科学技術のアネクドート

科学ジャーナリスト賞2012茂木さん「手間と時間をかけた」


(2012年)5月15日(火)、東京・内幸町の日本記者クラブで「科学ジャーナリスト賞2012」の賞贈呈式が開かれました。

科学ジャーナリスト賞は、日本科学技術ジャーナリスト会議が、科学技術に関する報道や出版、映像などで優れた成果をあげた人を表彰するもの。今回で第7回となります。

4日にわけて、大賞と賞の受賞者によるあいさつの要旨を伝えていきます。

大賞は今回2作品。下野新聞社発達障害取材班代表の茂木信幸さんと、NHK文化福祉番組部チーフプロデューサーの増田秀樹さんが受賞しました。

下野新聞社の茂木信幸さんの受賞スピーチ(一部抜粋)です。

茂木さん、右後ろはキャップの山崎一洋さん

「本日は、過分なる賞をいただき、ありがとうございます」

「私ども下野新聞は、宇都宮市に本社があります。今回の連載は、一地方紙の、どちらかというと地味な連載でしたが、こういう形で光を当てていただき、本当に感謝しています」

「発達障害は、いまではいろいろなメディアで取りあげられ、関心は高まっています。相手の気持ちが読めない、集団行動ができない、うまくコミュニケーションがはかれないといったものです。この会場にも何人かいらっしゃるかもしれないというほど身近な問題であり、そういう点から、連載のタイトルは『あなたの隣に 発達障害と向き合う』としました」

「(連載企画の)きっかけは、教育問題に通年企画で取り組もうということでした。取材班の山崎一洋(編集局社会部)をキャップとしたところ、どうやら小中学校の現場で、発達障害のお子さんに苦労している先生が多い、とわかりました。まず栃木県内の現状をきちんと取りあげて、そこから連載をしていこうということで始まりました」

「栃木県内の小中学校と大学1200校すべてにアンケート調査をし、それをベースに展開していきました」

「今回、実名で報道したことが評価されたということもありましたが、特定の障害のある方のお話を、どう社会性のある、読者に共感をもっていただけるキャンペーンにしようかと考えました。そのなかで、やはり、そうした方々との信頼関係を築いて、私どもの目的を理解していただき、さらにもう一度『この内容で大丈夫でしょうか』と、確認しながら連載を続けました。手間と時間をかけたところをきちんと評価していただいたことに、本当に感謝します」

「連載を始めるにあたり、非常に不安でした。ちょっとまちがうと、偏見あるいは差別の助長につながってしまうのではないかと思ったのです。あるいは、社会的な共感が得られるのかというところでどうなんだという不安がありました」

「しかし、いざ連載を始めてみますと、『うちの子も発達障害かもしれない。そういうことをきちんと紹介する機関を教えてほしい』とか、『学校の先生にこの連載を読んでほしい』『障害がある子がいることを理解してほしい』という声が100通以上、寄せられました」

「読者の人びとの励ましや支援、なかにはおしかりの声もいただきましたが、それがキャンペーン報道として成り立った大きな要因だと思います」

「今回の受賞がひとつのきっかけになり、7月上旬に多少の追録・増補した形で書籍化する運びになりました(会場から拍手)。出版の際にはお付き合いいただければと思います。きょうは本当にありがとうございました」

下野新聞のホームページはこちらです。
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“地異”の風情に今昔のちがい

自然災害には、さまざまな種類があります。台風、雷、竜巻、大雪、などなど。

災害に遭った人たちにとっては深刻なことですが、いっぽうで、これらの自然現象に日本人はすこしの風情をあたえてきました。

かつて人びとは、台風を「野分」(のわき)とよび、松尾芭蕉は「猪もともに吹るる野分かな」と詠んでいます。また、雷も「神が鳴る」ものが由来。この神は虎の皮のふんどしをはいて、へそをとりにくるという、神様には失礼ながら愛嬌のある側面をもっています。

風情を感じることのできる自然災害があるなかで、その例外といえるのが、いまの時代における地震や津波といった現象でしょう。東日本大震災や阪神大震災が起きるまえから、地震や津波に対して、人びとはそれを風情として味わうようなことはしていませんでした。

台風や雷などが“天変”であるのに対して、地震や津波は“地異”にあたるもの。とつぜん地面を揺りうごかすような自然現象に対して、やはり風情を味わうような余裕はないのかもしれません。

しかし、江戸時代ごろまでは、地震に対する人びとの見方も、すこしちがっていたようです。

かつて、人びとは、鯰が地震を起こすものだと信じ「鯰絵」という絵をつくってきました。大きな鯰のうえに、小さな人間たちがのぼって懲らしめようとしている絵や、壊れたたてものの後かたづけを、人とおなじくらいの大きさの鯰が手伝っているといった絵です。


もちろん江戸時代にプレートテクトニクスなどの理論はなかったため、鳥獣戯画の流行などと重なって、鯰絵も流行ったのでしょう。

それに加えて、かつての大地震には“世直し”につながるものでもありました。住みかなどが壊れると、幕府や地元の富豪たちが被災者に施しをあたえることが習慣になっていました。そのため、地震後の街では、活気さえ生まれていたといいます。

地震の原因は鯰からプレートの動きへ。施しから地震保険へ。科学の進歩や社会制度の変化にともない、地震に対する人びとの見方も大きく変わっていきました。それは、風情がなくなり、深刻さが増すという方向です。

参考文献
『サイエンスウィンドウ』2008年9月号「いにしえの心」
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
オンリーワンよりナンバーワン


産業界ではひとむかし前、「オンリーワン」であることが、とても価値のあることとして賞賛されてきました。

まず、「ナンバーワン」というのは、一般的に、数ある競争相手のなかで一番目の地位を得ていることを指します。たとえば、ある部品の出荷量のシェアでナンバーワンといったことを、産業界やマスメディアは重視します。「一位じゃなきゃだめなんですか」という国会議員の素朴な疑問に対して、「やはり一位であることは大切」と産業をつくりだす科学技術の世界のお偉方たちは答えました。

これに対して「オンリーワン」は、競争相手がいないというほどに独占的な地位を占めていることを指します。「1分の1」なのでナンバーワンの変化型ともいえます。たとえば、ある部品をつくることができるのはある企業だけといったようなもの。こちらも、産業界やマスメディアは重視してきました。

しかし、このところ「オンリーワン」の産業に対して、かつてほど重視がされなくなっている側面もあるようです。

ものづくりを長年つづけている製造業の製品開発担当者は、つぎのように言います。

「オンリーワンというのは、いまや取引先から嫌がられる風潮さえあるのです」

オンリーワンが、嫌がられるというのはどういうことでしょうか。この担当者はつぎのようにつづけます。

「取引先にとってみたら、いまのご時世、ものづくりについても、安全なほうへ安全なほうへと、ものごとを進めようとするもの。万一、うちの会社が潰れたりして、オンリーワンの部品が供給されなくなったりとすると、それで製品づくりができなくなってしまう」

「だから、オンリーワンの部品を選ぶのでなく、複数の部品メーカーがつくっているような、ノット・オンリーワンの部品を選ぼうとするわけです」

部品を集積させて製品を作るメーカーがオンリーワンの部品を敬遠する背景には、製品メーカーの業績が悪くなるなどして、リスクをとるよりも確実性をとるようになったといったことがあるようです。

この話からすると、部品メーカーにとって見れば、「他者に追従はされながらも、つねにナンバーワンの地位を保つ」ということが大切になっている側面もあるようです。
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「答弁の義務だけを負っているわけではないんですよ」

橋下徹大阪市長が、囲み取材をした放送局の記者に対して“激怒”したとして、話題になっています。大阪市は、この記者会見の模様をインターネットで公開しています。

世論の多くは、橋本市長の会見での主張に沿って、質問した記者を「アホな質問をした」などと、記者をばかにする論調が目立ちます。

「取材者対被取材者」という点からすると、この二人のあいだのより重要なやりとりは、つぎのものでしょう。

市長「ぼくの質問に答えてもらってよいですか」
記者「いや、私のほうからお聞きするんですけど」
市長「お聞きするんじゃなくてこの場は議会でもないので答弁の義務だけを負っているわけではないんですよ。どうですか」

取材をする側は、取材を受ける側が取材を受けてあたりまえという考えかたについおちいりがちです。

しかし、人と人とのコミュニケーションという観点からすると、取材をする側は取材を申しこむことがほとんど。いっぽう、取材を受ける側は取材を引き受けることがほとんど。

極端な話をすると、取材をする側のお願いに対して、取材を受ける側はそのお願いに“引き受けてやる”わけです。世の中での人どうしの依頼するほうと依頼されるほうの立場を考えると、通常は、圧倒的に依頼をされるほうが上手になります。取材する側は、取材を受ける側に「取材させてください」とお願いしなければ、かなえたいことが成立しないからです。

橋本市長が「答弁の義務だけを負っているわけではない」と記者に言ったのは、このことを突いているのでしょう。

ジャーナリストという職業の本分に、もともと「お上の動きを監視する」という役割があります。これにより、世の中がより健全なほうに向かうのだとすれば、記者が議員や首長などの立場にある人に質問をすることは、社会的に認められてしかるべきでしょう。

しかし、その外の枠には、人が人に対して、依頼をする、依頼を受ける、という立場関係があります。その立場関係があることをわきまえて、取材者は取材に臨むことを求める被取材者は確実におり、その人の主張も社会的に認められてしかるべきでしょう。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
名誉ある業績が動詞に


人は、人の名に「る」などをつけて、動詞にしようとします。

日本で人びとやマスメディアが、よく動詞化の対象にするのは政治家たち。

たとえば、2011年3月の大地震後、官房長官だった枝野幸男氏が不眠不休で震災や原発事故の対応にあたったことから、「枝る」ということばが生まれました。「寝る間を惜しまずはたらく」や「上司に恵まれないため努力を強いられる」といった意味。

首相だった安倍晋三氏が体調悪化との理由で首相を辞任を表明したときも、渋谷の人びとは「あたしも、あしたのバイト、阿部っちゃおうかしらー」と言ったといわれます。つまり「阿部る」で「仕事も責任もなにもかもを放りなげてしまう」といった意味。

日本では、人びとやマスメディアは、人名の動詞化にしばしば、皮肉や揶揄の意味あいを込めるようです。そして、流行語や俗語の域にとどめ、じきにすたれさせていきます。

いっぽう、世界に目を向けてみると、人名の動詞化が、日本とは対極的な具合におこなわれることがあります。つまり、人名の動詞化に、尊敬や賞賛の意味あいを込め、いつまでもそのことばを使いつづけるわけです。

たとえば、英語には「パスチャライズ」ということばがあります。

“-ize”つまり「-アイズ」は、しばしば動詞化のために使われる接尾辞で「何々化する」といった意味をもちます。

このことばの接尾辞“-ize”の前にくるのが、“pasteur”。発音は「パストゥー」。つまり、フランスの化学者ルイ・パスツール(1822-1895)のことを意味しています。

パスツールは「近代細菌学の祖」ともいわれるほど、細菌についてのさまざまな研究や技術をうちたてました。数ある業績のひとつに、「アルコールを飛ばさずに酒のなかの細菌を殺す方法の開発」というものがあります。

細菌を殺すには、細菌の入った液体をぐつぐつと高温で煮立たせれば済みます。しかし、ワインなどの酒に対してこの殺菌法を使うと、せっかくのアルコール分が飛んでしまい、ワインのおいしさがそこなわれることに。

そこで、パスツールは、ワインの風味は保つため、液体を煮立たせないほどの温度に温めて、殺したい細菌あるいは殺せる細菌だけは殺すという方法を思いついたのです。

パスツールが活躍していた時代、「生命とは自然に発生するもの」という考えかたが強くありました。しかし、パスツールは、ワインの風味が変わってしまうのは微生物のためであるということを見抜き、ある程度の高温で微生物を殺すという方法を考えついたのでした。

パスツールのこの業績から、「低温殺菌する」という意味のことばとして、“pasteurize”つまり「パスチャライズ」ということばが生まれました。さらに、これが名詞になって「低温殺菌法」という意味の“pasteurization”つまり「パスチャライゼーション」ということばも使われています。

「パスチャライズ」は、日本語での人名動詞として考えると「パストゥる」といったことになるでしょうか。「この牛乳は、パストゥられてるから、すこし長もちするよ」。

パスツールが亡くなってから116年が経ちました。英語辞典には、“pasteurize”という動詞や、“pasteurization”という名詞がちゃんと載っています。日本でも「パスツーリゼーション」などとよばれています。パスツールはいまも動詞として、その存在を示しつづけているわけです。

参考ホームページ
日本パスツール協会「今までの活動内容」
| - | 23:14 | comments(0) | trackbacks(0)
住居表示50年、「何丁目何番地」以外にも
 

きょう(2012年)5月10日は、日本で「住居表示に関する法律」が施行されてからちょうど50年になります。

住居表示とは、市街地など人や物の往来の多い場所に対して、「何々町何丁目何番何号」といったように「番」そして「号」まであたえた場所の表しかたをいいます。この方式を住居表示に関する法律で定めたわけです。

住居表示に関する法律が施行されるまえは、「何々町何丁目何番地」あるいは「何々町何番地」といったように、町名と番地で場所が表されてきました。しかし、むかしから使われていた番地の境目は、新しくできた道路とは関係なし。そのため郵便配達や土地管理などがやっかいなことになっていたのです。

日本の都市部の住居表示で、“例外”といって多くの人が思いうかべるのは京都市かもしれません。京都市は、政令指定都市のなかでは唯一、住居表示を導入していないからです。

たとえば、京都に本社をかまえる京セラの所在地は「京都市伏見区竹田鳥羽殿町6」。堀場製作所の所在地は「京都市南区吉祥院宮の東町2」。

しかし、京都市以外にも、住居表示をめぐる“知られざる例外”があります。

山形空港もある山形県東根市の一部の地域では、つぎのように住居が示されています。

「東根市板垣大通り16」「東根市神町営団大通り46-5」「中島東通り26」

場所をあらわす名前のつぎに番号がひとつついていることから、京都市の表示と似ています。しかし、東根市の表示は、京都市のとはちがい、れっきとした住居表示。これは日本ではめずらしい「道路方式」とよばれる住居表示なのです。

東根市では、市内を走る通りに対して、起点と終点をもうけて、終点に向かって右側の住居には、1、3、5などの奇数を、左側の住居には2、4、6などの偶数をふっていきます。

また、北海道の浦河町の一部でも、東根市とおなじく「道路方式」を採用。「浦河町昌平町駅通25」や「栄丘西通21」といった住居表示が見られます。

道路方式の住居表示に適した地域として、自治体の説明では「道路が碁盤の目のように整然としていること」がよくあげられます。しかし、東根市も浦河町も、たしかに碁盤状になっているところはあるものの、さほどほかの市町村とちがいはありません。

むしろ、大きな道路の脇にのみ民家や商店が多くならび、道路から離れると民家や商店はすくなくなるといった居住地の特徴が関係していそうです。なお、欧米では「何々ストリート14」のように、道路方式による住居表示が採用されているところがほとんどです。

街を走る通りの脇に番号が振られて、それが住居表示になるのは、「何丁目何番何号」で住みなれた人びとからは、新鮮に受けとめられるもの。「わが街でも道路方式を採用すべきだ」といった声は根づよくあるようです。

住居表示に関する法律の施行から50年後。この先50年後、日本の表示形式は変わっているでしょうか。

参考文献
国土交通省「通りの名前を利用した道案内」
瀬田裕「住所表示より捉える秩序と都市空間把握の関係」
| - | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0)
「やばい」が使われすぎてやばい


街のなかやインターネット上で「やばい」や「ヤバイ」ということばがひんぱんに使われています。

街のなかでは、コンビニエンスストアの前で、若者が「うぉー、このおでんのだし、やばい」とか「うぉー、このアイス、まじやばい」と言っています。

インターネットでは、年齢は不詳ですが、インターネット利用者が「何々すぎてヤバイwww」といった表現で、掲示板や動画のサイトに書き込みをしています。たとえば、動画サイトでは、「外国人のU.N.オーエンの演奏がおもしろすぎてヤバイwww」「戦地から帰ってきた飼主に歓喜のワンちゃんが興奮しすぎてヤバイwww」といった投稿者からの見出しとともに、その動画が紹介されています。

もともと「やばい」は、江戸時代にうまれたことば。江戸時代、犯罪者の収容所は「厄場」(やば)とよばれていました。これに形容詞の「い」がついて、「やばい」。盗人などが、警官役の同心などに取りしまりを受けそうになったとき、「このままでは厄場行きだ」と身の危険を感じて、「やばい」と言ったといわれています。

しばらく「やばい」は盗人などの隠語でしたが、戦後になると闇市などで、取り締まりを受ける危険性から「やばい」が使われるように。その後、市民に定着していきました。

1990年代、「やばい」の意味に、大きな変化があらわれます。否定的な意味だけでなく、肯定的な意味でも使われるようになったのです。

2004年の文化庁による「国語に関する世論調査」では、16歳から19歳の男性で75.6%、女性で65.8%が、「良い」「おいしい」「かっこいい」などをふくむ「とてもすばらしい」の意味で、「やばい」を使っていると答えています。その後も、「やばい」の肯定的な使いかたは増えていることでしょう。

おでんのだしがおいしすぎると感じたり、よろこぶ犬の姿を見て、自分が刑務所に入ると感じる人は皆無でしょう。ただし、いまの肯定的な「やばい」の表現に、本来の「やばい」の語感が失われているかというと、完全に失われているとはいえますまい。

自分がどうにかなってしまい、自分の身によからぬ影響が及びそうだと感じられるくらいに、ものすごい。こういう語感が、いまの肯定的な「やばい」にも残っていそうです。「やばい」を発する当人がそこまで噛みしめているかはべつとしても。

いっぽうで、なんでもかんでも「やばい」と表現するのは、言葉の貧困化にもつながるので、避けるべきだとする意見も、肯定的な「やばい」を使っていない人たちからは聞かれます。

「やばい」を肯定的に使う人が増え、それが自然なものと受けとめられるのが当たり前になれば、そのことばの広がりは止まりそうもありません。

参考記事
北海道新聞2005年7月14日付社説「若者語 言葉は世につれ、だが」
参考ホームページ
文化庁「平成16年度『国語に関する世論調査』の結果について」
日本語俗語辞書「やばい」
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
眠りながら脳は聞きわけ


ラジオを聞きながら、うとうと眠ってしまうことはあるでしょうか。時間が経つと電源が切れるようにしておかないと、ラジオの音は出っぱなしになります。

この人が、つぎにラジオの音を認識するのは、しばらくの眠りから覚めたとき。「あ、ラジオつけっぱなしのまま眠っていたんだ」。

このような音声をつけっぱなしで眠ってしまう経験をくりかえす人は、このような体験を口にします。「眠りから覚める直前まで、音はなにも聞こえてこないのに、眠りから覚めた瞬間に音が聞こえてくるようになる」。

眠りから覚めるとき、急に“音の聞こえ”が復活するというのです。

眠っているときも、耳に栓がされるわけではないため、耳は音を受け入れています。そして、耳が受けた音は、人が起きているときとおなじく、神経をとおって脳へと伝えられます。

では、なぜ、眠っているとき音が聞こえなくことがあるのか。それは、脳そのものが音を受けとめないでいるためといわれます。

睡眠の大きな目的は、起きているときはたらきつづけていた脳が休むため。脳は、音の刺激に対しても、なるべくならじゃまされずに休み続けていたいのでしょう。

しかし、眠っているとき、完全に脳が音をつけつけないでいると、危険な目に遭遇していることを察知しにくくなってしまいます。雷が「ピシャーン」と鳴っているにもかかわらず、眠っていて脳が音を受けとめなければ、その人は雷に打たれてしまうことだってあります。

そこで、眠っているときの脳は、ふだんよく聞きなれているような音を受けつけず、ふだん聞きなれていないような音を受けつけているのです。冒頭のラジオを聞きながら眠った人は、そのラジオから出てくる司会者の声になじんでいたのでしょう。

めざまし時計の音が毎朝おなじにもかかわらず、たいてい起きることができるのは、眠りが浅い段階に入っていることや、静かななかで突然に音が聞こえることなどの理由が考えられそうです。

とはいえ、「あすの朝は、めざまし時計で絶対に起きなければならない」といった重圧のかかっている人は、めざましの音を聞きなれない音にかえてみると、べつの意味での“危険な目”に遭遇するおそれは減りそうです。

参考記事
Excite Bit「眠っている間でも『耳』は聞こえているのか」
参考ホームページ
快眠hack「寝ているときは『耳は聞こえてる』?」
| - | 22:42 | comments(0) | trackbacks(0)
スタジアムでリズムが速くなる
 人は、ほおっておくとだんだん定期的なリズムが遅くなることがあります。自分自身に厳しくないと、夜型になっていったり、定期的なしめきり仕事のペースが遅れていったりというのがその典型です。

いっぽうで、人は、ほおっておくと定期的なリズムが速くなることもあります。

たとえば、プロ野球の外野席で繰りひろげられる応援には定期的なリズムが速くなる傾向がしばしば見られます。

野球場によっては、近隣住民への配慮から、観客のリズムをとるのに有効な太鼓という道具を使えないところがあります。たとえば、神宮球場では夜6時以降、太鼓をつかっての応援ができなくなります。

すると、両軍の応援者が陣どる外野席では、私設応援団のトランペット吹きや笛吹きが応援を導き、一般の観客がメガホンや手拍子でそれに付いていくといったことになります。

応援では、選手の名前を連呼したり、おなじ旋律の応援歌を繰りかえしたりするもの。このとき、ほぼ決まって、メガホンや手拍子のリズムが速くなっていきます。むしろ、トランペット吹きや笛吹きが、観客たちの素早くなるリズムに導かれるように。

応援のリズムが速くなることでとりわけ大きな影響を受けるのが、広島カープの応援者たちでしょう。カープへの応援では、トランペット吹きが応援歌を奏でると、その旋律に合わせて観客が踏み台昇降運動をはじめます。

実際、神宮球場での応援を導いている「東京緋鯉会」という私設応援団のホームページには、神宮球場での応援のよさとともに辛さがつづられています。

―――――
この球場のメリットは、ファンが多く声援が選手に届きやすい。
が…太鼓が使えないため、応援がバラバラになってしまうことがデメリット(泣)
スクワットが自然と早くなり、ラッパも早くなる…。これ超ツライんすよ(笑)
―――――

ヤクルトの応援席から、ものすごい速さでカープファンが踏み台昇降をしているのを見るのは壮快感がありますが、実際に踏み台昇降をしているファンたちはたいへんな運動を強いられます。

野球を観ている人たちの多くは、つぎの投球に対して打者は打つだろうかと、そわそわしているもの。心臓の拍動もふだんにくらべたら増していることでしょう。そうした緊張を強いられる状況では、本能的にくりかえしのリズムのスピードは速まっていくものなのでしょう。

参考ホームページ
東京緋鯉会「各球場での応援方法」
http://www.geocities.jp/higoi_tokyo_official_hp/rule.html
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
降水確率はふたつある尺度のひとつ


人は、未来にふりかかることを「リスク」としてとらえます。そして、「どのくらいのリスクなのか」を考えるとき、しばしばリスクを「おきる確率はどのくらいか」と「おきたときの影響はどのくらいか」というふたつの尺度でとらえようとします。

たとえば、「80%の確率で100人が軽いけがをする」というリスクと、「20%の確率で100人が死ぬ」というリスクを考えたとき、おきる確率は80%と20%であるのに対して、おきたときの影響は100人の軽症と100人の死亡となるわけです。

この確率と影響をかけあわせて、どちらのほうがリスクが高いか、また、どちらを優先してリスク対策をとるかといったことが、考えられていきます。

確率の大きさと影響の大きさというふたつの尺度からリスクを考えることは、組織や企業、また個人の頭のなかなどでひんぱんに行なわれています。しかし、人びとの身近な生活で、「確率の大きさはよく考えられるものの、影響の大きさはあまり考えられていない」という分野もあります。

天気予報は、その典型的なものといえるでしょう。

人びとにとっての大きな関心事は、「出かける時間帯に雨が降るか」ということ。そこで、天気予報の降水確率を気にします。

「神奈川県東部、あす正午から18時までに1ミリ以上の雨が降る確率は90パーセント」。報道や電話などの天気予報では、このような情報が流されています。

「降水確率は90パーセント」と聞くと、人びとは「90パーセントか。これはすごく降りそうだな」と考えるもの。ただし、ここでの「降りそうだな」は、天気予報のありかたにしたがえば、「雨が降るかどうか」という尺度においての「降りそうだな」ということになります。

「90パーセント」と聞くと、人びとは「けっこう本降りかも」などと想像をふくらませがち。しかし、この「90パーセント」という確率には「雨がどのくらいの量、降るか」という尺度はここにはふくまれていません。

ある人が、野外での催しものに出かけるとき、天気予報では現地の降水確率は「90パーセント」だったとします。実際に、会場につくと、雨がぽつぽつと降りだし、傘をさすことに。しかし、その後どうにか天気はもちこたえ、本格的な雨にはなりませんでした。

この場合も、90パーセントの降水確率に対して、実際に雨がぽつぽつであれ降ったのであれば、この降水確率の予想はほぼ正解だったことになります。

リスクを厳密にはかるという点では、降水確率とともに降水量も考えるとより自分への影響がどのくらいか考えられるようになります。天気予報でも、台風や大雨が近づいているときは、「予想される雨量」を示してはいます。

とはいえ、たいていの場合において、降水確率が高ければ高いほど、雨の降る量も多くなるような感覚を人はもつようです。

参考ホームページ
Excite Bit「『降水確率100%』は大雨か?」
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
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