科学技術のアネクドート

交流の大きな利点は電圧を変えられること
電流の方式には、直流と交流があることが知られています。電流の向きと電圧の大きさが一定である方式が直流で、電流の向きと電圧の大きさが変わる方式が交流です。

直流のほうが電流の向きも電圧の大きさも一定で、単純明快な印象をあたえます。しかし、交流の利点があるからこそ、交流が広く使われているわけです。

交流の大きな利点は、電圧を変えられる点にあります。家などに電力が送られるとき交流が方式として使われていますが、これは、発電所から家に電気が届くまでに、変圧器という装置を入れることで、電圧を高められ、効率よく送電することができるから。電圧を高めると、電流を低めることができ、電流を低めると、むだな熱が生じにくくなるのです。

「高圧電線」とよばれる電線があちらこちらに張りめぐらされているのは、電圧を高くした電気が送られている証拠です。

交流では、電流の向きが切りかわるわけですが、どのくらいの早さで切りかわっているかというと、多くのところでは1秒間に50回または60回。1秒間における1周期の振動数をヘルツといい、1秒間での切りかわりが50回であれば50ヘルツ、また60回であれば60ヘルツとなるわけです。

1秒間に50回といえば、0.02秒に一度、電流の向きが切りかわっているわけです。1秒間に60回となれば、0.016666秒に一度。そのくらいひんぱんに電流の向きが変わっているとは、直感的には理解しづらいものがあります。

しかし、たしかに電流の向きがすばやく変わっているということを感じられることがあります。デジタルカメラなどで、1コマの数を多くして、蛍光灯を撮影すると、コマごとに蛍光灯の光が明るくなったり、暗くなったりしているのを確かめられます。


蛍光灯
写真作者:Tamaki Sono

蛍光灯には電極があり、つねに電流は一方向に流れるので、交流の電流を流すと、単純な計算で半分の時間は、電流が流れていないことになります。電流が流れていない時間、じつは蛍光灯は消えているのですが、あまりにも早すぎてヒトの肉眼と脳では蛍光灯が暗くなっていると感じられないのです。しかし、デジタルカメラの高速コマ撮りでは、たしかに蛍光灯が暗くなっていることが撮影されます。敏感な人であれば、肉眼でも蛍光灯がちらついているのを感じることでしょう。

ただし、50ヘルツまたは60ヘルツの交流電流の方向の切りかわりを、その1000倍ほどの20キロヘルツから70キロヘルツぐらいまで早めたインバータ方式という蛍光灯では、すくなくとも肉眼ではちらつきが感じられなくなります。

参考資料
NHK高校講座物理基礎「なぜ交流を使うのか 直流と交流」
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/butsurikiso/contents/resume/resume_0000001959.html
電気事業連合会「直流と交流」
https://www.fepc.or.jp/enterprise/souden/denki/index.html
京都教育大学 沖花研究室「蛍光灯の光はちらちらして見えるって知ってた?」
http://natsci.kyokyo-u.ac.jp/~okihana/trivia/keikoutou/index.html
パナソニック「インバータ式(電子式)点灯回路とは」
https://jpn.faq.panasonic.com/app/answers/detail/a_id/109681/~/《用語解説》インバータ式%28電子式%29点灯回路とは
| - | 20:52 | comments(0) | -
「鼠も桃も揉もうにも揉めません」の「も率」5割8分8厘「も数」10

写真作者:caroline legg(左)dogolaca(右)

早口ことばのひとつに「もももすももももものうち」があります。「桃も季も桃のうち」というわけです。

この早口ことばには、「も」が1文12字のうち8字ふくまれるという「も」の多さにあります。

早口ことばでないものの、1文のなかに「も」が多くふくまれる創作文があります。

「鼯鼠も桃も揉もうにも揉めません(ももんがもももももうにももめません)」

こちらは「も」が1文17字のうち10字ふくまれるものです。「も率」は5割8分8厘であり、「もももすももももものうち」の6割6分6厘より劣るものの、「も数」でいえば10文字なので「もももすももももものうち」の8字より2字まさります。

問題は、「鼯鼠も桃も揉もうにも揉めません」という文の妥当性です。つまり、自然に発せられる文といえるのかどうか……。

つぎのような状況があるとします。

ジビエの料理集に「モモンガ肉の桃ジャム漬け」というものがあります。といいますか、あるとします。料理のしかたは、鼯鼠の肉をやわらかくするためによく揉むこと。それとべつに、桃もジャムにするためによく揉むこと。

しかし、やってみると料理の手順に書いてあるほどうまくいきません。まず、鼯鼠の肉が、思いのほかかたくて、揉もうにも揉めません。

では、桃ジャムづくりはどうかというと、用意した桃はまだ熟していませんでした。こちらも思いのほかかたくて、揉もうにも揉めません。

「モモンガ肉の桃ジャム漬け」の料理にここまで挑んで、「こりゃだめだ」と悟った人が、この料理の方法を考案した人に、手紙を書くのでした。

「誰々先生。ご考案のレシピを参考に、モモンガ肉の桃ジャム漬けに挑戦したのですが、鼯鼠も桃も揉もうにも揉めません。こういう場合、どうしたらよろしかったでしょうか」

この手紙での問いあわせに対する誰々先生からの返事はこの際どうだってよろしい。ここでの問題は「鼯鼠も桃も揉もうにも揉めません」が自然な文といえるかどうかだからです。

はたして自然な文といえるでしょうか。これはひとえに、読んだ人が「自然だ」もしくは「ありえる」と感じれば「自然な文」といえるし、「不自然だ」「あるはずない」「ばかげている」と感じれば「自然な文」といえないとしかいいようのない問題ではないでしょうか。つまり、読んだ人の判断に委ねるしかすべはないのではないかということです。
| - | 20:16 | comments(0) | -
「こようもございません」や「こよねー!」は、ありうるものの使われず

写真作者:Felipe Peixoto

「主の御年は、おのれにはこよなくまさり給へらむかし。みづからが小童にてありし時、主は二十五、六ばかりの男にてこそはいませしか」

これは、平安時代の後期に成立した歴史物語『大鏡』にある、夏山茂樹の大宅世継に対することばです。「あなたのお齢は、私よりはなはだ上でいらっしゃいましょう。私が幼い子どもであったとき、あなたは二十五、六歳ほどの男性でいらっしゃいました」といった意味になります。

1000年以上も前から、「こよなく」ということばが使われていたことがうかがえます。昔から「はなはだ」といった意味で使われていたようです。21世紀のいま「こよなく」といえば、「愛する」がつづき、「こよなく愛する車」のように使うことがもっぱらですが。

「こよなく」は、「越えなし」あるいは「越ゆなし」からきているという説があります。「越えるものがない」ということで、「はなはだ」や「この上なく」といった意味が「こよなく」にあるというわけです。

よく「何々ない」ということばには、「何々が無い」と分かれるものでなく、「何々ない」で一語であるものがあるといわれます。たとえば、「危ない」はこれで一語。よって「危ございません」や「危ある」は本来の使いかたとしてふさわしくないことになります。「はしたない」や「しがない」も、「危ない」とおなじように、これで一語とされます。

では「こよなく」がこれで一語かというと、上の「越えなし」あるいは「越ゆなし」からきたことばだとすれば、かならずしもそうといえないのではないでしょうか。

あえて、「こよなし」に「ございません」をつけるとすれば、「こようもございません」や「こゆにございません」となるでしょう。「はなはだしくございます」や「この上なくございます」の意味になります。

「田中さんのネコに注ぐ愛情といったら……。それはもう、こようもございませんね」

「この鰹だしのお味の上品さは、こゆにございませんわね」

ことばは、いつどこで発展するかわかりません。そのうち「すごーい!」といった意味で、「こよねー!」といった使われかたがあらわれるかもしれません。たとえば、つぎのように使われる日がくることもなきにしもあらず。仲のよい男子高校生の会話例です。

「おれさぁ、毎日、彼女に10回もLINE電話で愛してるって直に伝えてるんだぜ」
「うほっ! こよねー!」

しかし、「こよなく」が、なかなか「こようございません」や「こよねー!」のように使われないのは、「こよなく」という副詞的なことばの表現的な完成度が高いからでしょう。崩したり、変えたりして使う気を起こさせないことばが、「こよなく」なのではないでしょうか。

参考資料
精選版 日本国語大辞典「こよなし」
https://kotobank.jp/word/こよなし-269954
マナぺディア「大鏡『雲林院の菩提講(先つころ、雲林院の菩提講に詣でて〜)』のわかりやすい現代語訳」
https://manapedia.jp/text/3548
減点されない古文「こよなし 形容詞(ク活用)」
https://hohoemashi.com/koyonashi/
NHK放送文化研究所 2023年9月1日「『とんでもありません(とんでもございません)』という言い方は,とんでもない?」
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/20230901_5.html
| - | 21:49 | comments(0) | -
裏金問題の真相に向け、懸賞広告を出してみたら……

写真作者:Richard, enjoy my life!

政治資金パーティー収入の裏金問題をめぐり、当事者にあたる政治家たちは国会の場で「知らぬ存ぜぬ」をくり返しています。おなじく「秘書が、秘書が」とくり返す政治家もいます。

では、だれがことの真相を知っているのか。だれも知らないということはないでしょう。

真相を知っている人に、真相を打ちあけてもらうため、興味と資金のある人は懸賞広告を出してみたらいかがでしょうか。つぎのような具合に。

「政治資金パーティー収入の裏金問題について、だれが指図をしたのかなど、まだ公表されていない事実を知っている人は、ぜひとも告発してください。告発の内容により、最高で10億円をさしあげます」

懸賞金は、たいてい重要犯罪にかけられるものです。警察庁が「捜査特別報奨金」という名でかけるもののほか、民間の人がかけるものもあります。重要かどうかはともかく、裏金問題は犯罪の要素がたぶんにあるので、かける対象になりうるのではないでしょうか。

懸賞広告を定めた民法第529条から第532条には、有効な期間や支払いのしかたについて書かれているものの、懸賞の対象についてはなにも書かれていません。この点でいっても、裏金問題の真相は、かける対象になりうるのではないでしょうか。

「はたして、懸賞金という金につられる人はいるだろうか」という話が出るかもしれません。なるほど、政策秘書たちと議員とのあいだには固い結束がありそうです。しかし、「10億円」とか「100億円」とか、高額の賞金をかければ、「もう一切合切をしゃべって、政治界から足を洗ってしまおう。先生よ、おさらば」と、開きなおる人物が現れるのではないでしょうか。

近ごろは、資金がないというとき、「賛同者たちの集団による資金調達」といった方法もよく使われています。だれかが言いだせば、賛同してそれなりの資金を出すという人たちはいることでしょう。

参考資料
e-GOV法令検索「民法」
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=129AC0000000089
「捜査特別報奨金制度」
https://ja.wikipedia.org/wiki/捜査特別報奨金制度
| - | 21:00 | comments(0) | -
長期増強「海馬から前帯状皮質へ」の手順あり


1か月や1年や一生といった長きにわたり保たれる記憶を「長期記憶」といいます。食べもののうらみを忘れないとか、百年の恋が覚めるとかは、長期記憶のなせるわざといえます。

2020年代になり、この長期記憶の手順が研究者たちの手によってわかってきました。長期記憶に欠かせない、脳における「長期増強」という現象を、意図的に“消せる”ようになり、「このとき、この部位の長期増強を消したら長期記憶に影響が生じるか」「このとき、この部位ではどうか」と調べられるようになったからです。

たとえば、ある人が“translucent”という英単語を暗記で覚えようとしているとします。ちなみに“translucent”は「半透明な」という意味です。

「トランスルーセント、半透明、トランスルーセント、半透明……」と念仏のように唱えて覚えようとしている最中、まず脳の海馬というところに変化が起きます。

海馬は、大脳にある古くからの皮質で、「海馬」つまりタツノオトシゴにかたちがにているため、そうよばれます。この海馬で長期増強が起きます。つまり、海馬における神経細胞と神経細胞のあいだの信号伝達がさかんになりつづけるのです。長期増強に携わる神経細胞の面々は、「この神経細胞に信号を伝えるぞ」とそれぞれ相手を選んだり、「いっせいのせで伝えるぞ」と時期を揃えようとしたりします。

さて、この人は暗記しているうちに眠くなり、床に就くことにしました。この「暗記をした当日の睡眠中」に、おなじく海馬で、さらにもう一段階の長期増強が起きます。ただし、暗記している最中の長期増強とはやや質の異なるもの。「暗記をした当日の睡眠中」における海馬の神経細胞の面々は、「いっせいのせで伝えるぞ」と時期を揃えることにのみ力を注いでいるようです。

朝になりこの人は目を覚まし、そして一日を過ごし、また夜に眠くなり、床に就くことにしました。この「暗記をしてから2日目の睡眠中」に、こんどはべつのところで変化が生じます。大脳のうち、海馬よりも前のほうにある「前帯状皮質」というところで長期増強の現象が起きるのです。前帯状皮質は、以前から、古い記憶を想起するとき活性化されることが知られていました。いわば長期増強の現場が、海馬から前帯状皮質に移ったともいえるでしょう。

こうして、「暗記しているときの海馬での第一の長期増強」「暗記した当日の睡眠中の海馬での第二の長期増強」「暗記した翌日以降の前帯状皮質での長期増強」という手順を経て、「translucentは『半透明な』」という長期記憶が形づくられていくようです。

参考資料
改訂新版 世界大百科事典「海馬」
https://kotobank.jp/word/海馬-166007
実験医学online「LTP」
https://www.yodosha.co.jp/jikkenigaku/keyword/1340.html
後藤明弘・林康紀「光によるシナプス可塑性制御で明らかになった記憶固定化機構」
http://glutamate.med.kyoto-u.ac.jp/shared/images/2/2d/Goto_生物物理_2022.pdf
| - | 21:29 | comments(0) | -
「駅に水飲み場」東京都はいまも展開中

駅での「水飲み場」が減りました。昭和時代には水飲み場に蛇口だけでなくコップまで置いてある主要駅もありました。夜行列車に乗る人たちが歯みがきをするためのものだったのでしょう。

東京メトロは、冷水機式の水飲み場を2014年度に廃止し、蛇口式の水飲み場もふくめ2018年5月までに全廃としたようです。

JRも、門司港駅の「帰り水」など文化遺産的な水飲み場になっているものを除けば、ほぼ廃止したといってよいでしょう。

そうしたなか、いまも管轄するすべての駅に水飲み場を置きつづけている事業者が、都営地下鉄を走らせている都営交通局です。

都営地下鉄の駅の水飲み場は冷水機式のもので背丈は低め。器の手前のボタンを押すと器の右前にある吸水口から水が出てきます。子どもや車椅子を使っている人でも使いやすいような設計にしているようです。

多くの事業者が、持ちあるけるミネラルウォーターが広まって水飲み場を廃止するなか、東京都交通局が駅に水飲み場をいまも置きつづけている背景に、「東京の水道水」を広めたいという都のねらいがあるようです。

東京都水道局は、公共性の高い場所などおよそ900か所に水飲栓を「東京水ドリンキング・ステーション」として設置しています。都営地下鉄の各駅にある水飲み場を2017年、この「ステーション」に指定しました。

なぜ都が「東京の水道水」を広めたいかといえば、水質の高い水道水を供給しているという自負心があるから。水道局は、「安全でおいしい水道水」へのとりくみとして、「国の定める水質基準を大きく上回る283項目の検査」「131箇所の蛇口(給水栓)で常時水質を確認」「ISO/IEC 17025を取得」などをおこなっているとうたいます。ISO/IEC 17025とは、国際標準化機構により定められた「試験所と校正機関の能力に関する一般要求事項」の国際標準規格のこと。

伝言板、時刻表、時計など、駅にあったものが減っていっているなか、都営地下鉄の駅の水飲み場は、すくなくともしばらくなくなることはなさそうです。

参考資料
乗りものニュース 2017年7月18日「東京メトロの『冷水機』、消えた? 蛇口タイプの水飲み場全廃で気になるその行方」
https://trafficnews.jp/post/76376
九州テレビ 2023年4月1日「『帰り水の謎に迫る』名前の由来とは?」
https://kyushu.tv/kaerimizu/
東京都交通局 2023年8月10日「移動中もこまめな水分補給で熱中症対策を」
https://www.facebook.com/toeikotsu/posts/670070145156864/
東京都水道局「水源・水質」
https://www.waterworks.metro.tokyo.lg.jp/suigen/high_quality.html
東京都水道局「くらしと水道」
https://www.waterworks.metro.tokyo.lg.jp/kurashi/drinking_station/
ウィキペディア「ISO/IEC 17025」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ISO/IEC_17025
| - | 11:33 | comments(0) | -
二度目の帰還なった古川聡さん、13年前は「地球酔い」を経験

古川聡宇宙飛行士。2023年6月撮影
写真作者:NASA

宇宙航空研究開発機構の所属する宇宙飛行士の古川聡(1964-)ら4人のうちゅ飛行士が国際宇宙ステーションの中期滞在を終え、きょう(2024年)3月12日(火)地球に帰還しました。

古川さんの宇宙滞在は今回で二度目。一度目は2011年6月から11月にかけてで、今回は2023年8月からの2024年3月にかけて。およそ12年ぶりの宇宙飛行となりました。あわせての宇宙滞在日362日は、日本人では若田光一さんの504日につぐものといいます。

一度目の宇宙からの帰還後、古川さんはかなりの「地球酔い」を経験したといいます。地球酔いとは、宇宙から戻ってきてからの地球での感覚に対して、気分が悪くなること。帰還直後、頭のなかがぐるぐる回る感覚をもったそうです。

その後の米国航空宇宙局でのリハビリテーションの体験をこう話しています。

「はじめはどのくいらいまで体を傾けるとどのくらい体重がかかるのかわからなかったので、体を傾けてみたり、首を曲げてみたりしました。でも、そうすると気持ち悪くなります」

リハビリテーションは45日間で完了となりました。

バス酔いしやすい人としづらい人がいるように、「地球酔い」あるいは、宇宙に行ったときの「宇宙酔い」をしやすい人としづらい人はいるのでしょう。

おそらく古川さんは、二度目の宇宙ということで、一度目に経験した「地球酔い」を踏まえて、これから地球での生活を送っていくのではないでしょうか。つまり、一度目ほど激しい地球酔いをせずに、地球での生活に戻れるよう算段を立てているのではないでしょうか。

報道の写真では、帰還宇宙船クルードランゴンから降り、手を振る古川さんの表情は笑顔です。気分のほうはいかばかりでしょうか。後日、二度目の宇宙体験と「酔い」の感覚について語ってくれる日がくることでしょう。

参考資料
UchuBiz 2024年3月12日「古川聡宇宙飛行士、地球に無事帰還–国際宇宙ステーションに200日滞在」
https://uchubiz.com/article/new42078/
漆原次郎『宇宙飛行士になるには』
https://www.amazon.co.jp/dp/4831513806
産経新聞 2024年3月12日「古川聡さんが地球に帰還、笑顔で手を振る 約6カ月半の宇宙任務終了」
https://www.sankei.com/article/20240312-2CEVI2IN4RMHNBVTEVXH7F65UU/
| - | 22:46 | comments(0) | -
福島第一原発事故に「人間のなすすべなさ」感じた人も

2011年3月16日に撮影された福島第一原子力発電所
写真作者:Digital Globe

特撮テレビ番組「ウルトラマン」では、怪獣が現れて街を破壊しはじめてからウルトラマンが登場するまでのあいだ、毎回のように「科学特別捜査隊」が怪獣への対処にあたります。戦闘機などで怪獣に攻撃をしかけるものの、たいていなすすべなく、ウルトラマンの登場を待つことになります。

「人間のなすすべのなさ」を、2011年3月の福島原子力発電所事故で、報道などを通じて感じた人は多いのではないでしょうか。

津波による浸水で電源が失われ、圧力容器内の水が枯渇し、圧力容器内の水位が下がっていきました。東京電力の資料によると、1号機では大地震と大津波が起きた3月11日すでにこの状況に陥っていましたが、3号機では13日に、2号機では14日にこの状況となり、刻一刻と圧力容器内の温度が上がっていくようすが伝えられました。

覆う水がなくなり、炉心が剥きだしになってもなお、なすすべありません。

核燃料をどうにか冷やさなければならない。17日になり、自衛隊が政府からの命により、ヘリコプターで原発ちかくの海水をくみあげ、3号機に対し、30トンの水を投下しました。テレビなどを通じて、そのようすを見た人もいるでしょう。

しかし、放射線が強いため、ヘリコプターを核燃料に近づけることができません。投下した水は、原発の上空で、風に吹かれて霧雨のようなるのみ。この作戦も、報道に触れていた多くの人に「人間のなすすべのなさ」を感じさせるものだったにちがいありません。結局、放水の効果がどのくらいあったかはわかっていないといいます。

福島原子力発電所事故が「ウルトラマン」と異なるのは、創作のできごとでなく事実だったこと。そして、怪獣の襲来という不可抗力的な状況でなく、人間そのものが招いた状況だったことです。

こうした「なすすべのなさ」の実感というのは、すくなからずその人にとって、人間の技術利用に対する考えかたを改めたり定めたりするものかもしれません。

参考資料
円谷プロダクション「科学特捜隊」
https://m-78.jp/character/sssp/
東京電力「福島第一原子力発電所1〜3号機の事故の経過の概要」
https://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/outline/2_1-j.html
2021年3月30日「『原発に水を入れろ』決死の放水 舞台裏でいったい何が…」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210330/k10012942471000.html
| - | 19:37 | comments(0) | -
下調べして旅先を訪れるからこその感じや気づきを得られる

写真作者:fdecomite

旅のしかたとして、「現地を下調べせず、訪れてみての感じや気づきを大切にする」というものがあります。

これから訪れるところを調べてしまうと、いざ訪れたとき「ガイドブックで見たとおりだ」と、いわば答えあわせの旅のようになってしまうため、現地を訪れる趣がなくなる、もしくは薄れるというわけです。

しかし、下調べをしたからといって、訪れてみての気づきや感じが減るかというと、そうともいえないのではないでしょうか。むしろ、下調べをしておいたからこそ得られる気づきや感じがあるのではないでしょうか。

たとえば、旅先にあるという遺構について、だれがどのようないきさつでつくったものかを下調べするとします。そのうえで、実際に旅に出て、その遺構を訪れるとします。

その場所に立つとどうでしょう。いまは遺構となっているその建てものをつくった人物がその当時に見ていたであろう光景を思いうかべることができます。遺構となっているレンガや石垣の積みかたの妙に気づくことができます。

下調べせず、その場に行って、そこではじめて遺構があると知ったとしたら、そこまでの感じや気づきを得られないのではないでしょうか。そもそもそこにそうした見る価値のある遺構があると気づかないことさえありえます。

下調べをせず旅先を訪れたときの感じや気づきとおなじくらいの感じや気づきを、下調べをして旅先を訪れたときも得られるものです。感じや気づきの質はすこし異なるかもしれませんが。
| - | 18:29 | comments(0) | -
1,435ミリメートルに「安定感」覚える人も

軌間1,435ミリメートルの鉄道

日本の鉄道のおもな軌間には、1,067ミリメートルと1,435ミリメートルのものがあります。JRの在来線などでは1,067ミリメートルが使われ、新幹線や一部の私鉄や路面電車などでは1,435ミリメートルが使われています。

幅の差は368ミリメートル。軌道にあらためて注目してみると、明らかにちがいがわかります。

世界的には1,435ミリメートルの軌間を「標準軌」とよび、1,067ミリメートルのほうを「狭軌」とよびます。しかしながら、日本では1872(明治5)年、当時の新橋駅と横浜駅のあいだで開通した官営鉄道の時代から1,067ミリメートルが採られていたため、こちらのほうを標準的に考える向きもあるようです。一説によると、山がちな日本では急勾配や急曲線な線形で線路を敷かねばならず、狭い1,067ミリが選ばれたともいいます。

しかし、感覚的には、1,435ミリメートルのほうが幅広く安定感があり、そこから安心感さえ覚える人もいるのではないでしょうか。そう感じる人のなかには、「地に足がついたような走りかたを覚える」と言う人もいます。

逆にいえば、軌間1,067ミリメートルの線路のうえを走る列車は、どこか不安定さを感じるという人もいるでしょう。もちろん、1,067ミリメートルでも安全性は確保されていて、たとえばかつてのJRの特急「はくたか」は、軌間1,067ミリメートルのうえを時速160キロメートルの最高速度で走っていました。

鉄道では、1,435ミリメートルや1,067ミリメートルのように、軌間の種類が定められているため、路線や鉄道会社をまたいでの直通運転ができるわけです。「線路は続くよどこまでも」と歌われるのは、こうした規格があるからといえます。

参考資料
日本民営鉄道協会「民営鉄道のレールの幅は、どの鉄道会社も同じなのですか?」
https://www.mintetsu.or.jp/knowledge/faq/19.html
西野法律事務所「線路の幅」
https://www.nishino-law.com/publics/index/22/detail=1/b_id=46/r_id=1031
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人工知能規制法に合意済の欧州、指針さえ未決定の日本

写真作者:托马斯

欧州は、環境保全のための規制に先進的であることで知られていますが、人工知能の利用をめぐる規制でもほかの地域より進んでいます。

2023年12月、欧州連合は、危険の段階ごとに人工知能の利用を規制し、違反に巨額の制裁金を科す法案を大筋で合意したと伝えられました。欧州委員会委員長のウルズラ・フォンデアライエン(1958-)は、「人工知能規制法は世界初だ」と歓迎しているといいます。

欧州の人工知能規制法の基本にあるのは、人権や自由の確保を最優先すべきというもの。人工知能によって、これら人権や自由を侵されてはならないという考えだともいえます。

規制のしかたを分ける「危険の段階」とは、危険度の高いほうから順に「許容できない危険」「高い危険」「限定的な危険」「最小の危険」という4段階。

たとえば、「許容できない危険」には、人の生命や基本的人権に直接的な脅威をもたらすと考えられる人工知能系がふくまれます。この規制法では、これらの人工知能系を禁止すると定めています。

また、「高い危険」には、人工知能による雇用・労働者の管理などがふくまれます。規制法では、要件と事前適合性評価の準拠を条件としています。つまり、特定の条件を満たし、あらかじめ利用は妥当と評価を受けたものにかぎって使ってよいと定めています。具体的な要求事項としては「危険管理過程を確立して実装すること」や「適切な透明性確保や利用者への情報的興をすること」などがふくまれます。

これらの禁止や規制の対象は、欧州連合圏に投入される人工知能とその提供者、また展開者です。欧州連合内にて、人工知能をもちこんだり使ったりするという場合、日本人も関係なしとなりません。

では、その日本での人工知能規制をめぐる制度づくりはどうかというと、2023年12月、日本政府が開発や利用に関する指針案を示しました。人工知能を活用する人が守るべき原則として「人間中心」「安全性」「プライバシー保護」などの10原則を掲げます。2024年3月までに正式決定するとしていますが、3月8日の時点ではまだ正式決定の発表がありません。

欧州で規制法に合意と伝えられるなか、日本は指針案を示すにとどまっていることから、進捗度が大きく異なっていることがわかります。

参考資料
NHK NEWS WEB 2023年12月9日「EU AI利用などの規制法案 大筋合意 委員長“世界で初めて”」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231209/k10014283091000.html
PWC「欧州『AI規則案』の解説」
https://www.pwc.com/jp/ja/knowledge/column/awareness-cyber-security/generative-ai-regulation03.html
読売新聞オンライン 2023年12月5日デジタル規制論の第一人者、日本国内のAI規制は『消極的で欧米から遅れ』と指摘…広島プロセスは『G7を主導』と評価」
https://www.yomiuri.co.jp/economy/20231205-OYT1T50020/
毎日新聞 2023年12月22日「AI、事業者向け10原則 規制と競争 日本、攻勢なるか 政府指針案」
https://mainichi.jp/articles/20231222/ddm/002/010/072000c
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吸盤の器に油で「どっしゃーん」知らず

元写真作者:Trevor Mattea

台所の壁の金属板に吸盤つきの留め具をはって、お玉やおろし金などを引っかけている人も多いことでしょう。

ところが、金属板の表面が汚れていたり、引っかけるものが重すぎたりすると、吸盤が耐えられなくなり、外れてしまいます。

「どっしゃーん」

夜中などに、このような音がして驚くといったことがあります。

吸盤のはりつきをよくするのに、吸盤の器に油を塗るという手があります。これは、吸盤がはりつくしくみを考えると理にかなった手といえます。

吸盤がはりつくのは、外側から大気圧におされるから。大気圧とは、空気のもっている圧す力のことです。空気のあるかぎり、私たちのからだも、ハスの上のカエルも、そして吸盤も、つねに大気圧におされています。

とはいえ、ただ単に吸盤を机のうえに転がせておいただけでは、吸盤は吸着しません。金属板などの平面のものに対し、吸盤を指で押すなどして、吸盤の器内の空気を除くことで、吸盤は吸着します。これは、吸盤の内側からの大気圧がほぼなくなり、吸盤にかかるのはもっぱら外側からの大気圧のみとなるから。

吸盤がとれてしまうとすれば、吸盤の外側だけでなく内側からも大気圧が生じてしまうことが原因のひとつとなります。金属板の表面に汚れなどの凹凸があると、そこから吸盤の内側に空気が入りこみ、内側からの大気圧が生じてしまい、吸盤がとれてしまうというわけです。

そうとあれば、吸盤の内側に空気を入れなくすることが、吸盤のはりつきをよくする手となります。吸盤の器に油を塗れば、吸盤の内側に空気が入りづらくなります。油でなく水でもよいかもしれませんが、水のほうが蒸発しやすいため、水より油のほうが向いています。

油を吸盤の器に塗って、吸盤を金属板などに指で押すと、しばらく油の滑りやすさによって吸盤は動きやすくあります。このときまだものを引っかけないほうがよいでしょう。しばらくすると、吸盤がしっかり吸着するので、あとは「どっしゃーん」知らずの生活を送るのみです。

参考資料
テレビ大阪 かがくdeムチャミタス! 2015年2月13日「人は天井にぶら下がれる? 吸盤で大実験!!」
https://www.tv-osaka.co.jp/ip4/muchami_smp/housou2015/1237604_9347.html
中京テレビ でんじろう先生のはぴエネ! 2015年6月27日「吸盤がくっつくワケ」
https://www.ctv.co.jp/hapiene/program/20150627/index.html
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書評『京都の平熱』
原本は2007年刊。文庫本は2013年刊。文庫本の刊行から10年以上が経ちますが、本に出てくる店の多くはいまもやっています。

『京都の平熱 哲学者の都市案内』鷲田清一著、写真・鈴木理策、講談社学術文庫、2013年、274ページ


とくに京都の街では、初めての店に入るのに勇気がいる。店から「いらっしゃい」と招いてくれる雰囲気はなく、店のなかで顔なじみだけで仲よくしていそう。「一見さんお断り」の店も多い。となると、気軽に入りやすい、イノダコーヒー、餃子の王将、天下一品へ、となってしまう。

「よそ者」の多くが、京都の人たちに「すこし距離を置かれている」と感じるとしたら、その感じはどこからくるのだろう。

本書『京都の平熱』にその明らかな答えがある。

著者は、いわずと知れた日本を代表する哲学者のひとり。京都の佐女牛井町で生まれ育ってきた。西本願寺から堀川通を越えた北西、いまロイヤルホストが建っている一角だ。

京都の人が、京都市営バス「206番」の進む道に沿って、「平熱」の京都を案内する。京都駅、祇園、出町、北大路烏丸、大宮などを経て、京都駅に戻ってくる。風俗やファッションへの眼ざしから「ピンク映画館」や「京の着倒れ」に話は及ぶし、哲学者になる思慮深さで「外の世界」に通じる京都の「孔」の存在を論じる。

京都の人たちが、外の人たちに「距離を置く」理由を、こう説く。

為政者たちにとって京は戦と支配の地だった。帝のすまうこの地で、足利幕府の統治、応仁の乱、豊臣家そして徳川家の支配、新撰組の戦いといった具合に、戦と支配がつづいてきた。

これは、町衆からすればえらい話だ。つぎつぎ代わる為政者から支配を受け、戦や乱が起きれば家を焼かれるのだから。時の為政者につこうものなら、つぎの政変で家が滅びる……。

「外部からの支配者には従わざるをえないが、接近しすぎるのはもっと危ない。それが身に沁みているから、外からやってきたひとには一定の距離を取る。内側を見せない」

京都の人に「ぶぶ漬け、どうどす」と勧められたら、「そろそろお帰りください」の意味。この屈折した話法が、まことしやかながら、まったくの虚言とならないのも、「『弱い』者の自衛手段」と考えれば合点がいく。

平安時代から庶民が重ねてきた京の暮らしを、現代の京にゆかりある庶民がその視線で描く。結果、名所を案内するガイドブックとまったく趣の異なる「都市案内」となったわけだ。

『京都の平熱』はこちらでどうぞ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4062921677
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暗箱の象徴だった人工知能に透明箱あらわる

画像作者:justin lincoln

ひと昔まえ、あるホームセンターが人工知能を使ってみたところ、「店内の高感度スポットはここです」と示され、そこに店員を配置すると、客単価が15パーセント上がったという話がありました。

なぜ、そこに店員を配置するとよいのかわからない。でも、とにかく、そこに店員を配置したら、めざましく売りあげが改善したという話です。

この話にあるように、人工知能は「暗箱」の象徴となってきました。暗箱とは、使いかたはわかれど、しくみはわからない装置のこと。「ブラックボックス」ともいいます。

ただ単によい結果を得たいだけなら、暗箱の人工知能を使えばよいのでしょう。しかし、そうなった理由を求められるとなると、「とにかく人工知能がそう言ってくれたんだもの」だけでは、説明できたとはいえません。

人工知能を使って得た結果について、どうしてその結果に至ったのかを聞かれる場面はいろいろありそうです。社長から「ライバル企業に圧勝できたのは、どういうわけだ」と求められたり、あるいは被雇用者から「どうして私は左遷される羽目になったのですか」と迫られたり。

こうしたことから、「透明箱」型の人工知能が求められています。

透明箱とは、どうしてそうなるのかがわかる装置のこと。「ホワイトボックス」ともいいます。人工知能でいえば、どうしてその判断に至ったのかの内訳を知ることができるものが透明箱型の人工知能です。「説明可能な人工知能」(XAI:eXplainable Artificial Intelligence)ともいいます。

透明箱型人工知能を使った事例はすでに世に見られます。とくに「ホワイトボックス型AI」と称される日本電気の透明箱型人工知能サービスは、やたらとインターネット検索に引っかかり、活用事例が示されます。「いつもの状態」を見える化することで異常な予兆を検知する「インバリアント分析」という透明箱型の人工知能技術を使って有人宇宙船の開発をしているロッキード・マーティンの事例。また、多種のデータから自動的に規則性を見いだす「異種混合学習」という透明箱型の人工知能技術を使って、経営層らに「なぜそうなのか」説明できるようになったコニカミノルタの事例などなど。

しかし、透明箱のなかを見ることができたとしても、そこでなにがどうなっているかを理解するには、かなりのリテラシーないし専門知識が必要そうです。

たとえば、野村総合研究所の記事では、「インテグレーテッド・グラディエンツ」「ライム」「SHAP」といった、説明可能な人工知能での実際の説明画面が見られます。説明そのものは、記事の解説があればわかるという人もいるでしょうが、その説明のしくみを理解するにはそれぞれ、「ベースライン」「勾配」、「解釈が容易なモデルでの局所的な近似」、「Shapley値」といった概念を承知することが大切そう。だれもかれもが、透明箱型の人工知能がなにを説明しているか読みとけるといったことではなさそうです。

透明箱型の人工知能については、人工知能の判断を説明できるようにするという考えかたはよいものといえます。性能面でも、暗箱型の人工知能にくらべて精度が落ちない場合もあるといいます。

ただし、箱を透明にしたところで、利用者みながその箱の中身を理解できるのかという課題がありそうです。「解説代」や「翻訳代」をふくめ、開発企業の儲けになるのでしょう。

参考資料
ダイヤモンドオンライン 2013年5月7日「ここまで来た、ビッグデータ活用 課題を克服し、収益向上を実現するために」
https://diamond.jp/articles/-/35105
改訂新版 世界大百科事典「ブラックボックス」
https://kotobank.jp/word/ブラックボックス-8302
旭リサーチセンター「『なぜ?』に答える説明可能AI」
https://arc.asahi-kasei.co.jp/member/watching/pdf/w_310-01.pdf
日本電気「NEC White Box型AI事例集」
https://jpn.nec.com/ai/pdf/White_Box_AI_2023.pdf
日本電気「インバリアント分析」
https://jpn.nec.com/ai/analyze/invariant.html
NRIセキュア ブログ 2022年4月8日公開「そのAIの思考、説明できますか? いま求められるExplainable AI(説明可能なAI)」
https://www.nri-secure.co.jp/blog/explainable-ai
ハーバードビジネスレビュー 2023年7月18日「AIの精度と透明性は両立する」
https://dhbr.diamond.jp/articles/-/9714
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痕跡ある記憶を、再生過程を経て想起する

写真作者:Paul VanDerWerf

人は、機械で撮影したり録画したりしたものを媒体にデータ化して保存し、見聞きしたいとき再生するということをよくやっています。写真機で撮った写真を紙焼やコンピュータ画面で見たり、録画機で録画した映像をテレビ画面で見たりといったことです。

しかし、人は、こうした機械や媒体を使わずとも、からだを使って「保存」し、「再生」しています。みずからの体験したことを心のなかに「保存」し、思いだしたいとき、あるいは思いだしたくないときも、脳裏で「再生」する、といった具合に。

なにか体験したことを記憶しているということは、なにかしら脳にその体験のまえとあとで「ちがい」が生じていると考えられます。ドイツの進化生物学者リチャード・ゼーモン(1859-1918)は、この「ちがい」は物理的な痕跡として脳に残るのだとし、それを「記憶痕跡」ということばで表しました。「エングラム」ともいいます。

機械を使って撮影したり録画したりしたものを保存するとき、アナログ的はフィルムに光のあたったところを色ありにする現像をしたり、デジタル的には0と1の並びを変えるデジタル保存をしたりします。このときの、色がついた跡や、0と1の並びが変わった跡が、脳でいえば記憶痕跡にあたるというわけです。

記録や記憶をしたものは、再生されることで、その記録したり記憶したりした目的がかなうことになります。写真や映像の記録いえば、フィルムやデジタルデータから写真や映像を見られるようにすることが再生です。いっぽう、脳の記憶でいえば、記憶されたものから想起することが再生となります。

ゼーモンは、脳に「記憶再生過程」とでもいえるこの再生のみちすじがあるとも考えました。このみちすじを「エクフォリー」ともいいます。

つまり、人における像の再生である想起とは、脳において「記憶痕跡」として形づくられる記憶を解錠する「記憶再生過程」を通じてこそなされる、というわけです。

ゼーモンの唱えた、記憶痕跡の説は、いまおおむね正しかったと考えられています。なぜなら、体験や学習をすると脳の神経細胞と神経細胞のあいだのシナプスというつなぎ目が強化されるという現象があるとわかったからです。

おなじくゼーモンの唱えた記憶再生過程の話は、正しいかどうかというより、当然あるといえます。なぜなら、だれもが経験として感じられるように、人は実際なにかを想起するとき、記憶を再生する過程を経ているからです。記憶再生過程については、記憶痕跡があるかどうか論じられる対象になるのとちがって、必然的にあるといえるものではないでしょうか。

記憶再生過程については、「あるかどうか」より「記憶痕跡とどう作用しあうか」が論点となりそうです。「想起のされかた」は時と場合により異なるものであって、では、どうして時と場合により異なるかといえば、記憶再生過程と記憶痕跡の相互作用のしかたに左右されるからです。

参考資料
ブリタニカ国際大百科事典「エングラム」
https://kotobank.jp/word/エングラム-38069
ブリタニカ国際大百科事典「記憶痕跡」
https://kotobank.jp/word/記憶痕跡-49920
脳科学辞典「記憶痕跡」
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/記憶痕跡
心理学辞典「エクフォリー」
https://sakura-paris.org/dict/心理学辞典/content/164_434
関口理久子「自伝的記憶と情動 情動的自伝的記憶の神経学的基盤」
https://core.ac.uk/download/pdf/22872019
Jung Hoon Jung et al. “Examining the engram encoding specificity hypothesis in mice”
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/36990091/
LOTERRE “ecphory”
https://skosmos.loterre.fr/P66/en/page/-XXG0MXW3-2
福元圭太「記憶、エングラム、エクフォリー ヘーリングからゼーモンへ」
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/4773108/48_p017.pdf
科学研究費補助金 2021年度実施状況報告書「物質に宿る記憶 リヒャルト・ゼーモンの『ムネーメ理論』研究」
https://kaken.nii.ac.jp/ja/report/KAKENHI-PROJECT-20K00499/20K004992021hokoku/
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ユニクロ傘、かゆいところまであとすこし


さまざまな道具のなかで、傘の進歩はわりかし遅いといわれます。

そのなかでも、折りたたみ傘の誕生は、傘の歴史では画期的ではないでしょうか。生みの親はドイツの技術者ハンス・ハウプト(1898-1954)で、1932年に特許を取得したとされますが、日本では1890年代、浦岡松次郎、高橋寛輔、小畠幾次郎といった人物が「蝙蝠傘」とつく名で特許を取得している記録が残されています。

2020年代、折りたたみ傘の革新といったふうに話題になっているのが、ユニクロの「収納袋をなくさない折りたたみ傘」です。

折りたたみ傘に収納袋はつきもの。しかし、収納袋はなくしやすいもの。折りたたみ傘を使うとき、たいていポケットに入れることになりますが、ポケットから財布や手袋を出すなどしているなかで、いつのまに収納袋をぽろっと落とすこともあります。

そこで、ユニクロは、傘本体のゴムストラップと収納袋のつまみとを、嵌合爪でかちっとはめられる折りたたみ傘をつくり、売っています。


傘本体と収納袋が嵌合爪ではまったところ

この折りたたみ傘について、インターネット上で「工夫がありがたい」「嬉しい」「おすすめ」などの声があがっており、おおむね好評のようです。

ただし、改良の余地はあるかもしれません。ユニクロのこの折りたたみ傘のとある使い手は、つぎのように話します。

「収納袋をポケットに入れて、どこかで落としてなくしてから、この機能の大切さに気づき、もう1本買うことになりました。まあ、それは置いておくとして、寒い季節、かじかんだ手で傘と収納袋をかちっとはめるのは、けっこうたいへんに感じます」

たしかに、冷たい雨や雪が降るなか、嵌合爪でかちっとはめるのは、手間のかかる作業かもしれません。手袋をしている人は、手袋をはめたままはめるのは難儀だし、手袋をとってからはめるのも手間を要します。手袋をしていない人は、手がかじかんでいるでしょうから、やはりすこしたいへんそうです。

「使い手として、改良点はわかりきっています。それは二つ。一つは、嵌合爪を大きくすること。もう一つは、嵌合爪を裏表どちらからでもはめられるようにすることです」

現状での嵌合爪の大きさは、7ミリメートル四方ほど。この嵌合爪がたとえば倍の14ミリメートル四方ぐらいの大きさになれば、手袋をしたままでも、かじかんだ手ででも、はめやすくなるというわけです。

また、現状での嵌合爪は、はめるとき雄と雌の表裏を合わせないとはめることができません。使い手は、どっちが表か裏か把握しているわけでないので、一発ではまるかは「半か丁か」といったところ。もし、表からでも裏からでも、はめることができれば、かならず一発ではめられることになります。

この使い手に指摘されるまでもなく、ユニクロの意匠担当者は、この改良点をわかっているかもしれません。では、なぜ改良しないかといえば、嵌合爪を大きくするのも、表裏いずれからでもはめられるようにするのも、どちらも費用がかかるからでしょう。

「すこしは値がはってしまっても、とことんまで機能性を高めていったらいいと思いますよ。ここまで便利さを感じさせる芽が生えているのなら、便利さを究極まで追いもとめていったらよろしい」

かゆいところに手が届くまで、もうあとすこしかもしれません。

参考資料
THE umbrella WORKSHOP 2019年9月 “History of the Umbrella”
https://www.umbrellaworkshop.com/umbrellas/history-of-the-umbrella/
傘全集「折りたたみ傘について その歴史や種類を調べてみた」
https://kasazenshu.acase.co.jp/umbrella/foldingumbrella/
ユニクロ「UVカットコンパクトアンブレラ(親骨55cm)」
https://www.uniqlo.com/jp/ja/products/E433776-000/
ロケットニュース24 2019年10月29日「ギミック満載! 私がユニクロの折り畳み傘に惚れ込んだ6つの理由 / 傘骨が回転して衝撃を受け流す…など」
https://rocketnews24.com/2019/10/29/1284170/
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日本の貴族の住まい、寝殿造から書院造へ
日本の古くからの住まいのつくりとして、寝殿造と書院造があります。大きくは、より古くからあった寝殿造が発展して、書院造が生まれたとされます。

寝殿造は、平安時代、つまり8世紀終わりからのおよそ400年間のうち、後期に成立した住まいのつくり。住まいといっても民衆でなく貴族のですが。「寝殿」とは、日ごろの寝起きなどに使われる殿ないし空間のこと。この寝殿を南向きに建て、その東・西・北に「対の屋」とよばれる家族の住まいを建て、そのあいだを廊下で渡しました。

寝殿造の参考になる建てものとして挙げられるひとつが、奈良・法隆寺山内にある法隆寺の聖霊院です。もともと聖徳太子をまつる仏堂として建てられました。


法隆寺の聖霊院
写真作者:Ktmchi

その後、書院造とよばれるようになる住まいのつくりが現れます。14世紀からの室町時代から17世紀末終わりまでの桃山時代にかけて完成したとされます。日本における「書院」とは、邸宅での居間と書斎を兼ねた空間のこと。ただし、書院造の文脈では、武家における儀式や客対応など座敷といった意味あいがあります。

現代の建築家だった堀口捨己(1895-1984)は、書院造が寝殿造とちがう点を、「母屋(もや)と庇(ひ)の区わけがなくなったところにある」と述べました。ここでの母屋とは、寝殿のまさに寝室にあたる主の空間のこと。その母屋のまわりを庇とよばれる空間が囲んでいました。書院造では母屋と庇が分かれてないというわけです。堀口はほかに、間どりが細かくなり、組みたてが複雑になった点や、畳敷詰めになった点などをあげます。

京都・銀閣寺町にある東求堂(とうぐどう)の一室に、一間幅の書院が設けられた4畳半の「同仁斎」があり、これが書院造の源流とされます。同仁斎は、室町幕府八代将軍だった足利義政(1435-1490)の書斎でした。


銀閣寺の東求堂。なかの一室が同仁斎
写真作者:Makimoto~commonswiki

寝殿造が発展して、書院造が生まれたといっても、その移ろいは急なものではありません。平安時代のあと、鎌倉時代に入り、寝殿造が徐々に書院造に近づいていったとされます。もちろんその移ろいをつくったのは人間ですが。

寝殿造より書院造のほうが実用的とされます。ここから、寝殿造での住まいは、実際に住んでみるとなると大変なところがあり、より日々の住まいに向いた造に移っていったとみることができます。

参考資料
精選版 日本国語大辞典「寝殿造」
https://kotobank.jp/word/寝殿造-82294
ウィキペディア「寝殿造」
https://ja.wikipedia.org/wiki/寝殿造
精選版 日本国語大辞典 「書院造」
https://kotobank.jp/word/書院造-78777
精選版 日本国語大辞典「書院」
https://kotobank.jp/word/書院-78775
ウィキペディア「慈照寺」
https://ja.wikipedia.org/wiki/慈照寺
名建築みがき隊 2019年10月25日「国宝 東求堂 同仁斎」
http://migaki-tai.org/archives/2636
京都市情報館「寝殿造から書院造へ」
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/pdffile/bunka06.pdf
ウィキペディア「中世の寝殿造」
https://ja.wikipedia.org/wiki/中世の寝殿造
| - | 11:54 | comments(0) | -
3月の「もうこんな経つのか」感は気のせいにあらず


このブログでは、2月が終わり3月が始まるこのころ、毎年のように、おなじことを伝えつづけています。それは、「2月の短さは、3月にも反映される」ということ。

2月は28日か29日までです。ほかの月が30日か31日までなので、2月はほかの月より1日から3日、短い。

この短さを、多くの人が「2月の話」と考えがちですが、2月の短さは3月にも影響をあたえうるのです。

たとえば、1月15日から2月15日にかけての1か月は31日ありますが、2月15日から3月15日にかけての1か月は、うるう年の2024年であれば29日、うるうでない年では28日しかありません。

多くの人が、月ごとに締めきりのある仕事をしているのではないでしょうか。たとえば、毎月15日に納品をするといったように。この場合、3月の締めきりは、ほかの月より1日から3日、早くやってくるわけです。つまり、2月の短さを、3月に対処することになります。

3月が始まって数日後、たとえば来週の金曜の3月8日ごろ、「あれ、3月が始まったと思ったらもう8日なのか」と感じるかもしれません。これは、けっして気のせいではありません。ほかの月が始まるのより、3月が始まるのが1日から3日、早いからです。うっかり気を抜いていると、「あれ、もうこんな経つのか」となりかねません。
| - | 06:38 | comments(0) | -
「エネルギーをもらえて、元気になりました」と分子

よく、元気な人と話したあと、「きょうはエネルギーをもらえて、私も元気になりました」と言う人がいます。ほんとうでしょうか。むしろ、愛想笑いを強いられて、元気を失くすということはないでしょうか。

人と人の関係は置いておくとして、分子と分子の関係では、「エネルギーをもらえて、元気になる」といい表せる現象が起きることがあります。

その現象を「蛍光共鳴エネルギー移動」(FRET:Fluorescence Resonance Energy Transfer)といいます。「蛍光」とあるとおり、蛍光をもたらす分子で起きます。

蛍光とは、ある物質が光や電磁波などを照射されたとき光を発する現象のこと。たとえば、「サイリウム」という商品名で知られるケミカルライトは、蛍光の現象を利用してあたりを光らせる道具です。


ケミカルライト
写真作者:nubobo

蛍光をもたらす分子は、強いエネルギーを受けとって、それより弱いエネルギーを蛍光として放ちます。これは、ある波長の光を受けとって、それより長い波長の光を蛍光として放つといいかえることができます。

たとえば、蛍光分子であるフルオレン誘導体は、蛍光分子なので光を吸収しますが、そのときのその光の波長の頂は380ナノメートルあたり。いっぽう、フルオレン誘導体が蛍光を放つときの、その光の波長の頂は420ナノメートルあたりにあります。

また、べつの蛍光分子アセトンの、黄色蛍光ペンに使われるときの光を吸収する波長の頂は420ナノメートルあたり。いっぽう、蛍光を放つときのその光の頂は、500ナノメートルあたりにあります。

このように、蛍光を起こす分子は何種類もあり、それぞれに異なる「吸収波長と蛍光波長」があるわけです。ある蛍光分子が、ある特定の波長の光を吸収するとしても、べつの蛍光分子がおなじ波長の光を吸収するとはかぎりません。蛍光波長についてもおなじです。

では、異なる蛍光分子どうしの距離を、うんと近づけたらどうなるでしょう。

たとえば、Aという蛍光分子は、波長380ナノメートルの光をよく吸収し、波長420ナノメートルの光をよく蛍光として発するとします。いっぽうBという蛍光分子は、波長380ナノメートルの光を吸収しないものの、波長420ナノメートルの光であればよく吸収し、波長500ナノメートルの光をよく蛍光として発するとします。このAとBの距離をうんと近づけると、どうなるでしょう。

Aが発する波長420ナノメートルの蛍光をBが吸収し、Bは自分の発する波長500ナノメートルの蛍光に使うことができるはずです。つまり、Bは、Aが発する蛍光のエネルギーを、自分が蛍光を発するためのエネルギーとして横どりできるはずです。

これをエネルギーの立場で見ると、Aが蛍光を発するために使われるはずだったエネルギーが、Bが蛍光を発するために使われる、つまりエネルギーが移動することになります。この移動こそが、蛍光共鳴エネルギー移動です。

発光する生きものとしてよく知られるオワンクラゲは、青色の光を発光するしくみと、緑色の光を発光するしくみの両方をもっています。しかし、人が見るのはたいてい緑色の光のみ。これは、青色の光を発するしくみが放った光のエネルギーを、緑色の光を発するしくみが奪ってしまうからです。


オワンクラゲ
写真作者:Hiroyuki Yamaguchi

このように、吸収波長や蛍光波長が異なる蛍光分子のあいだでは、「きょうはエネルギーをもらえて、私も元気になりました」というやりとりが、起きているわけです。ただし、「私“も”元気になりました」でなく「私“は”元気になりました」が正確ないいかたといえましょう。二つの蛍光分子のうち、もういっぽうはエネルギーを奪われるわけですから。

参考資料
黄華堂「ケミカルライトってどうして光るの?」
http://www.oukado.org/minomawari/002.html
NIMSバイオ分析共用施設「蛍光寿命測定」
https://www.nims.go.jp/mmsp/achieve/data/06/FRET.html
実験医学online「蛍光共鳴エネルギー移動」
https://www.yodosha.co.jp/jikkenigaku/keyword/2675.html
西條純一「有機物性化学 第5回 発光」
https://www.molecularscience.jp/lecture/OrgPhysProp05.pdf
村中厚哉「有機化合物の構造と色」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kakyoshi/65/5/65_246/_pdf
光科学及び光技術調査委員会「分子レベルでの駆け引き 蛍光共鳴エネルギー移動とその生物応用」
https://annex.jsap.or.jp/photonics/kogaku/public/34-10-kobo.pdf

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ものに色があるのは、そこに発色団があるから

写真作者:barbara_pounds

どうして、多くのものに色があるのでしょう。

光の観点でこれを説くと、「ものはある特定の色の光を吸収するので、その補色の光が反射されるから」となります。補色とは、混ぜあわせると白色光になる関係にある二つの色、あるいはそのうちの一方の色こと。

たとえば、トマトの実にあるカロチノイドという色素は、決まって緑色の光を吸収するので、緑色の補色にあたる赤色の光がカロチノイドから反射します。これを見るヒトの眼と脳には赤く感じられるわけです。なお、カロチノイドには複数の種類があり、トマトのカロチノイドにはリコピンのよび名がついてます。

では、物質の観点ではどう説けるでしょうか。いろいろな答えかたがあるでしょうが、「発色団があるから」というのが、そのいろいろな答えのひとつです。

発色団とは、そのものが色をもつために必要とされる原子団、つまり原子の集まりのこと。たとえば、上にあるように、カロチノイドは赤色の色素ですが、カロチノイドは発色団であるともいえます。また、葉っぱの色といえば緑色ですが、その緑色をもたらすクロロフィルaも発色団です。

発色団になることのできる原子団には共通の特徴があります。それは、長い共役二重結合をもつというもの。共役二重結合とは、2個の原子がおたがい手を差しだして結ばれている二重結合が、「二重結合-単結合-二重結合-単結合-二重結合……」といった具合にひとつおきに生じているものをさします。原子団が、この共役二重結合を長い距離もっていると、差しこんでくる可視光の電子を励起させることができるようになります。

可視光の電子が励起するということは、その可視光がその原子団によって吸収されるということ。つまり、トマトでいえば緑色の可視光が吸収されます。これで緑色の補色である赤色が発せられるわけです。

「発色団があるからこそ、ものが色をもてるのだ」という考えは1876年、ロシア出身でドイツなどで活躍した化学者オットー・ニコラウス・ウィット(1853-1915)が唱えたものです。ウィットの考えは、染料化学を発展させるきっかけとなりました。

その後、物理を微視的に捉える量子力学などの研究分野が発展し、いま発色団は、「光を吸収する原子または原子の集まり」のように説明されています。

参考資料
有機材料科学 2017年10月10日「赤い化合物は赤い光の吸収波長をもつか?」
http://www.ecm.okayama-u.ac.jp/organic/2017/10/10/赤い化合物は赤い光の吸収波長をもつか?/
日本大百科全書「発色団」
https://kotobank.jp/word/発色団-115088
岡野俊行「光と生物 発色団と光受容タンパク質の機能」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kakyoshi/65/6/65_286/_pdf
PROFILBARU.COM「色素」
https://profilbaru.com/ja/色素
日本大百科全書「ウィット(Otto Nikolaus Witt)」
https://kotobank.jp/word/29-1507091
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書評『聖徳太子』
「小中学生から大人世代まで、幅広く読める入門新書」をうたう岩波ジュニア新書の一冊。専門性はかなり高いもので、「大人向け」と捉えてよいかもしれません。

『聖徳太子 ほんとうの姿を求めて』東野治之著、岩波ジュニア新書、2016年、228ページ


戦後の昭和のほとんどの時代にわたり、100円、1000円、5000円、1万円と各紙幣の「顔」になっていた聖徳太子(574-622)。それだけの「えらい人」や「すごい人」という印象をもつ人は、とくに昭和生まれの人に多いのではないか。本書は、書名にあるとおり、この聖徳太子なる人物の「ほんとうの姿」に迫るものだ。

著者は、日本古代史や文化財史科学を専攻する研究者。「以前、聖徳太子の人物像にせまる基礎作業として、伝記を考える上に欠かせない二、三の史料を取り上げて、その意義を考えた」と自己紹介する。

聖徳太子ほど生前も死後も、宗教におけるさまざまな開祖、時々の為政者、また広く庶民に信奉された人物はいないだろう。かえってそれが人物像を霞ませることにもなっている。

その点、著者は史料、つまり過去の記録にあたり、その史料の信憑性をできるだけ吟味したうえで、「ほんとうの姿」にせまろうとしている。そのため、超人的な逸話の紹介などはあまりなく、文献の記述の紹介を主とする本となっている。

聖徳太子が生きていたころの「最も信頼できる同時代の史料」として紹介し、しばしば引用するのが、法隆寺の金堂に祀られる本尊「釈迦三尊像」の背面に刻まれた「銘文」だ。621年12月に太子の母「鬼前太后」が亡くなったこと、そして太子をさす「上宮法皇」が病に倒れ、妃「干食王后」も揃って床に伏したこと、妃についで太子が亡くなり、残された子どもたちが、太子が浄土を往生するという願を実現しようと仏師にこの釈迦三尊をつくらせたことなどが刻まれている。

著者は、銘文の太子をさす「法皇」というよび名に着目する。経典では釈迦をさして使われるが、これが聖徳太子のよび名に使われていることから「(太子は)やはり仏教の造詣が、周囲の注意をひきつけてやまないほど、並はずれていたと考えねばなりません」と述べる。

いっぽうで、外交官としての太子像については、表だったものはなかったと推測する。小野妹子が最初の遣隋使から帰ってきた推古16年の朝廷の出迎えで、「聖徳太子は諸皇子の一人として列席していたに過ぎず、表だった役割を演ずることはなかったと見るべき」と述べる。

著者の太子像を凝縮した文がある。それは「偉人としての太子を認めることはしていません。しかし、なにもかも否定することには反対しました」というもの。これもまた、史実の分析を重ねてきた著者のいつわりなき心の結論なのだろう。

1400年以上も前の時代を生きた聖徳太子の実像を、客観的にせまるのにふさわしい一冊といえる。

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| - | 22:20 | comments(0) | -
相手の名を忘れたとき「二度目なんですけど、ごあいさつを」は妙手

元写真作者:Craig Wyzik

相手の名前を忘れてしまうことは、あることです。このブログの2016年8月7日付の記事「相手の名前を忘れてしまう」は、その対策を論じたもの。

しかしながら、この記事にある対策は、「名刺をもっていく」「顔や体の特徴的なところを一致させるような記録を残しておく」などといったもの。とっさの場面などでは通じず、効果が大きいといいがたいものでした……。

相手の名前を忘れてしまったときの対処のしかたとして話題になったので、知っている人もいるかもしれませんが、元プロ野球選手のイチロー(1973-)が2023年12月に示した案はとても秀逸です。

「(会うのが)二度目でも『二度目なんですけど、ごあいさつさせてください』と自分があいさつする立場になったらいい」

名前を忘れられた側だとして、「二度目なんですけど、ごあいさつさせてください」と言われたらどうでしょう。すこしだけ「あ、この人、自分の名前を忘れてるな」と思うかもしれませんが、それより「相手からあいさつさせてと言われるとは」といった気分のよさが上まわり、すくなくとも不快な気分にならないのではないでしょうか。つまり、相手を不快にさせないで切りぬけることができます。

かつ、「二度目なんですけど、ごあいさつさせてください」となれば、かならず相手の名前をそのとき確かめられます。思いだせないまま、ずるずる会話が進んでしまい、焦ったり、恥かいたりといったことを避けられます。

しかも、「二度目なんですけど、ごあいさつさせてください」は、相手になにも嘘をついていません。やましい思いをもちません。相手の名前を忘れてしまったときの処世術の決定版ではないでしょうか。

当のイチローは、「相手が知っているという前提でいると痛い目にあう」から、どのような立場になってもみずからあいさつしにいくような謙虚さが大切だと伝えたかったようです。

とはいえ、この手だては、みずからが相手より目下のときでさえも有効に、つまり相手を不快な思いにさせたりせず切りぬけられる妙手といえるでしょう。

参考資料
ORICON NEWS 2023年12月22日付「イチロー氏『僕に聞くのかそれを?』からの名言『相手が知ってるという前提でいると痛い目にあう』」
https://www.oricon.co.jp/news/2307545/full/
| - | 22:44 | comments(0) | -
「。」嫌いを解せぬ人も「諸君」「よろしく」「たまえ」に違和感あるだろに


LINEなどのショートメールの文末に句点「。」をつけるかつけないかをめぐり、世代間のちがいが見られると話題になりました。

中学生・高校生・大学生たちは句点をつけず、また句点がついたメッセージを嫌がるとのことです。なぜ嫌がるかというと、詰問されているように感じるからだといいます。すべての若い人たちがこう感じているといった話ではもちろんないでしょうが、句点「。」でなく、感嘆符「!」や絵文字、あるいは記号なしでで文を締めくくる人が多いのはたしかなようです。

手紙やメールの文を「。」で締めてきた年長の人たちには、「若い人に文末に『。』を使うと詰問と捉えられてしまうだなんて」と嘆いているかもしれません。さらに「パワハラと思われてしまうのでは」と想像を膨らませてしまう人もいるかもしれません。

若い人たちの感覚が理解できずに苦しんでいる人もいるでしょう。しかし、そうした人も、さらに年長の人たちはあたりまえに使っている表現に、「詰問されている」と感じたことはないでしょうか。

「これまでさまざまな努力を重ねてきた諸君に敬意を表するとともに、諸君の健闘を祈ります」

あいさつで、年長の人が年下の人たちに敬意や親愛の念を込めて「諸君」ということがあります。「君」はもともと目上の人や貴人を敬ってよぶ表現なので敬語です。これに「諸」がついて「諸君」です。

ところが、「諸君」と言われて、「なにを偉そうに」「上から目線で」と感じる人はいるのではないでしょうか。軍隊などの規律の厳しい集団で、司令官が使っているような印象から、そう感じるのかもしれません。

「きのう相談した件、お手数をおかけしてしまいますが、どうかよろしく」

あいさつや頼みごとで、相手に配慮や期待の念を込めて「よろしく」ということがあります。これはあいさつ語とされます。

ところが、「よろしく」と請われて、これも「なにを偉そうに」「上から目線で」と感じる人はいるでしょう。「よろしくお願いします」と請われることに慣れている人は、「お願いします」なしの「よろしく」に、そう感じるわけです。

「返事を聞いて来てくれたまえ」

頼みごとで、とくに男性が同輩や年下の相手に敬意を込めて「たまえ」ということがあります。上の例は、夏目漱石(1867-1916)1909(明治42)年発表の小説『それから』に出てきます。

ところが、「聞いて来てくれたまえ」と言われて、これまた「なにを偉そうに」「上から目線で」と感じる人はいま確実にいるのではないでしょうか。「聞いて来ていただけますか」あたりの表現に慣れている人には、「くれたまえ」は高圧的に感じるわけです。

「諸君」「よろしく」「くれたまえ」をあたりまえに使っていた世代からすれば、年下の世代に「なにを偉そうに」「上から目線で」と思われるのは、心外でしょう。しかしながら、これらの表現にも、違和感なく使えるという世代と、違和感を覚えるから自分は使わないという世代があるわけです。

これとおなじようなことが、句点「。」についてもいえるのではないでしょうか。使ってきた表現のしかたをかえたくないという人にとって、「。」を使いつづけるだけで、若い人たちに嫌がられるのだとしたら、なかなか由々しきことです。

参考資料
プレジデントオンライン 2022年9月7日付「中高年は知らない…若者がLINEで句読点がついた文を心底嫌悪する本当の理由」
https://president.jp/articles/-/61340
夏目漱石『それから』
https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/56143_50921.html
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書評『ナショナル・ジオグラフィック プロの撮り方完全マスター』
ナショナル・ジオグラフィックの撮影術の本には、「露出を極める」「シャッター速度」などの各論版がありますが、この一冊は総まとめ的なものです。なお2022年2月に新装版が出版されています。

『ナショナル・ジオグラフィック プロの撮り方完全マスター』ジェームズ・P・ブレア、スコット・S・スタッキー、ブリート・ベシリンド共著、武田正紀、関利枝子、倉田真木共訳、日経ナショナル・ジオグラフィック社、2012年、368ページ


米国のナショナル・ジオグラフィック協会が1888年に創刊した雑誌『ナショナル・ジオグラフィック』で活動する写真家たちが、「すぐれた写真を撮りたいと願う、あらゆる年代、あらゆる技術レベルの読者へ、撮影に関する知識とアドバイス、そして考える材料を提供する」一冊。

パート1の基礎編「撮影の基本」「カメラの基礎知識」「構図」「光」「マニュアル撮影」「デジタル暗室」と、パート2の応用編「人とペット」「自然と風景」「スポーツと冒険」「身近な場所」「旅行先で」「高度なテクニック」でなりたつ。散りばめられているのは、厳選された写真家たちの写真だ。「百聞は一見にしかず」とはいうが、文による理論と写真による実例があることで、理解が進む。

写真家たちが提供する知識・アドバイスや考える材料は、具体的なものから抽象的なものまである。

具体的なものは、「ストロボなしで動きを止めて撮影するには、1/500秒より速くする」や「(接写では)光が許す限り、絞りを小さく、すなわちF8かそれより小さく絞る」といったもの。それぞれ、手ぶれを防ぐためや、接写で起きやすい焦点ぼけを防ぐための手だてだ。

抽象的なものは、「この写真を撮りたいというものが決まったら、それを形容する言葉を考えてみよう。堂々とした山容、孤独な灯台、静かな運河」や、「写真家の仕事は、他人の世界にそっと入り込むこと」といったもの。こちらは、写真家たちの経験から滲みでることばの数々といえる。

多くの撮影者にとって学びの多い一冊となるだろう。ただし、「デジタル暗室」の章にかぎっては、単調で読みとばされそうだ。「露出」や「色相と彩度」などの効果をくらべるため、同一のイヌの写真を手本にしているため変化にとまず、フォトショップの画面も2023年のいまにしては古びたもの。

「デジタル暗室」がほかの各章があるなかで浮いてしまっているのは、まさに写真撮影の本質から外れているからだろう。冒頭にある「技術がどれほど進歩しようとも、基本原則は変わらない。写真の基本は焦点と露出と構図に尽きる」ということばは至言ではないか。

本棚に置いて、何度も見返して基本に立ち返ったり、撮影の目的に応じて知識や技術をおさらいしたりしたい本だ。

『ナショナル・ジオグラフィック プロの撮り方完全マスター』はこちらでどうぞ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4863131623

参考資料
日本大百科全書「ナショナル・ジオグラフィック」
https://kotobank.jp/word/ナショナル・ジオグラフィック-857409
| - | 19:14 | comments(0) | -
「ずらし旅」が「ずれ旅」になるおそれも


新幹線と宿泊を合わせた旅の予約をすると「ずらし旅」という旅行企画に出くわすかもしれません。

この「ずらし旅」が、すこし謎めいています。「ずらし旅」がなんなのかわからいまま「ずらし旅」をし、そのままその旅を終えるという人もいるかもしれません。

「ずらし旅」を企画するJR東海グループのJR東海ツアーズによると、「ずらし旅」は「時間や場所、旅先での移動手段、行動など、定番からずらした新たな旅のスタイルを提供するプラン」のこと。「ずらす」ことで利用客に、ゆっくり旅を味わってもらうとともに、訪問客が多すぎることで生じる「観光公害」を和らげるねらいがあるようです。

しかし、「ずらし旅」がなんなのかわからないまま旅の予約をすると、「ずらし旅」の特典を得られないまま旅を終えることになってしまいます。

たとえば、日本旅行などの旅行代理店などのウェブサイトから「ずらし旅」を選んで予約すると、予約後から旅行当日までのあいだに届く「契約成立のお知らせ」が届きます。そこには、商品名・プラン名の欄にたしかに「ずらし旅」と記されているものの、「ずらし旅」の説明書きがあるわけでなく、また「ずらし旅」の特典を得るためのウェブサイトへのリンクが貼られているわけでもありません。

さらに、旅の直前の「行ってらっしゃいませ!」というメールには「ずらし旅」ということばさえ入っていません。

「ずらし旅」の特典はなにかというと、旅行前に「選べる体験クーポン」を選んで得られるというもの。たとえば、有名どころの庭園の夜間特別拝観券のクーポンを選んだり、スイーツ店で対象商品と引きかえできるチケット3枚のクーポンを選んだりすることができます。

クーポン選びに進むには、ウェブサイトの「プラン詳細」のページにある「プラン内容」の「『ずらし旅』選べる体験」というところをクリックし、旅行先と旅行日を選択し、体験一覧を表示させる必要があります。

あるいは、メールで届く「契約成立のお知らせ」のなかの「予約確認」のリンク先をたどっていき、当該の旅行商品の「詳細」をクリックし、そこにある「クーポン利用案内ページ表示」をクリックして、旅行先と旅行日を選択し、体験一覧を表示させる必要があります。ただし、メールに「ずらし旅」の案内そのものがないので、この経路でクーポン選びをする人はほぼいないでしょう。

あるいは、新幹線の指定席の乗車票に「ずらし旅」と小さく記されれていることがあるものの、説明やクイックレスポンス・コードが印刷されていることはありません。

つまり事実上、ウェブサイトで旅行を予約する段階でしか、クーポン選びできることに気づけないことになります。

ウェブサイトで旅行を予約するとき、新幹線の便や席をなどを選ぶ「お申込み条件の入力」の段階で、あわせて「ずらし旅のクーポンを選ぶ」という条件設定があれば、「あ。ずらし旅って、クーポンを選んで使えるものなのね」と気づいて、実際にそうすることができるでしょうが、そうなっていません。

ただたんに、閑散期の旅行商品を「ずらし旅」と名づけているのだと思っていると、クーポンを選んで使うことのないまま、「ずらし旅」を終えてしまうことになります。「ずらし旅」というより、この旅行商品の企図から「ずれた旅」になります。これでは。

参考資料
JR東海ツアーズ
「『ずらし旅』とは何ですか。」
https://qa.jrtours.co.jp/faq/show/681?category_id=249&site_domain=default
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書評『野生の思考』
20世紀の名を得る書籍のひとつ。難解なため巻末の訳者解説をまず読むのも手。また、1文ごとに主語と述語をしっかり把握すると、理解が進むかもしれません。

『野生の思考』クロード・レヴィ=ストロース著、大橋保夫訳、みすず書房、1976年、408ページ


フランスの文化人類学者で、「知の巨人」ともいわれたクロード・レヴィ=ストロース(1908-2009)が1962年に著した。

書名にある「野生の思考」とは、人間がまったく自然のままでいるときのものごとの考えかたのこと。レヴィ=ストロース自身は「効率を昂めるために栽培種化された思考とは異なる、野生状態の思考である」と述べる。

そしてレヴィ=ストロースは、「野生の思考」は「野蛮人の思考でもなければ未開人類もしくは原始人類の思考でもない」とも述べる。本書でだれを「野生の思考」の見本にしているかといえば、豪州、アフリカ、北米大陸などのいわゆる先住民であるが、彼ら・彼女らのものごとの考えかたを「野蛮人」「未開人類」「原始人類」の思考とはけっして認めない。彼ら・彼女らの思考は、当時の西欧の民俗学者がそうしてきたように、卑下するようなものでなく、むしろおおいに注目し、参考にすべきものとレヴィ=ストロースは考えた。

レヴィ=ストロースは、本書の大半をトーテミズム、つまり、ある血縁集団と特別な関係をもつ特定の動植物や自然物を信仰するしくみの説明にあてている。トーテミズムのもとで暮らす氏族たちには、割りあてられたトーテムを食べてはいけない、あるいはことばとして発してはいけないなどの定めがある。こうした「トーテム」型の考えかたと信仰は、社会にとって「コード」となって可換性を保証するから「注目に値いする」とレヴィ=ストロースは述べる。つまり、この考えかたや信仰は、ひとつの氏族にかぎった話でなく、どの士族たちにも、もっといえばすべての人類に通じうるものだというわけだ。

とはいえ、「バナナ」を食べることは禁じないが、「バナナ」ということばを口に出してはいけないといったような信仰の値を、いまの世界の多くの人たちが感じられるわけではないだろう。

より、いまの多くの世界の人たちに考えさせる話題を、レヴィ=ストロースは第一章に示している。「器用仕事(ブリコラージュ)」や「器用人(ブリコルール)」という概念だ。

器用仕事とは、「もちあわせ」つまりそのときそこにあるかぎられた道具と材料で、なんとかものをつくる営みをさす。器用人はそのようなことをする人のことだ。

技術者たちがものをつくるとき、綿密に計画を立て、材料や器具を揃えたうえで、着手するのとちがって、器用人たちがものをつくるときは、役に立つものが見つかればそれをあてがっていく。

レヴィ=ストロースは、技術者と器用人をこう対比する。「エンジニアはつねに通路を開いてその向うに越えようとするのに、器用人は、好んでにせよやむをえずにせよ、その手前にとどまる」。

なるほど、技術者は「向うを越えようとする」ため、いままだ実現していなかったり入手していなかったりするものをかなえようとする。これに対し、器用人は「その手前にとどまる」。つまり、「もちあわせ」のかぎりを尽くせば、それでやむなしとなる。

この二つのちがいは、行く末に大きなちがいをあたえるにちがいない。人びとが「技術者」の考えで進んでいけば、発明や技術革新が多く生じ、技術は早く進歩していく。いっぽう「器用人」の考えで進んでいけば、発明や技術革新はそう多くは生じないだろうが、「もちあわせ」のなかの「あれ」と「これ」を結びつけて、新たな価値をつくる、いわゆる新結合がかなり生じることになる。新結合はイノベーションとよばれることもある。

いまの社会において、どちらのほうが主流に映っているかといえば「技術者」の考えかたのほうだろう。では「技術者」の考えかたが広まっているいまの社会はどうだろう。「技術者」たちは実現したいことのため、人、金、資源やエネルギーをどんどんと費やし、持続可能性が危ぶまれるような状況を招いた。

「器用人」たちが、いまの社会にいないわけではない。大規模な投資とならないから、人びとの目に触れづらく、情報が広まらず、主流には映らない。だが、よほど「器用人」たちの「その手前にとどまる」営みのほうが、「技術者」たちの営みよりも、創意工夫からくる豊かさがあり、かつ持続可能なものではないだろうか。

レヴィ=ストロースが述べた「器用仕事」や「器用人」が、現代において価値をもつことに、気づいている人は気づいている。そして、気づいている人も、気づいていない人も、だれもが「器用人」の考えかたややりかたをしようとすればできる。器用仕事は、いまを生きるだれもがもっているはずの「野生の思考」がもたらすものなのだから。

『野生の思考』はこちらでどうぞ。
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参考資料
デジタル大辞泉「トーテミズム」
https://kotobank.jp/word/トーテミズム-105435
| - | 15:27 | comments(0) | -
「酸素化」は、酸素分子そのものとほかの物質が結びつく反応


写真作者:Hugo Cliff

酸素分子(O2)とほかの物質が結びつくことを「酸素化」といいます。

よくにたことばに「酸化」があります。「酸化」のほうも、ある物質が酸素と結びつくことをさすので、「酸素化」と「酸化」には通じるところがあります。

とはいえ、「酸素化」と「酸化」はまったくおなじというわけではありません。

「酸素化」が、酸素分子(O2)そのものが直接的にほかの物質と結びつくことをさします。このことから「酸素化」は「酸素添加」や「酸素付加」などといいます。よりていねいにいえば「酸素分子添加」や「酸素分子付加」となるでしょう。

いっぽうの「酸化」は、ほかの物質と結びつくものは酸素分子(O2)そのものでなくてもよいと説明されます。つまり、酸素分子(O2)でなくても、酸素原子(O)がべつの物質と化合する反応であれば、それは「酸化」といえます。

たとえば、酸化銅(II)(CuO)と水素分子(H2)が反応して、銅(Cu)原子と水分子(H2O)になります。このとき、水素分子(H2)に注目すると、酸素原子1個(O)と結びつきます。これも歴とした酸化反応です。

また「酸化」は、ある物質が電子を放出して失う現象であると説明されることがあります。なにかの物質が酸素と結びつくとき、その酸素に自分が出した分の電子をとられてしまいます。酸化反応では、この「電子がとられてしまう」ということが起きるため、「酸化とは電子が失われる現象である」といえるわけです。

さらに、「酸素が失われる」と同時に「水素を受けとる」ことも起きるため、「酸化」は、ある物質が水素を受けとる現象であると説明されることもあります。

参考資料
栄養・生化学辞典 「酸素添加」
https://kotobank.jp/word/酸素添加-766417
精選版 日本国語大辞典 「酸化」
https://kotobank.jp/word/酸化-70343
Try iT「5分で分かる! 酸化・還元と電子」
https://www.try-it.jp/chapters-9049/sections-9179/lessons-9180/point-2/
化学魔の還元 酸化還元編「酸化・還元とは?」
https://kagakuma.iza-yoi.net/sankan/sankan1.html
大日本百科全書「オキシゲナーゼ」
https://kotobank.jp/word/オキシゲナーゼ-39883

| - | 16:18 | comments(0) | -
便利すぎる多袋胴着、身につける人すくなく

元写真作者:Jefferson William

多くの人は、「手ぶら」でなく、ものを携えて出かけます。鍵や財布はもとより、スマートフォン、ヘッドホン、筆記用具、本、ちり紙、薬、化粧品など、さまざまなものを携えて出かけます。

これらのものを使うときさっと取りだすには、釣り師や写真家が着るような、多くの小袋を備えた胴着が便利といえます。右手ないし左手ですぐに届くところに、上にあげたようなものをすべて入れておくことができます。しかも、小分けできるので、たとえば2種類の鍵を左右べつべつの小袋に入れておけば、がさごそ取りだして「ああこっちじゃない」と手間をかけることもありません。

釣り師や写真家だけでなく、ほかの職業、たとえば記者のなかでもこうした多袋胴着を身につけて仕事をしているという人はいるようです。

しかし、便利だからといって、大多数の人が多袋胴着を身につけて街に出かけているかというと、そうといえません。むしろ、この格好で歩いている人を街なかで、たとえば原宿や心斎橋や栄や天神で見つけることはなかなかありません。

どうして人は便利そうなこの手の多袋胴着を身につけないのでしょうか。

これはひとえに、服装選びのなかで、「あまりに便利すぎる印象をもたらすため、かえって敬遠されてしまうから」ではないでしょうか。

多袋胴着はとても機能的です。機能性を極限まで追求した服装といえるかもしれません。しかし、かえってその追求性が、「この人はそこまでして便利さを重視しているのか」とまわりの人に見られかねない効用をもたらしそうです。「この服を着ると、おしゃれを捨て便利さのみを重視する人のように思われそう」という心理がはたらくのではないでしょうか。

とはいえ機能性あるものには美が宿るともいいます。写真にあるような多袋胴着はどうでしょう。たしかに、袋の多さゆえ凹凸を多くもち、洗練されている印象をあたえないものの、色や形の点で統一感を欠いているわけではありません。「機能美はなくもないくらい」といったところでしょうか。

「数々のアイテムをもって街へ出かけるナウなヤングへ。いま、多機能ベストがおしゃれさんのマスト・バイ・ファッション!」

だれかがこのような惹句で、流行の導火線に火をつけたら、ひょっとしたら多くの人が多袋胴着を着て、街ぶらするかもしれませんし、しないかもしれません。
| - | 16:03 | comments(0) | -
「抗体」と「薬物」がともにがん細胞を攻撃
ねらった敵陣に選ばれし部隊が向かっていって攻撃し、さらにとっておきの兵器で敵陣を内部から破壊する……。

これは、人の世界であれば、おそろしい話ですが、細胞の世界であれば、頼もしい話といえそうです。

がん治療の医薬品に、抗体薬物複合体(ADC:Antibody Drug Conjugate)とよばれるものがあります。がん細胞を異物とみなして攻撃する「抗体」と、がん細胞を破壊する「薬物」の、組みあわさった「複合体」ということで、「抗体薬物複合体」とよばれます。

抗体薬物複合体は、「抗体」と「薬物」、そしてこの二つを結びつける「リンカー」という三つの要素でなりたっています。血液中をめぐるなか、がん細胞に到達すると、抗体ががん細胞にくっついて、免疫反応を起こして攻撃します。

このときリンカーが抗体から切りはなされます。

すると薬物が切りはなされることになるので、がん細胞を内側から薬物が攻撃します。


抗体薬物複合体のつくり。Antibodyが抗体。Cytotoxicは細胞毒性薬、つまり抗がん作用のある薬物。Linkerはリンカー
画像作者:Bioconjugator

たとえば、日本で2020年3月より、一部のがん種で製造販売が承認されている「トラスツブマブ デルクステカン」という抗体薬物複合体があります。ある種の乳がん細胞や肺がんの細胞の表面に過剰に発現し、がん細胞を増やしてしまう「ヒト上皮細胞増殖因子受容体2」(HER2:Human Epidermal growth factor Receptor type2)というたんぱく質に、トラスツブマブという抗体がくっついて、がん細胞を攻撃します。さらにがん細胞内にとりこまれたデルクステカンががん細胞を狙いうちで破壊します。

抗体薬物複合体が初めて使われたのは、2000年。米国で「ゲムツズマブ オゾガマイシン」が承認され、「マイロターグ」という商品名で世に出ました。しかし、重篤な肝障害や死亡の事例が増えたため、2010年に承認がとり下げられます。日本では、2005年に承認され、重篤な過敏症の既往歴のある患者に使用しないことという禁忌や、他の抗悪性腫瘍剤と併用しないことなどという警告つきで、使われつづけています。

これまでの抗がん剤は、患者のからだ全体に行きわたらせて、がん細胞もがんでない細胞ものべつまくなしに破壊するものでした。正常な細胞もやられてしまうため副作用が起きます。いっぽう、抗体薬物複合体は、がん細胞にたどりついてから抗がん剤が細胞を破壊するため、この手の副作用を避けやすくなっています。

参考資料
第一三共「ADCとは」
https://www.daiichisankyo.co.jp/brand/adc/
日経バイオテク「抗体薬物複合体とは」
https://bio.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/011900001/22/08/22/00424/
埼玉医科大学総合医療センター 最新医療のご案内「抗がん剤薬 トラスツズマブ デルクステカン(T-DTX)」
http://www.kawagoe.saitama-med.ac.jp/info_data/saishin/saishin006.php
CareNet 2020年3月27日付「トラスツズマブ デルクステカン、HER2陽性乳がんに国内承認 第一三共」
https://www.carenet.com/news/general/carenet/49785
CareNet 2023年8月24日付「トラスツズマブ デルクステカン、 HER2変異陽性非小細胞肺がんに国内承認 第一三共」
https://www.carenet.com/news/general/carenet/57034
ウィキペディア「ゲムツズマブ オゾガマイシン」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ゲムツズマブ_オゾガマイシン
KEGGデータベース「マイロターグ」
https://www.kegg.jp/medicus-bin/japic_med?japic_code=00055283
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急峻で幅狭な坂多ければ、自転車に乗るべくもなく

  春風や長崎の町は坂ばかり 杉本薬王子

長崎市には、数えきれぬほどの坂があります。坂の多いまちだからこその暮らしかたもあるといいます。

話題にのぼることが多いのは、「自転車に乗らない」という暮らしかた。

総務省の「家計調査」の2022年の年報によると、長崎市の2人以上世帯の自転車購入数量は、年間257円。県庁所在地のなかで飛びぬけて低い数値で、つぎに低い那覇市753円の半分未満です。ちなみに最も高い都市は京都市で、1万1684円。

急な坂で自転車を漕ぎづらい。これはだれもが感じたり、思ったりすることでしょう。自転車を乗ろうという考えが起きるはずもない。それが市民で根づけば、ほとんどの人が自転車を乗らないまちになっていきます。



近ごろは、電動補助装置がついた自転車があります。坂道でも力を入れず漕ぐことのできる自転車です。ほかの地であれば、ママチャリに乗るママさんが坂道を楽々とのぼっていく姿も見られます。

しかし、長崎市は、電動補助つき自転車さえ向かない坂のまちといえるかもしれません。なぜなら、かなり多くの坂は幅の狭いもので、かつ階段状になっているからです。

東京の下町などにある路地のような幅狭の通行路が急斜面になったような小路が、長崎市には多くあります。もちろん、左右両方に民家が立ちならぶ東京の路地とちがい、空は広く開けていますが。

しかも、それぞれの坂は急峻であるため、たとえば1.5メートルの幅の半分は舗装道で半分は階段といった坂が多くあります。電動補助つきかにかかわらず自転車を押して坂をのぼったりくだったりするしかありません。

なにか目的をもって土地を訪れることをしている人は、「長崎市で自転車を探す」という目的をもつのもひとつの興かもしれません。

参考資料
総務省「家計調査 2022年年報 家計収支編 交通・通信〜教育」
https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00200561&tstat=000000330001&cycle=7&year=20220&month=0&tclass1=000000330001&tclass2=000000330004&tclass3=000000330006
日本経済新聞 2016年2月20日付「坂の町・長崎(7)ゴミはソリに載せて」
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO97514980Q6A220C1NNP000/

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数学の大難問「フェルマーの最終定理」が世に出されてから解決にいたるまでの350年。数々の数学者の激闘を追ったノンフィクション。
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