン、アライグマの目撃情報の分析をこのたび行いました。2009年1月の発表に続くもので、今回は2007年から2009年にかけてをまとめたもの。

メールによる都民などからの報告、宮本さん自身の発見などを通じて、3年間で集められた情報は、タヌキに関するものが408件でした。

2007年から2009年まで順に102件、149件、157件と着実に増えています。宮本さんが2008年に著書『タヌキたちのびっくり東京生活』を出版するなどして、「東京でタヌキが暮らしている」という認識がじょじょに広まっているのでしょう。

メールによる報告を大きな情報源としている点は、情報の信憑性というかねあいも出てきます。しかし、大きな予算をかけない草の根の活動としては最善の方法なのでしょう。宮本さんの年数をかけた報告により、タヌキが安定して都会で生活しているという像が浮かび上がってきています。

目撃情報のなかには、タヌキがほかの動物と遭遇したときの報告もあります。

イヌとの遭遇は2009年で12件の報告があり、「交差点の出合い頭など、唐突に近距離で遭遇する場合 はタヌキは慌てて逃げるが、ある程度の距離がある場合 はすぐには逃げず、イヌと人間の様子をうかがう例も多い」。ほかに、ネコとの遭遇も2009年に1件、宮本さん本人が発見しています。

さらに今回は、ハクビシンとアライグマに関する報告もあります。

ハクビシンは、体長50センチほどのジャコウネコ科の哺乳類。鼻に白い筋が通っているため「白鼻心」という名前がついています。東南アジアに広く分布し、日本には輸入されたものが野生化したと考えられています。

ハクビシンの目撃情報は、2007年から2009年の3年間で180件だったといいます。23区の単位面積あたりの目撃件数でいうと、第1位が文京区。ついで豊島区、渋谷区となります。また、目撃場所別でも集計されており、道路94件、民家53件、公園8件などとあります。道ばたにネコがうろつくように、ハクビシンもうろついているのでしょう。

アライグマに関するものは3年間で15件。世田谷区、文京区、中野区、練馬区などで複数の報告があった模様です。

宮本さんは、今回の集計について、「やはり東京都23区内にタヌキは1000頭程度が生息しているだろうという推測は変更しなくてもいいだろう。またこのことは、ハクビシンもタヌキに匹敵するほどの数がいることを示してもいる」と述べています。

なじみあるイヌやネコなどのほかにも、都会に動物はいる。そう思って都会を歩くと、見えてくるものがあるのでしょう。

ひきつづき宮本さんは、以下のホームページなどを通じて情報提供の呼びかけをしています。

宮本さん主宰のホームページ「東京タヌキ探検隊!」はこちら。
「東京都23区内のタヌキ、ハクビシン、アライグマの目撃情報の集計と分析(2010年1月版)」はこちら。
| - | 21:17 | comments(0) | -
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