科学技術のアネクドート

本放送開始から半年、「ラヂオを聽く家 大阪は十一軒に一軒」


報道されるできごとは、そのときを切りとったもの。時を経てその報道を見ると、当時の状況というものがよくわかるものです。

1927(昭和2)年6月16日付の大阪朝日新聞には、「ラヂオを聽く家 大阪は十一軒に一軒」という見出しの記事があります。

「JOBKの加入者数實數は八萬四千 計畫部でその分布状態を戸数割に調査した」という文で始まります。JOBKとは、いまのNHK大阪放送局のラジオ放送のコールサイン。大阪放送局がラジオの本放送をはじめたのが1926(大正15)年12月1日。半年後の聴衆者の分布調査を、おそらく放送局の「計畫部」がおこなったのでしょう。

当時、ラジオを聴取している世帯が多い地域は、文化度の高い地域であると考えられていたようです。「その地方の經濟狀態や文化程度を想像することも出來て面白い」とあります。いま、このような表現が新聞に見られれば、“炎上”の的になりそうです。

それで、「一等成績のよいの」は、西宮市だったそうです。率にして、10.6軒に1軒がラジオを聴いていたとのこと。大阪市は10.8軒に1軒なので、さほど引けをとりません。

いっぽう、京都市は27.9軒に1軒、神戸市は27.5軒に1軒でした。記事では「京都は感度が良くないとしきりに苦情が出た割合に成績が良く、感度のよい神戸が案外悪いのはどうしたわけなのか」としています。神戸の成績が悪い原因まではつかめなかったようです。

放送局のある大阪から離れるほど、視聴世帯はまばらになっていったようです。姫路市は72.8軒に1軒とうんと下がり「慘狀」と書かれてしまっています。大津市は58.4軒に1軒。そしてもっとも低い都市は、鳥取市の250.7軒に1軒でした。

京都の例にあるように、電波が届きにくい地域ではラジオを聴く家がすくなくなるのもしかたありますまい。

記事のすぐ左には「今日の放送」というラジオ番組欄もあります。大阪では午前10時10分に「季節料理の献立」という番組で、その日の放送が始まっています。音楽番組では、「分列式行進曲」や「美しく悗ドナウ」などの演奏があります。また、英語課外講座「社交用手紙の書方」といった番組もあります。そして午後8時は放送終了となるのでした。「ラジオがないと深夜さびしい」などといった心のもち主はまだなかったかもしれません。

参考資料
大阪朝日新聞1927年6月16日付「ラヂオを聽く家 大阪は十一軒に一軒」「今日の放送」
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
膜の天敵は細菌
下水からきれいな水だけをとりだしたり、海水から淡水をつくったりするために、近年では「膜」が使われています。膜といっても、こし器やざるのように平面を通過させて対象の水をろ過するのでなく、バウムクーヘンのように膜を何層も重ねて巻いた筒型の装置に対象の水を通してろ過するのです。

こうした膜をつかって水をきれいにする方法では、きれいな水がつくられるわけですから、当然ながら“きれいでない成分”がついてまわることになります。

なかでも、処理する前の水に多くふくまれている細菌は、膜にくっつきやすいものであり、細菌が集まってくると堆積し、さらには成長してしまうこともあります。こうしてつくられる膜状の細菌は「細菌膜」あるいは「バイオフィルム」などとよばれます。水をきれいにする膜につかないものの細菌膜とよび、たとえば流しなどに生じる「ぬめり」は、身近な細菌膜のひとつです。


バイオフィルムの一例
写真作者:MarcoTolo

そして、こうした望ましくない細菌膜が堆積したり成長したりすることは「バイオファウリング」とよばれています。「ファウリング」とは、英語の“fouling”をかたかなにしたもの。野球でも「ファウルボール」といいますが、その「ファウル」とおなじです。“foul”の語源は「悪臭を放つ」ですから、「バイオファウリング」は語源にかなり語感が近いことばといえます。

バイオファウリングの深刻さは、問題の原因になる率の高さからうかがえます。たとえば、いろいろある水をきれいにする膜の種類のなかに「逆浸透膜」という膜があります。水は通すもののイオンや塩類などの水以外の不純物は通さない性質をもつ膜で、水をきれいにするための膜の主要製品となっています。この逆浸透膜について生じる故障などの問題のおよそ8割が、膜が汚れることにより、その大半がバイオファウリングによるものといいます。

バイオファウリングを生じさせないようにするには、原因となる細菌の数を抑えること。そのために、塩素系の薬などが使われますが、もちろんそのための費用がかかります。できるだけ費用をかけないでバイオファウリングを抑えることが、膜の業界での長年の課題となっているようです。

参考資料
オルガノ「RO膜処理向け安定化次亜臭素酸系スライムコントロール剤のNSF認証を取得」
http://www.organo.co.jp/pdf/E2661_NSF_Certification.pdf
寺田昭彦ら「水・排水処理分野におけるバイオフィルムの形成を抑制する材料の進展」
http://www.jseb.jp/jeb/14-02/14-02-131.pdf
中外テクノス 用語集「バイオファウリング」
https://www.chugai-tec.co.jp/glossary/detail/id/1308/category/06/page.html
ウィキペディア「逆浸透膜」
https://ja.wikipedia.org/wiki/逆浸透膜
| - | 17:41 | comments(0) | trackbacks(0)
知識を養うには編集より執筆

写真作者:Nate Burgos

人の作業のうち、原稿を書くことを執筆といいます。また、原稿をふくむ材料を集めて記事や本などをつくることを編集といいます。

執筆の仕事をおもにしている人が、編集の仕事もすることがあります。また、編集の仕事をおもにしている人が、執筆の仕事をすることもあります。

執筆をするときにも、編集をするときにも、ひとつの記事をつくることに携わるわけですので、その記事の主題についての知識や見識を得ることはあります。たとえば、アナゴの記事をつくるために、アナゴの歴史や生態、そしていまの漁獲量などを調べるわけです。それらの情報は、記事のなかで伝えられるとともに、執筆者あるいは編集者の脳のなかにも知識として蓄積されます。

では、ひとつの主題の記事をつくるにあたり、執筆する人と編集する人では、どちらのほうが知識をものにしやすいものでしょうか。

これは、明らかに「執筆する人のほう」といえそうです。

執筆する人も編集する人も、その主題について取材をして知識を得ます。この点では、そうちがいはありません。しかし、執筆する人は、あたりまえですが、「執筆」をします。取材などで得たものを、執筆者である自分の表現として書いて伝えようとするとき、大きな理解の前進と補完があるものです。書くためには、基本的にはその情報を咀嚼しておかなければなりません。執筆者は、その状態に近づくために、執筆をしながらも情報の理解や整理をしているわけです。

もちろん、編集をする人も、執筆者から上ってきた原稿を査読するためには、取材で得た情報と、そして原稿に書かれてある情報をよく理解することが大切ではあります。しかしながら、執筆者とちがって自分自身がその主題の文を書くわけではないので、作業の姿勢としては提出された原稿に改善点や問題点がないかを見ていく“受け身”のものとなります。結果、執筆する人よりも、ひとつの記事の主題をめぐっての理解は進みづらい傾向があります。

もし、自分自身も博学になりたいということで、執筆する職業か、編集する職業科を選ぶ場合は、つぎのことを考えるとよいのではないでしょうか。つまり、「執筆の作業には知識を定着させるための執筆という工程があり、編集の作業には執筆の工程は基本的にはない」ということです。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
「カレーショップ山小屋駅前店」のチキンカレー――カレーまみれのアネクドート(100)


最近は、新築であっても、あえて古風なつくりの雰囲気を醸しだすように建てられている飲食店もよく見かけるものです。しかし、やはり歳月を重ねることにより、年季というものはほんとうに入るもの。そして、それは店だけでなく、その店で出される食べものにも当てはまるものかもしれません。

長野市の長野駅善光寺口から、善光寺へと向かう中央通りを3分ほど歩き、通りからすこし脇道に入った先に「山小屋駅前店」はあります。

店名の「山小屋」よろしく、店の構えは山の途中にある小屋のよう。木の天井は低めで、まるで山小屋の食堂。カウンター席とテーブル席があります。

この店の名物は「納豆カレー」。店内には「元祖」と掲げられています。この店が納豆カレーの源流に当たるのかもしれません。

いっぽう上の写真はチキンカレー。紹介するカレーが納豆カレーでなくチキンカレーなのは、「その店でカレーを初めて食べるときは、まずチキンカレーを試すべし」という格言に影響を受けてかどうか……。

また、カレーソースは「普通の辛さ」の「中辛カレー」と「スペシャルスパイス」とある「辛口カレー」があります。写真のは「辛口」のほう。

カレーソースに入った鶏肉は、1個でスプーン半分くらいの大きさ。そしてソースは、口に入れてしばらく経つと、甘さから辛さがじわじわ現れてくる型のもの。さまざまな香辛料を配合してつくっているのでしょう、手づくり感もあります。この点は、本当の山小屋で食べるカレーライスとくらべるまでもなく、本格的。

大盛りでなくても、とくにソースの量が多く、ライスに対して意識的にソースの量を多く食べると、ソースとライスの配分が保たれます。

店を紹介するサイトによると、創業は1961(昭和36)年とのこと。店構えの年季も、カレーの味の深みも、55年以上の歳月を過ぎてのものといえるのではないでしょうか。

「カレーまみれのアネクドート」は今回で100回目。まだまだずっと続きます。

「カレーショップ山小屋駅前店」の食べログ情報はこちらです。
https://tabelog.com/nagano/A2001/A200101/20002371/

参考資料
Delicious × Komachi「カレーショップ 山小屋 駅前店」
https://www.deli-koma.com/dk/shop/?clid=1003171
| - | 21:16 | comments(0) | trackbacks(0)
「20XX年に実現しているか」を問う調査、難題は質問づくり


未来における特定の時に「実現しているか」を問うような意見調査がおこなわれることがあります。たとえば、「あなたは2045年までに、つぎのことが実現していると思いますか。『はい』または『いいえ』で答えてください」として、具体的にその内容を記していくようなものです。たとえば「人工知能が人間の能力を超えて、科学技術の進歩を支配している」といった文です。

回答者のなかには、「未来のことなんてわからないものだから気楽に答えよう」と直感で答える人もいれば、「その時期には、この技術はここまで進歩しているだろうから、実現するかもな。でも悩むな」と逡巡しながら答える人もいるでしょう。

しかし、こうした意見調査で、よりむずかしさを感じるのは出題をする側の人びとかもしれません。その大きな理由は、「はい」ともいえるし「いいえ」ともいえるような答えになってしまう問いを立てると、実際にその未来の時点が来たとき「実現している」といえるかどうかの判断に苦しむことになるからです。

たとえば、「2017年より世界は平和になっている」といった文を示すとすると、なにをもって「平和」といえるのかが議論の的になります。解釈次第で「はい」ともいえるし「いいえ」ともいえるようなことになるでしょう。そのため、だれから見ても「はい」「いいえ」がわかるような二者択一の質問を用意しなければなりません。たとえば「人類は火星に到着している」のように。

また、とくに科学や技術がどこまで進歩しているかを純粋に問おうとしているのに、為政者などの政治状況が多分に影響するような文も、あまりふさわしくありません。たとえば「電気自動車の年間販売台数が、全体の半分以上になっている」といった文は、将来の政治家が電気自動車の普及を政策として推しすすめているかどうかで、かなり変わってくるものです。「はい」「いいえ」で答えやすいものではありますが、科学や技術の進歩を純粋に予想させるものにはなりません。

こうした、ふさわしくない内容を排除しつつ、科学や技術の進歩を考えつつ、そして、回答者に興味や楽しみをもって答えてもらうとなると、いかに「実現していること」の内容を吟味するかが求められるわけです。
| - | 20:57 | comments(0) | trackbacks(0)
学校プール独特の臭いは“塩素臭”というよりも……

いまもかもしれませんが、かつて学校のプールなどでは独特の臭いがしていました。つーんとまではしなくても鼻につく臭いでした。その臭いはよく「塩素臭」などとよばれていました。しかし、この臭いの原因は塩素というよりも、プールで生じるべつの物質であるとされます。

たしかに、プールの水を塩素を入れます。これは、人が体を介してもちこむ有機物や菌などでプールが汚くなるのを防ぐため。

いっぽうで、プールの水がもともと汚れていると、そのなかにはアンモニアなどが含まれていることも。

すると、塩素原子2個でできている塩素分子と、窒素原子1個と水素原子3個でできているアンモニアが化学反応を起こします。

  Cl2 + NH3 → NH2Cl + HCl

こうして生じる、窒素原子1個、水素原子2個、塩素原子1個からなる物質は「モノクロラミン」とよばれます。 上の化学反応式のなかの「NH2Cl」がモノクロラミン。また「HCl」は塩化水素という物質です。


モノクロラミンの構造式

モノクロラミンは、さらに塩素分子と化学反応を起こします。

  NH2Cl + Cl2 → NHCl2 +HCl

このようなことで、今度は窒素原子1個、水素原子1個、塩素原子2個からなる「次クロラミン」という物質も生じます。上の化学反応式の「NHCl2」がジクロラミン。なお、この反応でも塩化水素「HCl」が生じます。

さらに、モノクロラミンとジクロラミンが化学反応を起こします。

  NH2Cl + NHCl2 → N2 + 3HCl

「N2」というのは空気中に多く含まれる窒素分子。また、この反応でも塩化水素「HCl」が生じます。

こうして、モノクロラミンやジクロラミンが生じます。これらに加え、窒素原子1個と塩素原子3個からなる化学式「NCl3」をふくめた物質は、まとめて「クロラミン」とよばれます。

クロラミンは、水道水を消毒する塩素の代わりに使われることもあります。塩素などほ消毒剤にくらべると安定的であるとされます。意図的につくるときは、ナトリウム原子1個、塩素原子1個、酸素原子1個からなる「次亜塩素酸ナトリウム」という物質とアンモニアの反応をもちいて、モノクロラミンをつくるなどします。

  NH3+NaClO → NH2Cl + NaOH

いっぽう、学校のプールでは文部科学省が「次亜塩素酸ナトリウム」「次亜塩素酸カルシウム」「塩素化イソシアヌール酸」といった塩素剤を使うことを定めているため、直接クロラミンを使うことはありません。ということで、プールを使っている児童・生徒たちの体から出るアンモニアなどの成分が反応に使われてクロラミンが生じ、あの独特の臭いになっていることが考えられます。

参考資料
南海化学「一目でわかるプールの水質管理。」
http://www.nankai-chem.co.jp/pro/hitome.pdf
デジタル大辞泉「クロラミン」
https://kotobank.jp/word/クロラミン-58183
田中榮次ら「水中モノクロラミンの自動分析」
http://www.iph.pref.osaka.jp/report/syoho/H27/11k.pdf
クラレ炭素材料事業部「研究開発」
http://www.kuraray-c.co.jp/business/study/
ウィキペディア「クロラミン」
https://ja.wikipedia.org/wiki/クロラミン

| - | 17:05 | comments(0) | trackbacks(0)
「原木」から「菌床」へ、主流が様がわり


魚、貝、海藻などを、池、生け簀、いかだなどを使って人の手で増やし育てることを「養殖」といいます。養殖が進んで「完全養殖」も可能となった魚介類もあれば、生態に謎が多いなどのため養殖技術が進んでない魚介類もあります。

陸の生きものには「養殖」ということばはあまり当てはまりません。それでも「養殖的」に育てて増やすことが進んでいる食用の生きものがあります。

シイタケはそのひとつ。かつては「原木栽培」とよばれる、どちらかというと自然の状態に近い育てかたがもっぱら主流とされていました。しかし、近ごろは「菌床栽培」という、どちらかというと養殖的な育てかたが増えてきているといいます。

シイタケは菌です。樹木の“傷口”から菌は侵入し、木の成分を分解して腐朽させていきます。こうした菌は、シイタケをふくむ担子菌類という種類の菌、なかでもサルノコシカケ科に多く、「木材腐朽菌」ともよばれています。

原木栽培では、シイタケが成長する“場”となるコナラやクヌギなどの原木を用意します。秋に原木となる木を伐りたおし、さらに冬に1メートルから2メートルほどに切ります。この木に複数の穴を開け、そこに“種”となる菌を埋めこみます。このように“種”を接種した木は「榾木」(ほたぎ)とよばれます。榾木を林のなかで寝かせること1年ほど、きのこが出てくるので、榾木を育成や収穫に適したところに移して、さらに育てていきます。

このような原木栽培は、1989年ごろには、国産シイタケの栽培全体の9割ほどを占めていたそうです。

その後、本格的におこなわれるようになってきたのが菌床栽培です。おがくずに米ぬかや、トウモロコシの外皮の繊維質であるコーンブランなどを混ぜた栄養豊富な材料にシイタケ菌を接種します。これらの栄養を得ながら菌は育っていきます。また、育てる場所も林のなかでなく、温度などが管理された施設内となります。

2015年の時点で、菌床栽培は、国産シイタケの栽培全体の8割ほどを占めるようになりました。つまり、およそ30年弱で、栽培方法の主流は原木栽培から菌床栽培へと大きく移ったことになります。

原木栽培では、味や香り強く、肉質のあるシイタケを育てられるという利点がいわれます。これに対して、菌床栽培では、季節を問わず安定的に収穫することができるという利点がいわれています。

参考資料
長谷部公三郎「日本のきのこ生産の動向と課題」
日本大百科全書「しいたけ」
百科事典マイペディア「木材腐朽菌」
https://kotobank.jp/word/木材腐朽菌-873985
京都府「原木しいたけと菌床しいたけ」
http://www.pref.kyoto.jp/nantan/no-norin/documents/1207108884829.pdf
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
1983年から3年間、プレーオフは“幻”に


2017年のプロ野球は、10月10日の2試合で公式戦の全日程を終えました。14日(土)からはセントラル・リーグとパシフィック・リーグそれぞれ2位と3位となった球団が、優勝した球団との日本選手権シリーズへの出場権を賭けて戦う「クライマックス・シリーズ・ファースト・ステージ」が始まります。

クライマックス・シリーズ全体では、2位球団と3位球団がファーストステージを戦い、先に2勝した球団が優勝した球団とセカンドステージで先に4勝することをめざして戦う、といった制度となっています。

公式戦終了後に、特別な地位や権利をかけて戦う試合を「プレーオフ」といいます。クライマックス・シリーズもプレーオフのひとつであるとする考えかたがあります。

2007年から始まったクライマックス・シリーズとはべつに、パシフィック・リーグで1973年から1985年にかけて、まさに「プレーオフ」とよばれていた優勝決定戦がありました。その年の公式戦で上位になった球団どうしが公式戦終了後、優勝をかけて戦うのです。優勝すれば、セントラル・リーグの優勝チームと戦う「日本選手権シリーズ」に出場することもできます。

1973年から1982年までのプレーオフは、公式戦を前期65試合、また後期65試合とし、前期1位の球団と後期1位の球団が、先に3勝することをかけて戦うというものでした。前期も後期も1位の球団がおなじである年は、プレーオフをおこなわず、その球団がパシフィック・リーグ優勝となります。実際、1976年と1978年は、阪急が優勝したため、プレーオフはおこなわれませんでした。

より”幻”の度合いが高いプレーオフは、1983年から1985年にかけての新しい制度でおこなわれたプレーオフです。

パシフィック・リーグは、新しいプレーオフの制度として、「公式戦130試合の結果、1位と2位の球団が5ゲーム差以内で、かつ2位の球団がプレーオフ試合数の5試合を加えた最大135試合で逆転優勝する可能性があれば、最大5試合のプレーオフをおこなうということにしたのです。

しかし、1983年は1位となった西武が2位の阪急に17ゲーム差をつけたためプレーオフはおこなわれませんでした。翌1984年は阪急がロッテに8.5ゲーム差をつけて1位になったのでプレーオフはまたも未開催。翌1985年は西武が1位になり、2位ロッテに15ゲームノ差をつけたため三度にわたりプレーオフは未開催。結局、この年をもって「新制度」は廃止となりました。

この「新制度」には、「1位の球団と2位の球団の成績に大差がついたときは、プレーオフをおこなう意味はない」という意味がこめられています。いまの、たとえ勝率が5割未満でも3位に入れば無条件にクライマックス・シリーズに出場できる制度とは一線を画しています。

いっぽうで、もし「新制度」がつづいていれば、1988年におこなわれた「伝説のダブルヘッダー」とよばれるロッテ対近鉄の、近鉄が優勝をかけた2試合もプレーオフの前座のような位置づけとなっていたはずで、瞬間的な盛りあがりに欠けていたかもしれません。

プロ野球のプレーオフのありかたをめぐっては、開催すべきかどうかをふくめ、どのような制度にするのが最適か、いまだに議論がつづいています。

参考資料
wikipedia「プレーオフ制度 (日本プロ野球)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/プレーオフ制度_(日本プロ野球)
日本プロ野球機構「1983年 パシフィック・リーグ」
http://npb.jp/bis/yearly/pacificleague_1983.html
日本プロ野球機構「1984年 パシフィック・リーグ」
http://npb.jp/bis/yearly/pacificleague_1984.html
日本プロ野球機構「1985年 パシフィック・リーグ」
http://npb.jp/bis/yearly/pacificleague_1985.html
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
研究者が「幽霊」と化すことも

写真作者:Martin Fisch

研究者は、自分の専攻分野の学術講演会で発表したり聴講したりして、最新情報を得たり、見識を広めたりするものです。

しかし、なかにはこうした研究者どうしの交流の場に現れず、「あの人はどうしているんだ」と思われているような研究者もなかにはいるようです。

よく、学校の部活動で、名前だけ所属して、実際は活動しない部員を「幽霊部員」などといいますが、研究の世界では「ファントム・リサーチャー」といった俗語があるそうです。「ファントム」(phantom)とは「幽霊」とか「幻想」とかいった意味の英語。また「リサーチャー」(researcher)は「研究者」です。

たとえば、ある日本の研究者は、学術講演会にほとんど参加せず、その分野の研究者たちに顔が知られていませんでした。しかし、論文を頻繁に発表するので、その研究者の名前だけはよく知られていました。ほかの研究者たちは、その研究者を「ファントム・リサーチャー」とよんだそうです。

どうして、その研究者は「幽霊」となっていたのか。本当は学術講演会などに参加したかったのかもしれませんが、研究資金をあまりもっていなかったために、やむにやまれず参加できなかったようです。ずっと参加できていなかったため、その後の学術講演会でも登壇の機会をあたえらないという憂き目にあったようです。

顔は知られているし、名前も知られているが、長らく公的な場所に姿を現さなかったことで有名な研究者として、英国の数学者アンドリュー・ワイルズ(1953-)がいます。

ワイルズは数学分野での大きな問題だった「フェルマーの最終定理」に挑みました。そして、1986年から1993年までの7年間、家に引きこもって、その証明たったひとつを果たそうとしました。これには、ほかの多くの研究者たちに、自分はフェルマーの最終定理の証明に挑んでいるということを察知されたくないというワイルズの強い意志があったようです。

その後、1993年6月のケンブリッジ大学の講演で、ワイルズは姿を現し、「フェルマーの最終定理」を証明できたと発表したのでした。ところが、じつは証明のしかたにほころびが見つかり、証明を修正するためにさらに1年間を要しました。この1年間は、自分がフェルマーの最終定理に挑んでいることが公然の事実となってしまったわけですから、精神的な重圧も大きかったことでしょう。見事に1995年、正真正銘の証明を論文に発表することができました。

研究者が「幽霊」になる理由は、いろいろあるようです。

参考資料
岸本忠三・中嶋彰『現代免疫物語beyond 免疫が挑むがんと難病』
https://www.amazon.co.jp/dp/4062579553
サイモン・シン『フェルマーの最終定理』
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4105393014/
漆原次郎『科学ジャーナリスト サイモン・シン著の科学書に対する日本国内の評価の分析』
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
「使いこなすのは当然」として英語力の大切さに触れない“グローバル本”も

写真作者:Wendy Cope

国を超えた、地球規模での商業活動や経済活動が増えてきたため、世界の人たちと意思疎通をすることが20世紀にくらべて増えてきています。もちろん、人によっては「昔とかわらない」あるいは「昔のほうが多かった」ということもあるでしょう。しかし、傾向としては増えているにちがいありません。

すると、本や雑誌記事には「グローバル・ビジネス」といったことばを題にしたものが、よく見受けられるようになりました。企業が多国籍化していくなかで、どのような心構えや技術をもっておくとよいか、といったことが書かれているようです。経営者や重職者向けを意識したものもあれば、一般社員を意識したものもあるでしょう。

こうした本や記事では、「英語を使う力を養うことの大切さ」について触れているものがあるいっぽうで、触れていないものがあります。

触れていない本や記事については、「英語を使いこなせることは、地球的な商業・経済活動をしていくうえでは当然のことなので、触れるまでもない」という考えかたがあるのでしょう。英語を使いこなせることが前提条件であり、それを前提として話を展開する、というわけです。

しかし、そうはいっても、地球的な商業活動や経済活動にまきこまれている人のすべてが英語を使いこなせているわけではありません。「使いこなす」の定義次第ですが、むしろ英語を使いこなせていると感じていない人がほとんどなのではないでしょうか。「使いこなす」とは、使いかたを心得て、十分に活用することをいいます。

地球的な商業活用や経済活動をつねにするうえでは、英語をどのように身につけるかといったこととともに、英語をどのくらいまで身につければ通用するかといったことも重要になるでしょう。とくに英語が属するゲルマン語派とは異なる語派の人たちは、英語を習得するのがむずかしいといわれます。

未来のいつの時点かにおいては、自動通訳の技術が発展し、英語を習得する必要性は低くなるかもしれません。とはいえ、機械を介して意思疎通するのと、直接的に意思疎通するのでは、結果も異なってくるというもの。電話で話せる時代でも、直接、会って話すことにより大きな価値が置かれている現状があります。

やはり、「基本的に大切」であることについては、「それはさておいて」とか「それはあたりまえとして」では済まされない要領というものがあるのではないでしょうか。
| - | 17:38 | comments(0) | trackbacks(0)
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