科学技術のアネクドート

横になるから眠くなるし、眠くなるから横になる



本を読むとき、どのような姿勢をとっているでしょうか。

家の部屋あるいは風呂にいるときなどは座って本を読むでしょう。混んでいる電車に乗っているときは立って。そして寝床にいるときは横になって本を読むことでしょう。

横になっていると、座ったり立ったりしているときよりも眠くなるという人は、多いかもしれません。とある本読みの人は「湯船につかっていれば1、2時間は本を読めるけれど、ベッドのうえで寝ながらだと1、2分で眠気がきて本も目も閉じてしまう」などと言います。

この人の場合は「姿勢を横にしたがために眠気が生じる」ということができるでしょう。しかし、いっぽうで「眠気が生じたため姿勢を横にする」ということも経験的にはよくあるのではないでしょうか。

横になるから眠くなるのでしょうか。眠くなるから横になるのでしょうか。

姿勢を横にすることで生じうるのは、自律神経系における副交感神経のはたらきです。座ったり立ったりしているときは、血圧や血糖値などを高めて心身を活発にさせる交感神経がはたらいているけれども、からだを横にすると交感神経より副交感神経のほうがはたらくようになり、緊張がほぐれて心身ともゆったりし、眠くなるというわけです。上の「ベッドのうえで寝ながらだと1、2分で眠気がくる」という本読みの人は、この過程をまっしぐらに突きすすむわけです。つまり、横になるから眠くなる。

いっぽう、横になっていないときに眠気がきたら、どうするかといえば、多くの人は横になれるのであれば横になります。家で仕事をしている人などには、昼ごはんのあと眠気が襲ってきて「ちょっと昼寝するか」と横になる人もいるのでは。たまに電車のなかでも、座っている人が船を漕ぎはじめて、ついには座席や床に横たわってしまうという光景が見られます。

つまり、横になることが先のときも、眠くなることが先のとき、ありうるわけです。そして、どちらのときでも、たどり着くのは眠り。ヒトは眠ることなしには生きつづけられません。その眠りにたどりつくための入口が、横になることと眠くなることのふたつあることは、生きつづけるうえではよいことともとれます。

では、横になるから眠くなるという過程と、眠くなるから横になるという過程の、どちらがより生理的、つまり感覚や本能にのっとったものでしょうか。これは、後者の「眠くなるから横になる」のほうに分があります。なぜなら、「眠くなっても横になりたくない」ということはまず起きないものの、「横になっても眠くならない」ということは起きうるからです。

眠れない人が眠くないのに横になって、余計に眠れなくなるというのは、よくいわれること。かならずしも、横になることが眠りをひきおこすということにはなりません。

その点、寝床で横になって本を読んでいると1、2分で眠気がきて眠ってしまうという人は、眠るための強力な手だてをつねにもっているのだから上々です。

参考資料
ブリタニカ国際大百科事典「副交感神経」
https://kotobank.jp/word/副交感神経-123947
百科事典マイペディア「交感神経」
https://kotobank.jp/word/交感神経-61668

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「ウイルスの存在『見える化』への第一歩 産総研、『光らせ動かす』検出技術を開発へ」


きょう(2020年)5月27日(水)時事通信社のウェブサイト「時事ドットコムニュース」で、「ウイルスの存在『見える化』への第一歩 産総研、『光らせ動かす』検出技術を開発へ」という記事が配信されました。

新型コロナウイルス感染症「COVID-19」(COronaVirus Disease 2019)で人びとが思いしらされているとおり、ウイルスは小さすぎて基本的には見えないものです。そこでどうにか人びとは「検出する」という手だてによって、ウイルスがそこに存在するかどうかを確かめようとします。

いまのところウイルスを検出する手だてとしては、ウイルスのもつ遺伝子を増幅させたり、ウイルスのもつたんぱく質を発色させたりといったものがあります。つまり、ウイルスがいることの証拠となるような物質を見つけだすわけです。

いっぽう、記事で紹介されているウイルス検出法は、より直接的にウイルスそのものを目立たせて、見つけだそうとするもの。ウイルス自体を可視化させるわけです。この技術の実用化に向けて、産業技術総合研究所(産総研)センシングシステム研究センターの研究者たちが研究開発を進めています。

記事では、ウイルスを「光らせ動かす」という検出技術の詳しい中身や、今回の新型コロナウイルスに対する適用の可能性などを、研究者の話を通じて伝えています。

多くの災害では、その原因となる危険を目などの五感で捉えることができます。たとえば、台風は風雨を、地震は揺れを、目や耳や皮膚で感じることができます。そうした災害に対しては、身に感じる危険に近づかないという方法で難を逃れることができます。

いっぽう、感染症は五感で捉えることが極めてむずかしいという特徴をもった禍です。

しかし、記事に紹介されているような、ウイルスなどの微細な病原体そのものを「見る」技術が進んでいけば、これからの感染症への人びとの対しかたも変わってくるかもしれません。

「ウイルスの存在『見える化』への第一歩 産総研、『光らせ動かす』検出技術を開発へ」の記事はこちらです。
https://www.jiji.com/jc/v4?id=202005coronavmd0001

記事の取材と執筆をしました。
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炭鉱で逝った小鳥たちの霊を慰める


大分県飯塚市の上三緒炭坑雁石坑があった地には、「小鳥塚」が建てられています。炭鉱で利用され、犠牲になった小鳥たちの慰霊供養をするためのお墓です。

炭鉱のなかで毒気が漂っていないかを確かめるため、毒気に敏感なカナリアを連れていったという話は伝わるところです。日本でも実際に、カナリアや小鳥たちがこの目的で使われていました。毒気にさらされると、小鳥たちは止まり木から落ちます。それを炭鉱夫たちは、危険の合図としていたわけです。

これにより小鳥たちは死んでしまいます。小鳥塚の石板には「ここに小鳥たちの功績を讃えるとともにその霊を慰さめ、また石炭の果した使命を永久に顕彰する……」と、建立の目的が刻まれています。筑豊炭鉱遺跡研究会が、1981(昭和56)年5月10日に建てました。この日は愛鳥週間の初日にあたります。

霊を慰める風習は、日本の伝統的な考えかたに従ったものといいます。仏教ではもともと、死者は死後49日目に輪廻転生してべつの生きものになるか、あるいは死の瞬間に浄土に生まれるとされてきました。しかし、日本では、死者の霊を慰めるため、初七日、五七日、四十九日、百箇日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌と法要をとりおこないます。背景には、仏教とともに神道が日本に培われていたことがあるとされます。

さらに日本では、動物も慰霊供養するようになりました。いまのような動物の慰霊供養は、1657(明暦3)年に起きた江戸最大の火事「明暦の大火」で亡くなったおよそ10万8000の焼死者を葬った両国の回向院に端を発するといいます。この寺は、生あるものすべてを供養するという理念があり、馬をはじめさまざまな動物を慰霊供養してきました。動物の慰霊供養は、すべてのものに霊魂が宿っていると考える霊魂信仰が日本に深くあってのものといえるでしょう。

炭鉱では、明治時代から昭和10年ごろまで小鳥が毒気の検知役として使われていたそうです。その後、ガスや粉塵の検知機が開発されると、小鳥は炭鉱での役割を果たしおえました。上三緒炭鉱は、1965(昭和40)年に閉山しました。

閉山後も長らく、かつての炭鉱の小鳥たちのことを想いつづけいた人たちがいて、小鳥塚は建てられました。そしていまも小鳥塚には花がたむけられています。

参考資料
小鳥塚 石碑
http://img-cdn.jg.jugem.jp/b82/15839/20200526_3266795.jpg
長弘雄次「記憶遺産・記念碑などからみた筑豊の石炭産業」
https://docsplayer.net/104674413-平成25年7月期講演.html
西日本新聞 2018年7月30日付「『上三緒炭鉱』鳥瞰図で紹介 飯塚市歴史資料館『昭和のくらしと戦争展』 軍艦旗や紙芝居も」
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/437016/
鶴嘴さんのブログ 2012年6月19日付「麻生 鉱業(株)上三緒坑 小鳥塚」
https://ameblo.jp/gmgwwmd0/entry-11281518983.html
世界大百科事典「供養」
https://kotobank.jp/word/供養-56127
日本大百科事典「供養」
https://kotobank.jp/word/供養-56127
とっさの日本語便利帳「慰霊供養」
https://kotobank.jp/word/慰霊供養-897776
imidas「動物供養」
https://imidas.jp/genre/detail/L-102-0077.html
| - | 19:03 | comments(0) | -
3年使いつづけられるかを、3年かけずに確かめる
製品をつくって世に出す人たちは、その製品がかんたんには壊れないことを確かめたいことでしょう。すぐに壊れてしまっては、使っている人たちから苦情がくるだろうし、回収や修理をしなければならないからです。保証期間の定めようもありません。

つくった製品が長いこと壊れないということを確かめるには、その製品を長いこと使いつづけて壊れないのを確かめればよいということになります。たとえば、「3年は使いつづけても壊れない」ことをうたう製品をつくったとします。この製品を3年にわたり使いつづけて壊れなければ、「やっぱり3年使いつづけても大丈夫」となるわけです。

しかし、3年にわたり使いつづけても壊れないことを確かめるために、3年を費やすとなると、その製品を世に出すのも3年後となってしまいます。せっかくつくったのに、そこまで待っていられないでしょう。

そこで、製品をつくった人たちは、その製品を「加速劣化試験」とよばれる試験にかけます。

加速劣化試験とは、製品がふつうに使われる条件よりも、過酷な条件にさらし、劣化する速さを高めて、耐えうるかなどを確かめる試験のことをさします。

たとえば、宇宙へ飛んでいく宇宙機に対しては、「地球とは異なる宇宙のなかにずっといても機械や部品がはたらきつづけるか」を宇宙に飛ばすまえに確かめなければなりません。とくに、宇宙では地球よりも強い放射線が放たれています。放射線を機械や部品が受けつづけると、劣化するおそれがあります。

そこで、宇宙機によっては、地球の赤道上空のあたりで放射線が強くなっている「ヴァン・アレン帯」とよばれる空間をふくむ軌道に投入され、そこで加速劣化試験を受けることもあります。たとえば、2002年にH-IIAロケットで打ちあげられた人工衛星「つばさ」は、1年7か月にわたり運用されましたが、事前のヴァン・アレン帯を利用した劣化加速試験では、1年間で10年分にあたる量の放射線を浴びることができたといいます。


黄色いところがヴァン・アレン帯
図版作者:NASA/Van Allen Probes/Goddard Space Flight Center

ただし、加速劣化試験では、その製品がほんとうに使われるときの状況をとりいれることはむずかしいとされます。たとえば、湿度が高くて、汚れやすく、紫外線もあたるうえに振動も加わるといった状況を、試験では用意しづらいわけです。そのため、加速劣化試験は、製品が壊れないことを確かめる、万能ではないが最善の方法のひとつと考えられています。

参考資料
CKS 2015年3月27日改定「品質保証と品質管理 Ver.2.0」
http://wk.ixueshu.com/file/5dbc821f4b8e0cb9.html
ウィキペディア「加速劣化試験」
https://ja.wikipedia.org/wiki/加速劣化試験
宇宙航空研究開発機構 宇宙情報センター「つばさ」
http://spaceinfo.jaxa.jp/ja/mds.html
ブリタニカ国際大百科事典「バンアレン帯」
https://kotobank.jp/word/バンアレン帯-117825
はてなブログタグ「静止トランスファ軌道」
https://d.hatena.ne.jp/keyword/静止トランスファ軌道
ウィキペディア「つばさ(人工衛星)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/つばさ_(人工衛星)
試験・分析.com「高加速劣化試験とは」
https://lab.atengineer.com/shiken/cls08048.html
| - | 22:35 | comments(0) | -
「お出かけ日和」の使いかた、変わってくるかも


気象情報などでは、「お出かけ日和」「行楽日和」などのように「日和(ひより)」ということばがよく使われていました。「日和」は、穏やかな天候のことや、そのことをするのに都合のよい天候のことをさします。

「日和」の由来はやや変わっているようです。

歌人の柿本人麻呂(660頃-724頃)が、「飼飯の海の庭(にわ)好くあらし刈薦の乱れ出づ見ゆ海人の釣船」という歌を詠みました。『万葉集』巻三(二五六)に収められています。

この歌にある「庭」は「広い海原」を意味します。この「庭」に、「日和」という字が当てられ、さらに「日が和らいだ」という意味にとられ、穏やかな天候をさして「日和」とよぶようになったとされます。

「お出かけ日和」や「行楽日和」といえば、たいていの場合、最高気温が20度から25度ほどで、晴れていて、湿度がさほど高くない日のことをさして使われていました。

しかし、このところ直射日光から紫外線がからだに降りそそぐのを避けようとする人びとが多くなってきています。紫外線で肌を傷つけないようにといった美容目的が大きいのでしょう。

また、花粉症の人は、花粉が飛びやすい気候かどうかも気になるところです。花粉の飛ぶ量は一般的に、気温が上がる、雨あがりの翌日で晴れている、乾燥しているといったことなどが重なると増えるとされます。

さらに、一般的にウイルスは乾燥しているときに空気中に漂って運ばれやすいともいわれます。新型コロナウイルス感染症(COVID-19:COronaVIrus Disease 2019)の流行もあって、ウイルスが広がりやすい気候かどうかにも、人びとの関心が寄せられるようになりそうです。

こうなってくると、気温が上がり、晴れていて、湿度がさほど高くないといった日は、もはや「お出かけ日和」とよびがたい状況になってきているのかもしれません。気温は上がらず、雨は降らないまでも曇りがちで、湿度は高いような日のほうが、人びとが自分の体のことをいたわらずに出かけることができるからです。

そもそも、COVID-19により不要不急のお出かけに対する自粛の雰囲気があるかぎり、気象情報などで「お出かけ日和」や「行楽日和」の出番もないのかもしれません。

参考資料
大辞林第三版「日和」
https://kotobank.jp/word/日和-613687
万葉集入門「飼飯(けひ)の海(うみ)の庭好(にはよ)くあらし刈薦(かりこも)の乱(みだ)れ出(い)づ見ゆ海人(あま)の釣船」
http://manyou.plabot.michikusa.jp/manyousyu3_256.html
New意味ブロ「日和の意味」
http://imiburo.com/kannji/2319/
エンジョイ!マガジン 2013年1月29日付「花粉が飛びやすい気象条件と、2013年の花粉飛散予測」
https://enjoy.sso.biglobe.ne.jp/archives/kafun_2013/
| - | 23:59 | comments(0) | -
「走りこみ」の話題、野球の練習法に集中


写真作者:yamauchi

十分に走ることを「走りこみ」といいます。現代において、人が生身で走るのはもっぱら運動能力を高めたり、健康を保ったりするため。よって走りこみも、おもに運動競技をする人がするものとなっています。

運動競技のなかでも「走りこみ」にかかわりの深い競技があるもよう。試しに「走り込み」とインターネットで検索してみると、検索結果の上位を野球の話題が独占します。野球解説者の張本勲さんが、放送番組でよく「近ごろの投手はね、走りこみが足らんのですよ。喝!」などと声をあげている影響でしょうか。

それもあるでしょうが、野球という競技と走りこみという鍛錬がなかなかつながりにくいからこそ、「野球に走りこみはほんとうに必要なのか」「いや、もっと大切な練習があるのではないか」などと話題になりやすいようです。走りこみと競技がつながりやすい陸上競技長距離種目やサッカーなどでは、走りこみをするのがよいに決まっているから、賛否をめぐっての話題になることはさほどないことでしょう。そのため、話題になることもすくないかもしれません。

では、野球における走りこみの練習の賛否にはどのようなものがあるのでしょう。

野球選手のための走りこみに賛同する立場の情報には、「全身運動なのですべての筋肉がつく」また「毛細血管を増やす」「上半身と下半身の運動性を高める」といった利点があがっています。

いっぽう、否定的な立場をとる情報には、「筋肉が削り取られる」「疲労で速度が低下すると筋内が酸性に傾くことになり、……結果として強いパワーが出せなくなる」といった走りこみの欠点があげられています。

これらの賛否両論には、プロ野球で活躍している人や、プロ野球の監督としても実績をあげている人などの論もあり、そうした選手のあいだでも賛成と反対があるもよう。走りこみを「しなければならない」と教えられてきた世代と、そこまで出なくなった世代でも考えかたは異なるのでしょう。

まだ、野球選手にとっての走りこみは、すべきかすべきでないか、どちらがよいということが定まっていない問題のひとつといえます。

オンライン野球塾「野球でよく行う走り込みのメリットとは?」
http://littlerockheart.com/column/201912161241.html
Aipen Group Magazine 2019年1月29日付「柳田悠岐(福岡ソフトバンクホークス)が走り込みを語る「走ることは全てのスポーツに通ずる」
https://media.alpen-group.jp/media/detail/baseball_190128_01.html
Victory 2017年5月20日付「野球のトレーニングに『走り込み』は必要なのか? vol.1」
https://victorysportsnews.com/articles/3792/original
Baseball Geeks 2019年6月13日付「走り込みで投手のスタミナは鍛えられない!スポーツ科学から見た真の効果とは?」
https://www.baseballgeeks.jp/training/野球選手に走り込みは必要ない/

| - | 23:59 | comments(0) | -
書評『文系AI人材になる』
松尾豊さんの『人工知能は人間を超えるか』が出たのが2015年3月。時は移ろい、多くの人が仕事で人工知能を役立てるための本も出てきました。


『文系AI人材になる』野口竜司著 東洋経済新報社 2020年 344ページ 

好むと好まざるとにかかわらず、新たな技術が社会に広がっていく。それがたんなる趣味の対象であれば遠ざかっているだけでよい。だが、それが仕事の手段であるとなるとそうもいかない。

いつのまにか社会に、仕事の手段として広まってきているのが「人工知能」(AI:Artificial Intelligence)である。国内外では、人工知能で「退職予備軍」を予測して、このままだと会社を辞める人たちを辞めさせないようにする企業や、人間の容姿をした人工知能アナウンサーに番組で話をさせる企業も現れている。

なにかの技術が広まっていくと、専門的な知識をもつ社員がその技術を「つくる」段階から、それ以外の社員がその技術を「使う」段階へと移っていく。いま、まさに人工知能という技術で、その段階の移行が起きている。「文系」とも称される多くの社会人が、仕事の手段として人工知能を使う時代に入ったのだ。好むと好まざるとにかかわらず……。

『文系AI人材になる』は、そんな人工知能の相転移を踏まえて、これから仕事で人工知能に向きあう「文系」の人たち向けにつくられた手びき書といえる。著者は、ZOZOグループで人工知能による事業の推進をおもに担当し、自身も「文系AI人材」だとしている。

文系人材は人工知能とどう接すべきかといった心がまえ(第1章、第2章)、人工知能を使って仕事をするうえでの最低限の知識(第3章、第4章)、そして、人工知能を使った企画の立てかたと企画の事例(第5章、第6章、第7章)を述べている。

心がまえについては、「AIと共に働くスタンスに切り替えるのです」「AI職に就く準備を始めましょう」「人間とAIの共働きをうまくコントロールするのが『AI職』の役割です」と、人工知能を使うのに尻ごみしがちな読者の背中を押す。

では、どんな「共働き」の型があるのか。著者は、人の仕事を人工知能が補助する「T型」、人の仕事を人工知能が拡張する「O型」、人工知能の仕事を人が補助する「逆T型」といった具合に類型化していく。それぞれの型の概念図も出てきて頭の整理になる。

最低限の知識は、どんな技術を使いこなすにしても必要だ。いま、世間でいわれている人工知能のひとつに機械学習があり、さらに機械学習のひとつにディープラーニングがあるということ。学習方法には教師あり学習、教師なし学習、強化学習の3分類があること。活用型には機能別に「識別系」「予測系」「会話系」「実行系」という4つがあり、さらに役割別に「代行型」「拡張型」の2つの役割があること、などを述べていく。

文系の読者に向けて、「丸暗記で済ます」と割りきっているところが、いまの本らしい。読者も「これらさえ覚えておけばよい」と安心できるのできそうだ。

企画の立てかたと事例については、「だれのための人工知能か」「なぜ人工知能が必要か」「どの型の人工知能か」「どんな人工知能か」「どう人と分業するか」「いつまでにどう用意するか」といった、人工知能の企画を踏まえた「5W1H」を示す。

そのうえで、この「5W1H」に当てはめながら、合わせて45もの人工知能を使った事業企画の実例を紹介していく。調理、配膳、注文、会計までを自動化といった「実行系 × 代行型」の事例から、人工知能を活用した新規出店の判断といった「予測系 × 拡張型」の事例までさまざまある。すべてが事業での活用まで至ったものというわけでもないが、人工知能を使った企画を立てるための手本になる。

人工知能は人類にとっての敵か味方かという哲学的な議論は、これからも続いていくだろう。だが、現実的には、仕事で人工知能をうまく使いこなせる人が、まわりの人たちから重宝がられる。そうした現実をこの本は思い知らせてくれる。

なにかひとつでも人工知能を使うからこその企画を立て、成果を出せたという経験をすることが、「自分も人工知能との共働きをコントロールできた」という自信につながるのだろう。その気があれば、この本で一歩踏みだすことはできる。

『文系AI人材になる』はこちらでどうぞ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4492762515/
| - | 22:41 | comments(0) | -
賭けが禁じられるのは、人をだめにし、ほかの罪をひきおこしうるから

写真作者:Taichiro Ueki

東京高等検察庁検事長が、新型コロナウイルス感染症(COVID-19:COronaVirus Disease 2019)のため不要不急の外出自粛がよびかけられていた(2020年)5月1日(金)に、新聞記者や元新聞記者と「賭け麻雀」をしていたと週刊誌に報道されました。この法報を受け、検事長はきょう5月21日(木)首相に辞表を提出しました。

報道によると、検事長は「報道された内容は、一部事実と異なる部分もありますが、緊急事態宣言下における私の行動は、緊張感に欠け、軽率にすぎるものであり、猛省しています」と述べているといいます。

賭け麻雀をしていたかどうかについて当人たちからはまだ示されていませんが、仮にしていたとすると、この検事長、新聞記者、元新聞記者は、違法とされている「賭博」をした可能性があります。賭博とは、お金やものをかけて勝負事をすること。刑法185条には「賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない」とあります。

なぜ、賭博をすると罪になるのでしょう。

法律には「法益」といって、その法律があることによって保護される利益があるとされています。賭博については、最高裁判所の判例として、つぎのようなことが裁判官から述べられています。1950年11月22日の大法廷で、刑法にある「賭場開張図利罪」の合憲性などについて弁護士から上告されたのを受けて、上告を棄却した際の理由の一部です。
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 賭博行為は、一面互に自己の財物を自己の好むところに投ずるだけであつて、他人の財産権をその意に反して侵害するものではなく、従つて、一見各人に任かされた自由行為に属し罪悪と称するに足りないようにも見えるが、しかし、他面勤労その他正当な原因に因るのでなく、単なる偶然の事情に因り財物の獲得を僥倖せんと相争うがごときは、国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎を成す勤労の美風(憲法二七条一項参照)を害するばかりでなく、甚だしきは暴行、脅迫、殺傷、窃盗その他の副次的犯罪を誘発し又は国民経済の機能に重大な障害を与える恐れすらあるのである。これわが国においては一時の娯楽に供する物を賭した場合の外単なる賭博でもこれを犯罪としその他常習賭博、賭博開帳等又は富籤に関する行為を罰する所以であつて、これ等の行為は畢竟公益に関する犯罪中の風俗を害する罪であり(旧刑法第二篇第六章参照)、新憲法にいわゆる公共の福祉に反するものといわなければならない。
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この判例が、賭博に罪を課す刑法185条の法益の説明として使われています。

この理由文では、まず「たしかに賭博っていうものは、人が好んでおこなう自由な行為なんだから、罪にならないように見えるよね」との旨を述べます。

そして「しかし」とつづけて、「たんなる偶然によって財を得ようと争うっていうのは、怠惰とか浪費とかの風潮を起こし、勤労のよい習わしを傷つけるものなんだよ。さらに、いろんなほかの罪をひきおこして私たちの経済を重く傷つけるおそれすらあるんだよ」との旨を述べて、賭博はよくないことだと唱えます。

そして、「たんなる賭博でも常習賭博とか富くじでも、風俗を傷つける罪であって、憲法に書かれている『公共の福祉』に反するといわななければならないね」との旨を述べています。

つまり、かいつまんでいうと「賭博は人の社会的な生活をだめにし、ほかの罪もひきおこしうるものだからやってはいけない」ということで、法律により禁止されていると捉えられているわけです。

賭博には、人をだめにしうる成分があるのかもしれません。また、賭博には、それがばれたときに人の人生をだめにしうる成分もあるのかもしれません。

参考資料
文春オンライン 2020年5月20日付「黒川弘務東京高検検事長 ステイホーム週間中に記者宅で“3密”『接待賭けマージャン』」
https://bunshun.jp/articles/-/37926
朝日新聞 2020年5月21日付「『事実と異なる部分もある』黒川検事長がコメント公表」
https://www.asahi.com/articles/ASN5P6JHYN5PUTIL03Z.html
憲法判例集(仮)「幸福追求権 最高裁昭和25年11月22日大法廷判決」
http://blog.livedoor.jp/cooshot5693/archives/52211955.html
川田泰之「賭博罪の保護法益」
http://altmetrics.ceek.jp/article/hdl.handle.net/2065/00056093
ウィキペディア「賭博及び富くじに関する罪」
https://ja.wikipedia.org/wiki/賭博及び富くじに関する罪
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「あすで大丈夫ですよ」の影響は大きい――法則古今東西(33)
これまでの「法則古今東西」の記事はこちら。


写真作者:Free Images

記者と編集者のあいだでは、たまに、原稿づくりをめぐって、つぎのようなやりとりがあるといいます。

記者「原稿をつくっているところです。きょうのしめきりまでにお送りします」
編集「ありがとうございます。私はほかの原稿を見なければならないので、あすいっぱいにいただければ大丈夫ですよ」

しめきりに間にあうかどうかの瀬戸際にいた記者にとって、編集者からの「あすいっぱいにいただければだいじょうぶですよ」は、“福音”に聞こえるかもしれません。しめきりを守るためのたたかいを、いったん緩められるからです。

いっぽうで、つぎのような社会の経験則もあるといいます。

「仕事は完成のためにあたえられた時間を満たすように膨れるものである」

これは、英国の著述家シリル・ノースコート・パーキンソン(1909-1993)が1955年、雑誌『エコノミスト』に寄せた記事で述べた法則です。彼の名をとって「パーキンソンの法則」とよばれています。

上の記者の場合、「きょうのしめきりまでにお送りします」と言ったのに対し、編集者から「はい、よろしくお願いします」と言われれば、どうにかこうにかその日に原稿をつくることができたでしょう。そして、翌日は翌日でべつの仕事にとりかかれたかもしれません。

しかし、「あすいっぱいで大丈夫ですよ」と言われたため、その記者は翌日もその原稿書きに時間を費やすのでした。

問題は、しめきりが「きょう」でなく「あす」になったことによる影響や変化が、どのように現れるかです。

心はいったんだけでも解きはなたれるので、ストレスは減りそうです。ただし、しめきりがあることには変わりありません。とりあえず心を緩めてしまい、作業を新たなしめきり日となった翌日に伸ばすとなれば、翌日もふたたびストレスがかかることになります。

収入という点では、この法則のとおりであれば、しめきりが伸びるほうが明らかに減ることになります。翌日にするはずだったべつの作業をするはずが、きょうしめきりのはずだった作業をすることになるのですから。

収入とおなじくらい重要なのは、作業する時間が1日分、増えたことで、仕事の完成度が相応に高まるかどうかです。「あすいっぱいにいただければ大丈夫ですよ」と言われて心を緩めてしまい、単純に作業を翌日に伸ばすだけであれば、まず完成度が高まることはなさそうです。

一般的によくいわれるのは、あたえられた日数の前半あたりであらかた努力してしまい、残る後半では努力の度合はなだらかとなるため、完成度はさほど高まらない、というものです。

いっぽうで、この記者のように、前半あたりであらかた努力をしてしまうというのが当てはまらない場合もあります。もし仮に、あらかた原稿をすでに書いていたような場合であっても、しめきりが延びて生じた時間を、推敲などの作業に費やせば、原稿の完成度は高まるはずです。きちんと推敲できるかどうかで、原稿の印象も大きく変わってくるもの。

「仕事は完成のためにあたえられた時間を満たすように膨れるものである」という経験則は、多くの場合、抗いがたい事実としてあるのでしょう。結局のところ、その「あたえられた時間」の「満たしかた」がどうであるかが問われているのではないでしょうか。

パーキンソン当人は、寄稿したこの記事で「多忙な人にあたえられた3分間の努力は、ほかの人には疑問や心配や苦労の1日後としてのしかかる」「それゆえ、なされる仕事の量と、割りあてられる人員の量とはほぼ、または一切、無関係である」といったことを述べています。肯定的ではありません。

参考資料
The Economist 1955年10月19日付 “Parkinson's Law”
https://www.economist.com/news/1955/11/19/parkinsons-law
世界と日本のUX | BLOG 2018年5月28日付「パーキンソンの法則」
https://uxdaystokyo.com/articles/glossary/parkinsons-law/
情報システム用語辞典「パーキンソンの法則(ぱーきんそんのほうそく)」
https://www.itmedia.co.jp/im/articles/0612/09/news009.html
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眼の近くにあるもののほうがつねにより大きく現れ……――立体視への挑戦(10)

これまでの「立体視への挑戦」はこちら。

ギリシャの数学者ユークリッド(エウクレイデス)は紀元前3世紀ごろ著したとされる『光学』で、ものの見えかたについての理論を、文章と幾何学図形によって述べました。それは、前提となる「定義」を示したうえで、それらの定義から導かれる「命題」を示すという方法でした。ユークリッドが、主著書『原論』でとった手法と基本的にはおなじです。

前回の第9話では、この連載の主題である「立体視」や「遠近法」とかかわってくる命題は14個のうちの1個目として「命題1」を見てみました。「命題2」から「命題14」はつぎのようなものです。『光学』で示されている幾何学図形も示されていますが、文章から直感的に理解できる命題もすくなくありません。

それぞれ、命題と幾何学図を見たうえで、ユークリッドがなにを伝えたかったのかを示します。
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2
距離を隔てて置かれた等しい大きさのうち、より近くに置かれたものの方がより鮮明に見える。


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おなじ大きさの対象物が、自分の眼から異なる距離にあるとすると、より近いほうがより鮮明に見えるということです。図では、Bが眼。KLとGDがおなじ大きさの対象物となります。KLよりもGDのほうがより鮮明に見えるとユークリッドは述べています。この命題をユークリッドは、定義7「より多くの角によって見られるものは、より鮮明に現れること」から導いています。
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3
見られるもののそれぞれは、そこになるともはや見えなくなるようなある距離の長さをもつ。


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対象物が遠ざかると、どこかで見えなくなるということを示そうとしています。Bを眼とし、GDという対象物が、奥へ下がっていき、Kつまり視線の左端から視線の右端までの隔たりのなかに含まれたとします。この図では示されていませんが、さらにこのKが奥へ奥へと下がっていけば、やがてGDの対象物は見えなくなるというわけです。ユークリッドは定義3の「視線がそこに落ちないものは見えないこと」から、この命題をしめしました。「視線がそこに落ちない」というのは「視線がどこまで行っても対象物にぶつからない」といったような意味です。
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4
等しい隔たりでかつおなじ直線上にあるもののうち、より多くの距離から見られるものは、より小さなものとして現れる。


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Eを眼とし、そこからAB、BG、GDという等しい長さの対象物を見るとします。すると、ABよりも、「多くの距離」つまり「長い距離」を経て見られるBGのほうが小さく見え、おなじようにBGよりGDのほうが小さく見えるというわけです。ユークリッドは、定義4の「より大きな角によって見られるものはより大きく、またより小さな角によって〔見られるものは〕より小さく(現れる)」という記述や、『原論』で述べた幾何学の知識も使いながらこの命題を証明しました。BZとGKといった補助線も使っています。
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5
不等に隔たっている等しい大きさは不等に現れ、そして眼により近くあるもののほうがつねにより大きい。


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Eを眼とします。GDとABは等しい大きさであるものの、眼より近くにあるABのほうがGDよりも大きいというわけです。ユークリッドはこれも定義4の「より大きな角によって見られるものはより大きく」を使って証明しています。眼に近いもののほうが大きく見えるというのは、直感的にも理解しやすい命題です。
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6
隔たりのうち、距離を隔てて見られる平行線は、不等な幅として現れる。


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上の命題5とにた命題です。眼をEとします。QK、ZH、EDはたがいに距離を隔てて見らえる平行線です。これらは、眼からは「不等な幅」つまり異なる幅で見られるというわけです。ユークリッドはこれも定義4を使って証明しています。
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7
同一直線上にある等しい大きさは、互いに接して置かれておらずしかも眼から不等に隔たっていると、不等に現れる。


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眼をEとします。ABとGDは等しい大きさの対象物です。眼のEからの隔たりは、GDのほうが近く、ABのほうが遠い。すると、眼のEから見たABの大きさとGDの大きさは、「不等」つまり異なるとなるというわけです。ユークリッドはこれを円を用いて、弧HDは弧ZAよりも大きいということを導いて証明しました。
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8
眼から不等に隔たっている平行で等しい大きさは、それらの距離と比例しているようには見えない。


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この命題8でもEが眼ですが、この幾何学図は、真上から真下を見おろしたものでなく、真横から見たものとなります。対象物としてABとCDがあります。見た目のGDのABに対する比は、BEのEDに対する比とは食いちがう、つまり、見た目の大きさは距離に比例するわけではないと、ユークリッドは述べています。
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9
四角形の大きさは、距離を隔てて見られると、丸まって現れる。


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今度は、展覧会の絵を見ているような状況です。四角い絵の四隅は見えなくなるので、全体としては丸まったように見えるだろうとユークリッドは述べています。これは、直感からは理解しがたい命題かもしれません。ためしに、コンピュータやスマートフォンの画面を四角い絵に見たててみると、どう見えるでしょう。
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10
眼より下に置かれた平面のうち、遠いもののほうがより高く現れる。


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今度は真横から見た幾何学図形が示されています。眼はAです。GDはDEよりも高く現れるし、DEはEBよりも高く現れるとユークリッドは述べます。これを、定義5の「より高い斜線によって見られるものはより高く、またより低い斜線によって〔見られるものは〕より低く現れる」を用いて証明しています。実際も、踏切などから線路を眺めてみると、遠くのほうが高く見えることを、あらためて実感できます。補助線のZHは、眼のAからG、D、Eへの視線をそれぞれ切りとるためのもの。
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11
眼より上に置かれた平面のうち、遠いもののほうがより低く現れる。


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この命題11は、命題10を受けて「逆もまた真なり」という関係にあるもの。たとえば、天井を見てみると、遠くの位置ほど見た目では低く見えることが直感的にもわかります。
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12
前方へ長さをもつもののうち、右側のものは左側のほうへ、また左側のものは右側のほうへ引かれたように思われる。


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真上から真下を見おろした図に切りかわっています。この命題12は、命題10と命題11を合わせて、かつ直角に横だおしにしたようなものといえます。図でいうと、Eを眼として、右側にあるZ、H、Gはだんだんと左側つまり内側へ、左側にあるQ、K、Aはだんだんと右側つまり内側へ引かれたように見えるというわけです。
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13
おなじ眼の下に置かれた等しい大きさのうち、遠いほうはより高く現れる。



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真横からの図です。眼がHです。AB、GD、EZはどれも等しい大きさです。すると、ABはGDよりも高いところに、またGDはEZよりも高いところに見えるとユークリッドは述べます。定義5の「より高い斜線によって見られるものはより高く〔現れる〕」から導いています。
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14
眼よりも上に置かれた等しい大きさのうち、遠いほうはより低く現れる。


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この命題14は、命題15を受けて「逆もまた真なり」という関係にあるもの。定義5の「より低い斜線によって〔見られるものは〕より低く現れる」から導いています。

このあとも、この『光学』では、命題15、命題16、命題17……と続いていきます。しかし、「立体視」や「遠近法」を想起させる命題は14まで。もっともユークリッドは「遠近法」といったことばを用いずに、これら命題を述べています。立体視や遠近法と結びつけようとするのは、あくまで後世の人びとの頭のなかにおいてということにはなります。

ユークリッドはこうして、「人間の眼からなにかが出ていき、それが対象物に当たると見えるということが生じる」とする「流出説」の立場をしっかりと保ちながら、ものの見えかたを体系化したのでした。

そして、ユークリッドによる「ものの見えかた」は、後世の人たちに影響をあたえていきます。つづく。

参考資料
斎藤憲・高橋憲一共著『エウクレイデス全集 第4巻』
https://www.amazon.co.jp/dp/4130653040

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「人の手で編みだした人工物」の立場と「自然のしくみに則った自然物」の立場と


検察庁法の改正案の成立が、今回の第201国会で見送られることが(2020年)5月18日(月)までに決まったと伝えられています。新型コロナウイルス感染症「COVID-19」(COronaVirus Disease 2019)で世のなかがたいへんという時期に法改正をするだなんてという人びとの声があがっていました。

もうひとつ、国会の内外で改正が議論されている法律があります。「種苗法」です。

種苗法は、「新品種の保護のための品種登録に関する制度、指定種苗の表示に関する規制等について定める」(第一条)ことを目的とした法律。農家や林業家により栽培されるような植物の品種についての法律です。

議論されている法改正は、「登録品種」とよばれる種類の品種の「使いかた」と「増やしかた」をめぐるもの。登録品種は、育成者つまり品種を編みだした者が、品種の名前をつけて農林水産大臣に提出し、審査のうえ登録された品種をさします。たとえば、さつまいもの「紅はるか」、お米の「ゆめぴりか」、いちごの「あまおう」などは、いまのところ登録品種です。

登録品種の「使いかた」をめぐっては、これまでの種苗法では、育成者から正規に買った種苗を、種苗業者や農業者が海外にもち出すことを制限していませんでした。法改正されると、こうした種苗に利用条件が定められ、その条件に反した種苗は海外にもち出しできないことになります。

また、登録品種の「増やしかた」をめぐっては、これまでの種苗法では、育成者から正規に買った種苗を、農業者が栽培して得た次世代の種苗をふたたび栽培に充てることが許されていました。法改正されると、こうした自家増殖は、開発者に許しを得ることでできることになります。

登録品種の「使いかた」と「増やしかた」いずれの改定についても、農林水産省はその理由を「優良な品種を持続的に利用してもらうため」としています。つまり、登録品種が海外にもち出されると、その国で産地化されてしまうおそれや事例があるので、それを防いで新しく編みだされる優良な品種を保護しようというねらいを示しています。

ごくかいつまんでいえば、「手間ひまかけて編みだした品種を、おいそれと海外でパクられないようにする」という大義名分があるようです。

いっぽうで、この法改正に対して、社会では問題を指摘したり、「異議あり」の声も上げたりする人もいます。農業経済学の研究者のなかには、多国籍企業が種苗を独占していく手段として悪用される危険があると指摘する人もいます。また、農家から農業を営む自由を奪っていくものだという考えから、意義を唱える出版社も見られます。

登録品種の「使いかた」や「増やしかた」の定めを改めるべきかどうか。この議論は、栽培品種というものを「人の手で編みだした人工物と捉えるか、それとも、自然のしくみに則った自然物と捉えるか」によって、かなり考えかたが異なってくるのではないでしょうか。

栽培品種を「人の手で編みだした人工物」と捉えると、「工業分野における特許権などとおなじような知的財産権を、農業分野における品種開発に対してもあたえるべきだ」という考えにいたるでしょう。

特許権は、新たな技術を発明した者の権利を守るものです。たとえば、表面に凹凸のついた「マジックしゃもじ」の発明した人には特許権があたえられており、この技術を排他的独占的に使うことができます。もし、ほかの人がこの技術を使おうとするときは、対価を支払わなければなりません。

これとおなじように、たとえば新品種の「紅はるか」を開発した人には、品種登録されたことにより、知的財団権があたえられると考えることができます。もし、ほかの人がこの品種を使おうとするときは定められた利用条件を守り、また、増やそうとするときは許諾料を払うなどすれば、育成者の知的財産権はある程度、守られます。

いっぽう、栽培品種を「自然のしくみに則った自然物」と捉えると、植物が次世代の種子を生みだすのは、自然の摂理にかなったものであるといった考えにいたるでしょう。植物は、遺伝子を介して次世代を遺すようにしむけられたしくみのもとで、育つものです。そうした遺伝のしくみを人が利用して、植物を農業用や園芸用に育てているにすぎません。

人間が定めた利用条件を守ったり、人間が課した許可料を払ったりしないと、その品種を自由に使ったり種子を自由に増やしたりできないというのは、人間の都合や利益を優先した考えであり、そもそもの自然の摂理とは反することである。「自然物」の立場をとると、そのように考えることができます。

おそらく、新しい品種を編みだしたり、その品種を使って栽培したりと、農業の現場に近いところにいる人たちほど、栽培品種を「人の手で編みだした人工物と捉える」向きは強いのではないでしょうか。「人の手が入った植物は、もはや人工物であって、自然物ではない」という考えの人も多くいるでしょう。

しかし、遺伝のしくみにもとづいた命ある生きものを扱うのと、人間の設計にもとづいた命なき工業製品を扱うのとでは「なにかちがう」と、違和を感じる人もいそうではあります。できるだけ自然の状態に沿ったやりかたで農作物をつくって食べるべきと考える人たちのなかにも、栽培品種を「自然のしくみに則った自然物」とみなして折りあいをつけている人はいるのではないでしょうか。

種苗法改正については、検察庁法改正とちがって、まだ見送りの大きな動きは国会では見られないようです。今国会の会期末は(2020年)6月17日です。

参考資料
朝日新聞 2020年5月18日付「首相、検察庁法改正案の今国会成立を断念 世論反発受け」
https://www.asahi.com/articles/ASN5L523ZN5LUTFK015.html
e-Gov「種苗法」
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=410AC0000000083#A
農林水産省「種苗法の一部を改正する法律案について」
https://www.maff.go.jp/j/shokusan/shubyoho.html
農林水産省「種苗法の一部を改正する法律案について(資料)」
https://www.maff.go.jp/j/shokusan/attach/pdf/shubyoho-6.pdf
ブリタニカ国際大百科事典「品種登録」
https://kotobank.jp/word/品種登録-170171
東京新聞 2020年5月14日付「『種苗法改正案』農家に打撃懸念 地域農業守る『在来種保全法案』を」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202005/CK2020051402100027.html
月刊現代農業 2020年1月号「農家の自家増殖『原則禁止』に異議あり!  農水省に、種苗法改定の動きあり」
http://www.ruralnet.or.jp/gn/202001/syubyou.htm
名古屋国際特許業務法人 2019年11月9日「ヒット商品に見る知的財産権シリーズ(特許5)」
https://www.patent.gr.jp/news/shosai.html?id=21197716924aee2c380c3ad
ENECT 2019年7月8日付「呉 尚久:映画『シード 〜生命の糧〜』」
https://enect.jp/life/seed-movie/
衆議院「国会会期一覧」
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/kaiki.htm
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自転車漕ぎ「空腹感」訴える

写真作者:GillesVanDamme

新型コロナウイルス感染症「COVID-19」(COronaVirus Disease 2019)を避けるため、通勤や通学の手段を電車から自転車にきりかえるという人もいるのではないでしょうか。自転車でも20メートルほどの「社会的距離」をとる必要があるともされますが、電車内の密閉空間よりは安心感を抱けるということで自転車にきりかえるのかもしれません。

ある自転車漕ぎの人物は、成人になってひさびさに漕ぎはじめたときの実感をこう話しています。

「とにかく自転車を漕ぐと腹が減る」

この人は、目的地まで20キロメートルほどの距離を1時間強かけて自転車で漕ぎ、往復するといいます。

「片道でかなり小腹がすいた感じになり、往復で家に帰ると腹ぺこで、すぐにスパゲティをゆでて食べます」

さらに「おなじ時間を走っているときよりも自転車を漕いでいるほうが空腹感が強い」とも。人によって実感は異なるでしょうが。

消費熱量をくらべられるサイトでは、自転車を漕ぐのと走るのでの消費熱量のちがいを見ることができます。たとえば、カシオの「ke!+san」 というサイトでは、体重70キログラムの人が60分の運動をした場合、自転車とランニングではつぎのような消費熱量が算出されます。

 ・自転車(時速19.3〜22.4キロメートル)    588キロカロリー
 ・ランニング(時速9.6キロメートル)        720キロカロリー

たいていこの手の消費熱量をくらべられるサイトでは、走るほうが消費熱量はやや多めに出る向きがあります。

激しめの運動をしたあとすぐは一時的に血糖値が高まり、空腹感を得づらいという理論もあります。走るときよりも、自転車を漕ぐときの動きのほうが激しくないため、漕いでいるうちからどんどん空腹感を覚えていくということはあるのかもしれません。

自転車を漕いでいるときの熱量消費やエネルギー補給では、しばしば『ロードバイクの科学』(ふじいのりあき著、スキージャーナル)という本の情報が引きあいに出されます。それらによると、100ワットの出力で釣りあうためには、「30分毎におにぎり1.5個」が必要といいます。上記の空腹感を覚える自転車乗りは、往復2時間かかるので、速度などにもよるでしょうが、おにぎりおよそ6個分を補給しなければならないことになります。

自転車を漕いで通勤や通学をする場合、また歩いたり走ったりでもいえるでしょうが、食べる時間とモノを確保しておくのが大切といえそうです。

参考試料
Cycle Sports 2020年4月17日付「屋外サイクリングのソーシャル・ディスタンシングは何m?」
https://www.cyclesports.jp/news/others/21415/?all#start
ke!+san「自転車の消費カロリー計算」
https://keisan.casio.jp/exec/system/15246445012202
ke!+san「ランニングの消費カロリー計算」
https://keisan.casio.jp/exec/system/1536633800
おめが?日記_(2) 2017年1月31日付「初ブルベ完走した」
https://omega.hatenadiary.jp/entry/2017/01/31/020712
科学技術のアネクドート 2019年8月23日付「運動直後は空腹感が失せがち」
http://sci-tech.jugem.jp/?day=20190823
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梅雨の雨も、走り梅雨の雨も、梅雨前線が降らせる


走り梅雨ちりめんじゃこがはねまわる
坪内稔典

沖縄と奄美では(2020年)5月11日ごろまでに梅雨に入りました。平年より1日から2日、遅い梅雨入りです。

いっぽう、九州から東日本にかけては、気象庁はまだ梅雨入りを発表していないものの、きょう16日(土)広く雨が降りました。「走り梅雨」です。

梅雨に先だって現れるぐずついた天気を「走り梅雨」や「梅雨の走り」といいます。例年、5月中に数日間、天気がぐずつきます。ほかに「前梅雨」や「迎え梅雨」、筍の旬にちなんで「筍梅雨」、さらに卯の花を腐らせるような雨のため「卯の花腐(くた)し」とよぶことも。

梅雨の走りで雨が降るのはどうしてかといえば、オホーツク海高気圧と太平洋高気圧のあいだにできる梅雨前線が、雨を降らせる雲をつくるからです。つまり、梅雨入りをした場所に雨を降らせる前線も、走り梅雨の場所に雨を降らせる前線もおなじです。

となると、「梅雨前線によって雨を降らせているのだから、走り梅雨としての雨が降ったら、それも梅雨とよぶべきではないか」と考える人もいるかもしれません。

しかし、「これから本格的に梅雨の時期を迎える」という人びとの心の準備をさせるという意味で、「走り梅雨」を迎えるのは意義のあることといえそうです。

とりわけ、気象衛星などの観測や予報の技術がなかった古では「梅雨の走り」を感じることは、いまよりも大切だったかもしれません。

平年の梅雨入りは、九州南部は5月31日ごろに、それより北東の地域では6月に入ってからとなっています。


2020年5月16日(土)15:00気象庁発表の天気図

参考試料
気象庁「令和2年の梅雨入りと梅雨明け(速報値)」
https://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/baiu/sokuhou_baiu.html
気象庁「季節現象」
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/yougo_hp/kisetsu.html
お天気.com「走り梅雨とは?」
https://hp.otenki.com/497/
お天気.com「梅雨(つゆ)とは?」
https://hp.otenki.com/3880/
饒村曜 2017年5月23日付「五月晴(ごがつばれ)から走り梅雨へ 走り梅雨でも五月雨(さみだれ)なみに警戒を」
https://news.yahoo.co.jp/byline/nyomurayo/20170523-00071140/
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遠隔出演者が声を録音すれば番組に使えそうなもの……

写真作者:Nenad Stojkovic

新型コロナウイルス感染症「COVID-19」(COronaVirus Disease 2019)の影響で、放送番組で出演者が遠隔地から音声や映像を通じて出演することが増えました。番組に携わる人たちが密接するのをできるだけ防ぐためということです。

司会者や放送局社員のアナウンサーのみが放送室にいて、ほかの出演者は別室や自宅からテレビ会議のしくみで中継するといった番組もよくあります。

専門的な機材を使わなくても、インターネットの使えるコンピュータさえあれば、「ズーム」などのサービスで音声や映像を中継し、放送までできてしまうというのは、技術の進歩の現れです。

しかし、視聴きしていて、やはり映像や音声が不安定であることは否めません。出演者の話の内容よりも、映像や音声が途切れないかが気になるという人は多いことでしょう。そして実際に、よく映像や音声が途切れることもあります。通信が切れてしまい、電話に切りかえたりすることも。

ところが、携帯電話の音声もまた不安定で、結局のところ固定電話がもっとも安定しているということを、出演者も視聴者もあらためて思い知るといったこともあります。

インターネット回線のかぎられた帯域に、複数の通信が集中したりすると、映像や音声を送るのに見あうだけの情報量を回線で送れなくなってしまいます。すると映像や音声が飛んだり抜けたりしてしまいます。

また、映像や音声を発信するための機器のほうに性能不足などの問題があるときも、おなじように映像や音声が不安定になることがあるといいます。

生放送ではむずかしいでしょうが、収録放送では遠隔出演者の音声を、遠隔出演者自身が録音したり撮影したりして、そのデータを放送局に送るということはできそうです。そのデータを放送用に使えば、不安定な音声や映像を流すことを避けられるのではないでしょうか。

たとえば、自宅からラジオ番組に出演する出演者に、放送局の人が小型録音機を送っておき、収録のとき出演者に自身の声を録音してもらいます。収録後、出演者は小型録音機を放送局に送りかえします。放送日時まで時間があまりない場合は、録音した音声データをインターネットでとりいそぎ送信します。そして番組の編集者は、テレビ会議の音声で問題なければその音声を使い、テレビ会議の音声で問題があれば、出演者にとってもらった録音を使う。

こうすれば、より安定的な音声で番組を聴取者に届けることができます。出演者はスマートフォンをもっているでしょうから、自身のスマートフォンを使ってもらえば、小型録音機を送ることもなくなります。動画も撮れます。

しかし、そうしていないということは、放送局が出演者にそこまでの協力をお願いするという判断に至っていないのかもしれません。

2020年3月からサービスが始まった「第5世代移動通信システム」(5G:5th Generation)が普及していけば、こうした問題も解決していくことにはなりそうです。いまは、技術進歩の過渡期とも捉えられます。

参考試料
フレッシュボイス「WEB会議音が途切れる、音声が聞き取りずらい原因は?」
https://www.freshvoice.net/basic/select_web_meeting/web_meeting_cutting/
PGi「Web会議の音声が途切れる理由とその打開策 電話回線との統合でより安定したWeb会議を」
https://premiere-marketing.jp/column/web_conference_telephone_line.html
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「見える化」は1998年以降、「可視化」は1952年以前から


「見える化」の語釈に「可視化」を当てる国語辞典があります。つまり「見える化」の解説に「可視化」ということばを使っているわけです。

『デジタル大辞泉』の「見える化」の項目の第1義には「『可視化1・2』に同じ。『大気の流れを見える化する』」とあります。では「可視化1・2」の語釈はというと、「1 人の目には見えない事物や現象を、映像やグラフ・表などにして分かりやすくすること。見える化。ビジュアライゼーション。ビジュアリゼーション」「2 警察官・検察官が被疑者を取り調べる状況を録音・録画し、当事者以外の関係者にも取り調べの内容を分かるようにすること……」とあります。

そして、補説には「『可視化』『見える化』とも1990年代から使用が目立つ」とあります。

しかし、「見える化」と「可視化」がいつごろから、どのように使われていたかとなると、大きく異なる点も浮かんできます。

「見える化」が、いつ、どう使われだしたかについては、わりと知られています。1997年に日本プラントメンテナンス協会の「PM優秀論文賞」で「佳作」となったトヨタ自動車の岡本渉による論文「生産保全活動の実態の見える化」に使われたのが最初とされます。この論文は、同協会発行の雑誌『プラントエンジニア』1998年2月号に載っています。

ただし、その後、「見える化」が雑誌記事の題名につづいてでてくるのは2000年に入ってから。国会図書館の雑誌検索によると、『プラントエンジニアリング』2000年2月号での沼元修二の記事「『一気通貫初期管理分析表』を考案し、初期管理活動を見える化」が、上記の岡本の記事のつぎに見られます。

トヨタはその後も「見える化」を積極的に使っています。2006年1月1日、当時の社長だった渡辺捷昭が、年頭所感の表明で「見える化」を使いました。これに対し、英訳では「問題を明らかにして、前景に出す」(identifying problems and bringing them to the foreground)と訳されています。

いっぽうの「可視化」は、ずっと古くから使われていました。

雑誌記事の題名では、パルプ及紙技術協会が発行する『パルプ紙工業雑誌』1952年10月号で、駒形治による「電子顕微鏡による紙のサイジングに関する研究(1)サイジング行程の可視化」という記事が見られます。

さらに「可視化」は「可視」に「化」がついたものなので、「可視」がいつから使われていたかさかのぼると、遅くとも大正時代には使われていたようです。「可視光線」つまり、目で見ることのできる光線という用語がすでに使われていました。

大阪工業試験所が1925(大正14)年に発行した『大阪工業試験所報告』第6回第4号には「硝子ノ各種輻射線透過性ニ關スル研究 可視光線ニ不透明ニシテ紫外線ニ透明ナル硝子ニ就テ」という記事の題名が見られます。

その後も「可視化」は1960年代、液体や気体の流れについての現象を研究し、役立てようとする流体工学の分野で、「流れの可視化」という表現でよく使われてきました。

これらからすると、1998年より前から「見ようとするものを見ることができる」という意味での「可視化」が使われているなかで、1998年に「見えないでいたものを見えるようにする」という意味での「見える化」が使われだし、以降「可視化」と「見える化」がともに使われ、しばしにた意味のことばとして置きかえられることも起きている、といった流れがうかがえます。

参考資料
デジタル大辞泉「見える化」
https://kotobank.jp/word/見える化-669658
デジタル大辞泉「可視化」
https://kotobank.jp/word/可視化-666862
日本大百科事典「見える化」
https://kotobank.jp/word/見える化-669658
トヨタ自動車 2006年1月1日「年頭所感」
https://global.toyota/jp/detail/1268182
トヨタ自動車 2006年1月1日 “New Year's Greetings from Toyota President Watanabe”
https://global.toyota/en/detail/268589
国立国会図書館サーチ「電子顕微鏡による紙のサイジングに関する研究(1)サイジング行程の可視化」
https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I10150636-00
大阪工業試験所 1925年7月発行『大阪工業試験所報告』第6回 第4号
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/988804
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品種改良を重ねてむきやすく

写真作者:Dee Bamford

新型コロナウイルス感染症「COVID-19」(COronaVirus Disease 2019)の緊急事態宣言で、巣ごもり的な暮らしの時間が増えています。料理に手を伸ばし、ふだん食べないような食材を買って料理するという人も多いのではないでしょうか。

アボカドをはじめて買うという人もいるかもしれません。そして、皮むき器で皮をむいている途中で、皮がするんとむけるということに気づいたという人もいるかもしれません。「バナナの皮むきようにかんたんじゃないか」と。

くだものにも皮ばなれしやすい種類と皮ばなれしにくい種類があるものです。アボカドやバナナのほか、ブドウやライチなども皮ばなれしやすい種類といえます。リンゴ、ナシ、キウイフルーツなどは皮ばなれしにく種類といえそうです。

しかし、アボカドも、もともとするんと皮がむけるような植物ではなかったことでしょう。アボカドのことを紹介する世界のウェブサイトでは、“Wild Avocado”つまりアボカドの野生種の写真が見られます。これとかこれとか。種子の大きさや果肉のすくなさにも驚かされますが、皮が薄くてむきづらそうでもあります。

アボカドはクスノキ科ワニナシ属の植物です。原産地は中南米でメキシコからコロンビアにかけて。栽培は数千年前からおこなわれていたとされます。その後、ほかのくだものとおなじく品種改良がされたり、あるいは突然変異が起きたりして、系統さらに種が分かれていきました。いまはおもにメキシコ系、西インド系、グアテマラ系という3つの系統に分かれており、さらにこれら系統間での交配種もあります。

日本の店でよく見られる、皮が黒くなっていく種は、グアテマラ系の「ハス」とよばれる種。米国の郵便局員ルドルフ・ハス(1892-1952)が育種したため、こうよばれています。新種開発をめぐる逸話についてはまたいつの日か。おもにメキシコから輸入されています。皮がごつごつとしており、ほかの種よりもむきやすいとされます。もっとも、いま市場に出ているアボカドはどれも野生種にくらべれば、皮ばなれしやすいでしょうが。


ハス種

野生種だったアボカドに人の手が加わって、皮をむきやすくなりました。いまのアボカドは品種改良の積みかさねであることに思いをめぐらせながら、料理をつくって食べると、また味わいも深まることでしょう。

参考資料
世界大百科事典第2版「アボカド」
https://kotobank.jp/word/アボカド-27030
ウィキペディア「アボカド」
https://ja.wikipedia.org/wiki/アボカド
糸満フルーツ園 けんちゃん「国産アボカド栽培者が,アボカドの系統や品種について徹底的に解説します!」
https://okinawan-avocado.com/2019/12/30/avocado_variety/
Avocados from Mexico「世界最高品質のメキシコ産アボカド」
https://www.avocadosfrommexico.jp/avocado-abc/mexican-avocado
Cook's Info “HASS AVOCADO”
https://www.cooksinfo.com/hass-avocado
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「槌」が過ぎたら「舞」の期間


新型コロナウイルス感染症「COVID-19」(COronaVirus Disease 2019)をめぐり、日本でも緊急事態宣言に見られる非日常的状況をいつ、どのように終わらせるかといった議論がされるようになってきました。

これまでも、耳なじみのないことばが大臣や知事などから出されてきました。あらたに口にされそうな出口戦略に「ハンマー・アンド・ダンス」があります。直訳すれば「槌と舞」です。

「槌と舞」は、フランスの著述家で、世界的な講演会テド(TED:Technology Entertainment Design)の発表者でもあるトマス・プエヨ(1982-)がブログなどで発信した考えかたです。

「槌」は、できるだけ早く感染が広まるのを止めるための行動といえます。槌で「がーん」と叩くようにウイルスの感染を抑えこむといったたとえです。プエヨは急激な感染拡大が見られたらすぐ、向こう3週から7週間、具体的につぎのようなことをすべきとしています。

 ・学ぶ(Learn)
 ・ウイルスの拡大を断つ(Cut virus growth)
 ・事実を理解する(Understand true cases)
 ・人材を募る(Recruit personnel)
 ・治療法の向上させる(Improve treatments)
 ・適切な検査と追跡をおこなう(Get proper testing & tracing)
 ・医療制度の負担を解く(Release healthcare system pressure)
 ・医療の容量と生産性を築く(Build healthcare capacity & production)
 ・対策の費用対効果を見極める(Understand cost-benefit of measures)

これらにより、感染が拡大していくような状況を、とにかくまず叩きおさえるというわけです。しかし、槌で叩くような制限された暮らしをずっとつづけるわけにもいきません。

そこで、ワクチンがつくられ使われはじめるまでのあいだ、人びとは「舞」の期間として過ごすことをプエヨは提案しています。ここでの「舞」とは、人びとが感染症やその影響と適度な関係を保って過ごすといったような意味です。具体的にはつぎのようなことをすべきとしています。

 ・実効再生産数1未満を保つ(Keep R below 1)
 ・適切な検査、接触追跡、検疫、隔離をおこなう(Proper testing, contact tracing, quarantining, isolating)
 ・衛生と社会的距離の啓蒙をする(Public education on hygiene and social distancing)
 ・大規模集会を禁じる(Ban large gathering)
 ・ほとんどの規制は離れる(Most restrictions removed)
 ・必要になれば引きしめる(Tighten up when needed)
 ・もっとも費用対効果のある社会的距離の対策を当てはめる(Apply highest cost-benefit social distancing measures)

1番目の「実効再生算数」は、1人の感染者から二次感染する人数の平均値のこと。Rは、“Reffective reproductive number”の頭文字です。一般的に実効再生算数が1を下まわっていれば、感染が拡大することは起きづらいとされます。プエヨは、とくにこの「実効再生産数1未満を保つ」が大切だとしています。

日本の政府や多くの自治体、また新型コロナウイルス感染症対策の専門家たちの多くも、表現はちがえども、基本的にはこの「槌と舞」の考えかたと一致しているようです。ワクチンが使われるまで、社会全体が「舞」をして過ごしながら、COVID-19を収束ないし制御下へと導いていこうと考えているのではないでしょうか。

トマス・プエヨが書いたブログ記事「Coronavirus: The Hammer and the Dance」は日本語でも翻訳されています。こちら。
https://medium.com/tomas-pueyo/コロナウィルス-ハンマー-と-ダンス-coronavirus-the-hammer-and-the-danceの翻訳-4ddf02e500cd

参考資料
Medium Coronavirus 2020年3月20日付 “Coronavirus: The Hammer and the Dance”
https://medium.com/@tomaspueyo/coronavirus-the-hammer-and-the-dance-be9337092b56
wikiherald 2020年3月13日付 “Who is TEDx Speaker: Everything You Need To Know About Tomas Pueyo”
https://wikiherald.com/tomas-pueyo-bio-wiki/
ニッポン放送 News Online 2020年5月7日付「感染症予防は『退却戦』 緩和と抑制の繰り返しを覚悟するべき」
https://news.1242.com/article/222965
デジタル大辞泉「実効再生産数」
https://dictionary.goo.ne.jp/word/実効再生産数/
| - | 23:58 | comments(0) | -
見えかたについても「定義」を示してから「命題」を示す――立体視への挑戦(9)

これまでの「立体視への挑戦」はこちら。

ギリシャの数学者ユークリッド(エウクレイデス)は紀元前300年ごろ、『原論』を著しました。この著書では、幾何学の論を展開するために、「定義」や「公理」といった「前提」になるものをわずかに示したうえで、それらから導きだせる「命題」を、証明とともに述べました。このような手法で幾何学についての論を展開することで、ユークリッドは幾何学を「体系化」しました。

ユークリッドは、おなじような手法を、ものの見えかたについて論じた著書『光学』でもおこないました。


1573年にイタリアで出版されたときの『光学』

『光学』では、ユークリッドはまず、7個の「定義」を示します。下記は、『エウクレイデス全集 第4巻』(斎藤憲・高橋憲一共著、東京大学出版会刊、2010年)からの引用です。
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定義

 1.〔以下のことが〕仮定されるとする。眼から外に引かれて描かれる直線は、膨大な大きさの距離を運ばれること。

 2. そして複数の視線によって囲まれる図形は、その頂点を眼に、またその底面を見られるものの縁に持つような円錐であること。

 3. そして、視線がそこに落ちるものは見えること、また視線がそこに落ちないものは見えないこと。

 4. そして、より大きな角によって見られるものはより大きく、またより小さな角によって〔見られるものは〕より小さく、また等しい角によって見られるものは等しく現れること。

 5. そして、より高い斜線によって見られるものはより高く、またより低い斜線によって〔見られるものは〕より低く現れること。

 6. また同様に、より右側の斜線によって見られるものはより右側に、またより左側の斜線によって〔見られるものは〕より左側に現れること。

 7. またより多くの角によって見られるものは、より鮮明に現れること。
_____

これらの「定義」のうち、1では視線が遠くまで達することを述べています。ユークリッドは、「人間の眼からなにかが出ていき、それが対象物に当たると見えるということが生じる」という立場の「流出説」をとっていましたが、まさに、「眼から外に引かれて描かれる直線」は、この説の立場をとった記述といえます。定義2以降も「流出説」を前提とした記述となっています。

なお、ユークリッドの『光学』には、複数の「版」といえる種類があり、べつの「Bの版」では、定義1は、「眼から〔出る〕視線どもは、互いにある隔たりを作る直線に沿って運ばれること」となっています。これは、たとえばコンピュータやスマートフォンの画面の左端に向かっている視線と、右端に向かっている視線とには「隔たり」がある、つまり視線という1本の線は離れている、ということを定めています。

2は、なにかまわりのものを見ている人を真上から捉えるような図を思いうかべると、わかりやすいかもしれません。眼から視野が「V」のように広がっているということです。実際は、空間のなかで人は生き、ものを見ているので、視線がつくるこの図形は「円錐」ということになるわけですが。

3の「視線がそこに落ちる」というのは、「対象物に視線がぶつかる」といった意味です。眼からの視線が、たとえば壁に「落ちる」(ぶつかる)と、その壁が「見える」わけです。いっぽう、空気のように透明なものは、視線が「落ちる」(ぶつかる)ことがないため「見えない」わけです。

4は、ふたたび「定義2」の「人を真上から捉える」図を思いうかべるとよいでしょう。たとえば、コンピュータやスマートフォンの画面の両端と、自分の眼とがなす角度が大きいと、その画面は大きく見えるわけです。

5は、今度は、なにかまわりのものを見ている人を真横から捉えるような図を思いうかべるとわかりやすいかもしれません。視線がより高いほうに向けられていれば、その視線がぶつかる対象物もより高いところに現れるというわけです。たとえば、空を飛ぶカラスのように。逆もまたおなじことがいえます。

6は、定義5の話を、直角に傾けたようなものです。視線がより右側に向けられていれば、その視線がぶつかる対象物もより右側に現れるというわけです。

7は、それまでの定義とすこし質の異なるものといえます。たとえば、コンピュータやスマートフォンの画面に示されている字や絵と、自分の眼とがなす「V」の角度がより大きいと、その絵は「鮮明」に現れるというわけです。画面に眼を近づければ、つまり「V」の角度が大きくなれば、画面の字や絵ははっきり見え、画面から眼を遠ざければ、画面の字や絵はぼやけて見えるという経験から、この定義も理解できるのではないでしょうか。

ユークリッドは、これら7つの「定義」を示したうえで、「命題」を示していきます。『光学』には、命題が57個ないし58個が出てきます。そのうち、この連載の主題である「立体視」や「遠近法」とかかわってくる命題は14個といえます。ここではまず1個目の命題を見てみます。ここでは、「ユークリッドがどのように論を展開しているか」が大切になります。
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1
見られるもののどれ1つとして、その全体は同時には見えない。



というのは、ある見られるものをADとし、また眼をBとし、そこから視線BA、BG、BK、BDが落ちているとする。さてすると、落ちる複数の視線は隔たりにおいて運ばれるから(Bでの定義1)、それらが連続的になってADの方へ落ちることにはならない。したがって、ADのところにも、視線が落ちない複数の隔たりが生ずることになる。ゆえに、全体ADは同時には見えないであろう。だが、視線が素早く移動するので、同時に見えると思われる〔ことになってしまうのである〕。
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もし、人が「点B」の眼から「点D」のところを見つめていれば、「点A」「点G」「点K」などのほかの点は同時には見えない、なぜなら「定義」にしたがうと視線の1本ずつには「隔たり」があるからだ、というわけです。感覚的には、「コンピュータ画面の中央に示されている字や点などを見つめていると、そのまわりに示されている字や点は、視線が向けられていないため見えない」といったことになるでしょう。いまの人は「視線を向けていないところの字や点もぼんやり見えているので、そうともいえないのでは」と考えるかもしれません。ユークリッドは「同時には見えない」と考えたということです。つづく。

参考資料
斎藤憲・高橋憲一共著『エウクレイデス全集 第4巻』
https://www.amazon.co.jp/dp/4130653040

| - | 17:39 | comments(0) | -
こっちを抑えればあっちが膨らむ

新型コロナウイルス感染症「COVID-19」(COronaVirus Disease 2019)の拡大を防ぐため、人びとにこれまでとは異なる日々の過ごしかたが強いられています。多くの人びとにとってその最たるものは、「不要不急の外出をしない」ということではないでしょうか。

多くの人は政府の要請に協力的です。大型連休中の観光地への人出は、1年前とくらべておおむね7割から8割も減ったといいます。

しかし、人びとの行動に大きな変化があるときは、どこかしらにその影響や反動が生まれるものかもしれません。

たとえば、観光地への外出はしないかわりに、地元の公園で過ごしたり、スーパーマーケットで食料を買ったりする人たちの数は、従来よりも増えているのではないでしょうか。



「ぷちぷち」ともよばれる気泡緩衝材で、たまに、ひとつの気泡を押すと、なぜかとなりの気泡がふくらむようなことが起きます。どこかを押さえこもうとすると、その圧力がべつのどこかに移る。それとおなじようなことが、社会でも起きるものかもしれません。

しかし、その新たに膨れたところをさらに抑えこもうとする求めも行政から出てきます。自治体の長たちは、公園で過ごす人が増えたのを気にかけて「公園でも人と人の距離をあけて」と言い、スーパーマーケットに買いだしに行く人が増えたのを気にかけて「食料は3日分をまとめて買うようにして」と言います。

この要請に対しても、公園で過ごしていた人びとのなかには「穴場」のようなほかの広い場所を求めて移る人もいるでしょうし、スーパーマーケットに毎日のように行っていた人びとのなかには買いこみをする人もいるでしょう。すると、普段は混むようなこともないところに人出が生じたり、棚から食料品がなくなったりといったことが起きえます。

人びとがふだんとっていた行動をとらせないようにするということは、よほどの強制力をもっておこなわないかぎり、「その行動のみをさせない」ということにはならないのでしょう。

参考資料
産経新聞 2020年5月7日付「大型連休中の人出『おおむね7〜8割減』 菅氏が国民の協力に謝意」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200507-00000517-san-pol

| - | 23:59 | comments(0) | -
「がんだれ」に曲線の謎のこる
日本では小学4年生で、割り算の筆算を学びます。筆算のしかたを覚えれば、「2051 ÷ 43」といったわりと大きな数の割り算もかんたんにすることができます。



ところで、割り算の筆算で、割られる数の上側と左側に書く線はなんというのでしょう。

この線には、きちんとしたよび名はつけられていないというのが定説としてあるようです。しかし、よび名がないというのも、会話などのときには不便なものです。そこで、漢字の部首の「厂(がんだれ)」ににていることから、「がんだれ」や「がんだれ記号」などとよんでいる場合もあるようです。

日本では「がんだれ」を使って、割り算の筆算をするのはあたりまえですが、割り算の筆算のしかたは国により異なり、「がんだれ」を使わずに計算をする国もあるようです。たとえば、ドイツでは、割られる数の右に「:(コロン)」を書き、その右側に割る数を書きます。

謎もあります。「がんだれ」の左側に、上から下にかけて伸びている線は、どうして曲線なのでしょうか。記号でいうと、「丸かっことじ」などとよばれる「 )」とほぼおなじです。

根号「√」については、英語で「平方根」を意味する“root”の“r”をもとにしたのではないか、また、上の屋根をフランスの数学者ルネ・デカルト(1596-1650)がつけたものものであるといったことがいわれています。このブログの2020年5月30日付の記事「『雨の慕情』の振りつけと根号のかたちの一致は偶然」でも記しています。

世界的には、「がんだれ」の上から下への線は、かならず曲線というわけでもないようです。日本で学ぶ、数を下へおろしていく割り算の筆算を、英語では“long divison”といいます。“long divison”をグーグルの画像検索にかけると、「 Γ」のように、上から下への線を直線で表している筆算も見られます。


[long division]のグーグル画像検索結果

日本でも戦前、「 Γ」のように上から下への線をまっすぐに書き、しかも割られる数の行だけでなく、その下まで2行分に伸ばしていたという話もあります。

ただし、1938(昭和17)年の『尋四新算術指導精義 上』という教育書には、いまの「がんだれ」とおなじように、上から下への線を曲げて書いているのも見られます。戦前にも変遷があった可能性がうかがえます。


『尋四新算術指導精義 上』(池松良雄著、モナス刊)に記されている割り算の筆算
所蔵:国立国会図書館

線を引くとき、多くの人は曲線でなく直線を引くでしょう。割り算の筆算で、上から下への線を曲線で書けば、「ここに書いているのは割り算の筆算である」ということはより伝わりやすくはなります。ほかのなにかの記述とまちがわれるおそれが低くなるわけです。そうした点では実用的ではあります。

先生が教えることを純粋な心で吸いとる子どもたちは、「なぜ曲線なの」「なんの意味があるの」といったことを考えることもなく、筆算のしかたを学ぶことでしょう。

参考資料
入澤勝利ら「割り算の筆算 筆算を自ら作っていく中で、割り算の筆算のしくみについて考える」
http://www.rs.tottori-u.ac.jp/mathedu/mt/xue_sheng_zuo_pin_files/2008a_division.pdf
朝日新聞 花まる先生公開授業 2010年5月24日付「青森・弘前大学教育学部付属小学校 種市(たねいち)芳丈さん 外国のわり算に学ぶ」
http://www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY201005230142.html
さくら社 2018年5月19日付「戦前のわり算の筆算」
https://www.sakura-sha.jp/blog/senzennno_sansuu/
池松良雄『尋四新算術指導精義 上』
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454126
| - | 20:33 | comments(0) | -
生活様式の変更を技術が後おし


厚生労働省は(2020年)5月4日(月)、新型コロナウイルス感染症(COVID-19:COronaVirus Disease 2019)の専門家会議からの提言をふまえ、「新しい生活様式」の実践例を示しました。

「人との間隔は、できるだけ2メートル空ける」や「手洗いは30秒程度かけて水と石鹸で丁寧に洗う」など、これまでも行政が専門家の意見をふまえて人びとにお願いしてきた内容も見られます。

いっぽうで、「どれぐらい実践できるのだろうか」と多くの人が思うであろう実践例も見られ、話題にもなっています。とくに食事についてのものは「屋外空間で気持ちよく」「対面でなく横並びで座ろう」「料理に集中、おしゃべりは控えめに」といった、これまでの食事のありかたと大きく異なる例がならんでいます。

人びとがこれらを忠実に実践すると、店や家の外に横並びの座席を並べて座り、黙々と食べることに集中している姿があちこちで見られるようになるかもしれません。

そこまで生活様式を変えることが現実的かはさておき、飲食店などでいわゆる社会的距離を保つことが、感染が広がるのを抑えるために求められつづけるでしょう。すくなくともワクチンや治療法が人びとに広がるまでは。

飲食店での社会的距離をいかにうまく保つか。この課題に技術で応えようとするサービスがさっそく現われはじめました。

新興企業のバカンがきょう5月8日(金)「日本初 飲食店内の社会的距離を考慮した空席情報をリアルタイム配信可能に」という発表をしました。

バカンは2016年創業の会社で、これまでも店に入らずに空席かどうかなどの情報をスマートフォンや店外電子表示板などで知ることのできる「VACAN」というサービスをおこなってきました。このブログでも(2020年)1月16日にとりあげています。

このたびの発表によると、あらたに「社会的距離を考慮した空席情報」を人工知能を用いて配信するといいます。発表には書かれていませんが、従来からのカメラやセンサで得たデータを用いて、「客と客の距離が保たれているか」についても人工知能が判断するのでしょう。

また、客が行列をつくらずに済むよう、ウェブ上で客の待ち順を管理する「VACAN Noline」というサービスも飲食店に提供するとのこと。

きょう8日(木)から加盟店の一般募集をはじめ、店を使う人びとはこれらの情報を5月末からウェブ地図上で見られるようにするとしています。

生活様式が大きく変わるのは、人びとが必要性に迫られたとき。人びとが生活様式を変えていくのを技術が後おしすることで、変わったあとの生活様式はすこしずつあたりまえのものになっていくのでしょう。こういう技術が使われだすということは、人びとの生活様式がまったくの元どおりになることはないことを意味します。

参考資料
厚生労働省 2020年5月4日発表「新型コロナウイルスを想定した『新しい生活様式』を公表しました」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_newlifestyle.html
バカン 2020年5月8日発表「日本初 飲食店内の社会的距離を考慮した空席情報をリアルタイム配信可能に お店のリアルタイム混雑状況がわかる『VACAN』 AI・IoTによる社会的距離を考慮した空席判定を実現」
https://www.vacancorp.com/blog/vacan-sd-r
| - | 18:33 | comments(0) | -
言語学的には“Mickey Mice”か“Mickey Mouses”、ディズニー的には……


ネズミは、1匹いるのを見かけたら、その近くに10匹はいるなどといわれます。ネズミは英語では“mouse”であり、複数形は“mouse”でなく“mice”となるので、1匹なら“a mouse”ですが、10匹だと“ten mice”となります。

では「ミッキーマウス(Mickey Mouse)」の複数形はどうなるのでしょうか。

この問題を、英語学者の安井稔(1921-2016)が「絶対複数と絶対単数について」という特別記事のなかで、真剣に議論しています。

安井は、“workman”のように“work”と“man”からなる複合語について、複数形にするときは“workmen”でよいと伝えます。しかし、“Mickey Mouse”のように商標化された複合語を複数形で表すときは、「事情が変わってくる」と述べます。

そして、“Mickey Mouse”の場合は、“Mickey Mice”と“Mickey Mouses”の二つが考えられるとします。ただし、どちらかというと“Mickey Mouses”のほうに思いが入っていることが、つぎの論からうかがえます。
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Mickey Mousesという形に賛成という立場を取る人々の間には Mickey Mouse が登録商標化され、固有名詞化された瞬間、その内部に屈折変化などを許さない独立の単一系として存在するに至っているという感じがあるものと思われる。Mickey Mice は形の上では確かに Mickey Mouse の複数形であるが、もはや「ミッキーマウス」ではなくなっているということである。
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つまり、「ミッキーマウス(Mickey Mouse)」という2語でひとつの固有の存在となっているからには、「“Mouse”を複数形にする」と考えるのでなく、「“Mickey Mouse”を複数形にする」と考えをとり、“Mickey Mouses”とすべきと思う人たちの立場にやや傾いているようです。

インターネットでは、“Mickey Mouse”の複数形をどう表しているのでしょう。

グーグルの英語検索では、“Mickey Mice”では16万6000件が検索されたのに対し、“Mickey Mouses”では10万3000件でした。“Mickey Mice”のほうがやや多く使われているようです。

どちらについても、「ミッキーマウス」をあえて複数形で表す事情がある場合もあるようです。たとえば「Mickey Mice」という題の動画では、20体ほどのミッキーマウスが現れるため、あえて“Mickey Mice”にしたのでしょう。また、ミッキーマウスの顔の柄が20個以上あしらわれている靴下の商品名は「Mickey Mouses Socks」となっています。

こうした話は、あくまで実用するうえで特例的なことばの使いかたも生じうる言語学的なものといえます。

では、ミッキーマウスの母体ともいえるディズニー的にはどうでしょうか。

ディズニーの公式サイトで検索したところ、、“Mickey Mice”と“Mickey Mouses”のどちらも、該当する結果は出てきませんでした。ただし、“Mice”だけで検索すると、「シンデレラ・オリジナル・サウンドトラック」が該当します。このアルバムのなかの“A Dream is a Wish Your Heart Makes”という楽曲で、“Mices”つまり複数のネズミたちが合唱していることがわかります。

“Mice”ということばを使っていることから、ディズニーは「世界にネズミは複数匹いる」という認識はありそうです。そのいっぽう、ミッキーマウスについては「世界に1匹しかいない」という見解も「複数匹いる」という見解を示していないようです。ただし「複数匹いる」ということを公的に認める立場ではないことが、“Mickey Mice”や“Mickey Mouses”が検索されないことからうかがい知れます。

なお、一般の人たちからは、13時59分に園内のトゥモローランドにいたミッキーが、14時に200メートル以上離れたアドベンチャーランドにいたという情報や、2011年の東日本大震災のとき福島、伊達、二本松の避難所4か所を同日に訪問していたという情報があがるなどしています。とはいえ、これらの情報もことごとく「ミッキーマウスを同時に複数匹、見た」というところまでは至っていません。

「ミッキーマウスは、すくなくとも瞬間移動する能力はもっているようだ」と考えられています。

参考資料
安井稔「絶対複数と絶対単数について」
http://www.kenkyusha.co.jp/uploads/03_webeigo/webeigo/prt/12/eigoseinen13011.pdf
秒刊Sunday 2015年3月15日付「ディズニーランド内に「ミッキー」は本当に一人なのか実際に調べてきた」
https://yukawanet.com/archives/4837593.html
ロケットニュース24 2011年5月10日付「ミッキーが福島・伊達・二本松の避難所4カ所を同日訪問 / ネットで『ミッキーは何匹いるんだ?』と議論に」
https://www.excite.co.jp/news/article/Rocketnews24_94693/
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「伐採」よりも「放置」が問題に
地球環境問題について伝える公共的な放送広告に、「物語が変わる前に」というものがあります。

桃太郎はあまりの暑さに桃を飛びだして川を泳いでいってしまい、かぐや姫は森林伐採で竹を見つけられず、人魚姫はゴミが邪魔して地上に上がれなくなるというものです。15秒のあいだに、温暖化、森林伐採、ゴミ増加という問題をまとめて伝える内容となっています。

森林伐採の題材に扱われている「竹」をめぐる現状は、どういったものでしょうか。

日本で見られる竹の代表種モウソウチクは江戸時代に中国から伝わってきた外来種です。江戸などの街にも植えられ、明治時代にかけて全国に広まりました。

しかし、大正時代に都市部の人口増や、関東大震災後の宅地化などにより、モウソウチクの竹林はすくなくとも都市部からは姿を消していきました。このときはまさに森林伐採が起きていたことでしょう。

ところが、モウソウチクの繁殖力はとても高いため、森林部では人が放置すると、どんどんまわりの植物を侵食し、広がっていきます。昭和の後期になると、中国産のタケノコの水煮缶詰が大量に輸入されるなどして、竹林の需要が減り、放置が進みました。そのため、モウソウチク、さらにマダケはハチクなどのほかの種もふくめ、竹の分布は全国的には広がっていきました。

現状では、森林伐採とはべつの問題として、竹林がどんどん広がっていくために森林の姿が変わってしまう「竹害」が生じているとされます。生態系の多様性が崩れたり、景観が悪くなったりしています。



なお、この放送広告での「かぐや姫」の登場時間は3秒ほど。「かぐや姫は森林伐採で竹を見つけられず」という語りのあとに「どこ」と、竹を見つけられないでいるようすです。竹のなかにいるところを翁に見つけられるというのが『竹取物語』でよく伝えられるところなので、すでに物語が変わっている可能性があります。

参考資料
日本民間放送連盟「地球環境問題啓発スポットの放送」
https://www.j-ba.or.jp/category/aboutus/jba101980
JBpress 2018年4月13日付「和食で人気の筍、意外と新しかった日本への伝来」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52827
鳥居厚志・奥田史郎「タケは里山の厄介者か?」
https://www.forestry.jp/publish/ForSci/BackNo/sk58/58.pdf
小倉城 竹あかり「北九州の放置竹林について」
http://kokurajotakeakari.com/bamboo/
石川県林業試験場「モウソウチク林の駆除と森林化」
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/ringyo/publish/documents/mousoutiku-1.pdf
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曲で、侯爵に気づかせ、客を笑わせ、客をたたき起こす

多くの人にとって、クラシック音楽の作曲家を知る機会は、学校での音楽の教科書や授業かもしれません。しかも、なぜか筆記での試験があって、曲を聴くこともなしに教科書にある知識を詰めこんでいくだけかもしれません。「バロックはバッハ。古典派はハイドン」といった具合に。

そうなるとクラシックの作曲家は、たんなる“記号”でしかなくなってしまいます。しかし、踏みこんでその人物の逸話に触れたり、逸話にちなんだ曲を聴いたりすると“人物”が立ちあがってきて、より魅力的に映るものです。


フランツ・ヨーゼフ・ハイドン

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)は、現代社会でいうところの「おもろいおじさん」だったのかもしれません。人間味ある逸話がいくつかあり、それが曲でも表現されています。

1772年の作品「交響曲第45番」は、「早く妻のもとへ帰りたい」と望む楽団員たちのためにつくったとされます。

ハイドンと彼が率いる楽団が仕えていたエステルハージ家のニコラウス・ヨーゼフ・エステルハージ(1714-1790)は1766年、本拠地のアイゼンシュタットとはべつに、避暑地に離宮を建てました。ニコラウスはこの離宮を気に入っていたらしく、毎夏、ハイドンや楽団を引きつれて過ごすのでした。

しかし、経費削減のため、楽団員の妻たちは地元に残されたまま。楽団員たちはいわゆる「単身赴任」を余儀なくされていました。

そんな折、ニコラウスは突然「避暑を2か月のばすから」と延長宣言しました。早く妻のもとへ帰りたいと望んでいた楽団員たちは、これにがっくり……。

そんな楽団員たちの気もちを慮って、ハイドンは曲の終盤にこんなしかけをしました。演奏者たちがそれぞれ担当の演奏を終えると、ろうそくの火を決して、舞台から去っていくのです。最後まで舞台で演奏をつづけたのは、第一バイオリンの首席奏者とハイドンの2人のみでした。

この演出でなにを伝えたいのか察知したニコラウスは、さっそく翌日、宮廷を離宮から、楽団員の妻たちのいるアイゼンシュタットへと戻したといいます。

この逸話から「交響曲第45番」には「告別」の愛称がついています。

1871年の作品「弦楽四重奏曲第38番」は、終わり方にひとくせもふたくせもつけています。

弦楽四重奏曲は、バイオリン2人、ビオラ1人、チェロ1人の編成による演奏形式で、ハイドンが完成させました。この曲は、1796年にロシア皇帝となるパーヴェル・ペトロヴィッチのためにつくった6曲のうちの1曲です。

最後の第4楽章の最後は、「これで曲が終わり」と思わせたら、まだ終わりません。まだ終わりません。バイオリン奏者がほんのわずかな音で演奏をねばちっこくつづけます。

茶目っ気のある曲の終わらせかたから、この「弦楽四重奏曲第38番」には「冗談」の愛称がついています。

1791年に作曲した「交響曲第94番」には、ハイドンは居眠りする聴衆をたたき起こすためのしかけを入れました。

ハイドンは、1791年から1792年にかけて英国に渡り、ロンドンで演奏をして過ごします。ロンドン公演は大盛況だったといいます。ところが、聴衆のなかには居眠りする人も見られ、ハイドンは「どうにかしてやろう」と考えていたようです。

その方法としてハイドンが編みだしたのが、曲の途中で大音響を起こすというものでした。第2楽章を、小さすぎるほどの音量で演奏で始めます。ところが、突如して全奏者による大音量による演奏を瞬間的におこない、聴衆に不意打ちを喰らわせます。

記者たちを通じて苦言を呈するようなことはせず、作曲でもってマナーのよくない聴衆を見事にたたき起こすことにハイドンは成功しました。

聴衆をびっくりさせる演奏が入っていることから、この「交響曲第94番」には「驚愕」の愛称がついています。

それぞれの曲は、ユーチューブで鑑賞することができます。「交響曲第45番『告別』」で、楽団員が舞台を去っていくのはこのあたりから。「弦楽四重奏曲第38番『冗談』」で、曲がなかなか終わらないのはこのあたりから。「交響曲第94番『驚愕』」で、居眠りしている聴衆を起こすためにしかけるのはこのあたりから。くれぐれも大音量にご注意ください。

これらの逸話を経てハイドンの肖像画をあらためて見つめると、「おもろい」と思うことに情熱を捧げるおじさんの顔に見えてきます。


あらためて、ハイドン

参考資料
松田亜有子『ビジネスに聴く世界の教養 クラシック名曲全史』
https://www.amazon.co.jp/dp/4478109214
NHK らららクラシック「大好き! オーケストラ シンフォニー誕生物語」
https://www.nhk.or.jp/lalala/archive160723.html
Musica Classica 2018年8月24日付「ハイドン『交響曲第45番(告別)』の解説と名盤」
https://tsvocalschool.com/classic/haydn-symphonie45/
ウィキペディア「交響曲第45番(ハイドン)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/交響曲第45番_(ハイドン)
ウィキペディア「交響曲第94番(ハイドン)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/交響曲第94番_(ハイドン)
Classica Japan「ハイドンの交響曲の魅力」
https://www.classica-jp.com/feature/201602/03.html

| - | 23:58 | comments(0) | -
わずかな前提から、幾何学の全命題を証明する――立体視への挑戦(8)

これまでの「立体視への挑戦」はこちら。


ラファエロ画「アテナイの学堂」におけるユークリッド

ギリシャの数学者ユークリッド(エウクレイデス)は、ギリシャの哲学者プロクロス(410-485)の記述によると、紀元前300年ごろ生きていたようです。

そのころのギリシャには、「ものの見えかた」には、「見ている対象の物体から眼に向かって映像が入ってくる」という立場の「流入説」と、「人間の眼からなにかが出ていき、それが対象物に当たると見えるということが生じる」という立場の「流出説」がありました。

ユークリッドは後者の「流出説」を代表する人物として知られています。しかも、純然たる「流出説」の立場をとった人物だったと。

そのことは、「ものの見えかた」を論じたユークリッドの著書のひとつで『光学』の記述を見ればわかります。

ここでは『光学』の内容を見る前段として、『光学』にも述べかたが色濃く反映されている、ユークリッドの代表著作『幾何学原論』を見てみます。幾何学へのまなざしと論の立てかたが、『光学』の記述の礎としてうかがえるからです。

幾何学は、図形や図形の占める空間の性質について研究する数学の分野のひとつです。「図についての数学」といってもいいでしょう。ギリシャで生きたユークリッドは、幾何学の創始者ではありません。古代エジプトにおいて、測量のために必要な知識として幾何学は生まれたとされています。それでもユークリッドが「幾何学の父」と後世にわたり評されてきたのは、それまでの幾何学の知識を著書『原論』で「体系化」したからにほかなりません。

「体系」とは、一定の原理にもとづいてつくられ、内的整合性をもたせた命題、つまり意味のある文の集合のこと。よりかんたんにいうと、矛盾なきようまとめられたものごと全体をさします。ユークリッドは、それまでの先人が築いてきた幾何学のさまざまな知識をまとめあげました。つまり幾何学を体系化したわけです。彼の功績は、20世紀の初頭に至るまで、著書とされる『原論』が数学の教科書として使われていたことからもうかがい知れます。

では、『原論』でユークリッドはどのように幾何学を体系化したのでしょうか。

『原論』には、いくつもの文と図による記述が出てきます。それらの記述に対して、「それがなにであるのか」を指す、いくつかのことばが出てきます。

「定義」。使うことばや考えを明確に限定したもの。たとえば、ユークリッドは「点は部分をもたないものである」と定義しました。『原論』では、これが「点」のことであると定めたのです。ほかにも『原論』には定義として「線には幅はなく、長さがある」「線の端は点である」「直線とは点がまっすぐに並んだ線である」といったように、定義を並べています。『原論』は全13巻からなりますが、定義はあわせて132個あります。

「公準」。理論の前提として仮定する記述のこと。「これを疑ったらなにも始まらない」というほどの、真であることを証明する必要までもない自明のことがらを記述します。これはいまでは「公理」とよばれますが、ユークリッドはとくに幾何学的な内容をもつ公理を「公準」あるいは「要請」とよんで、幾何学的でない公理と区別しました。『原論』では、つぎの5個の「公準」を定めています。

 1. 任意の点から任意の点へ直線を引くこと。
 2. 任意の直線を連続して延ばすこと。
 3. 任意の中心と任意の半径の円を描くこと。
 4. すべての直角はたがいに等しいこと。
 5. ふたつの直線と交わる直線のおなじ側の内角の和が二直角より小さいならば、
   ふたつの直線をおなじ側に伸ばしていけばいつかは交わること。

「公理」。上で伝えたとおり、理論の前提として仮定する記述のうち、幾何学的ではない記述のこと。『原論』では、9個の公理が掲げられていますが、うち4個はほかの公理から導けるため、最低限つぎの5個の「公理」で済むとされています。

 1. おなじものに等しいものはたがいに等しい。
 2. 等しいものに等しいものを加えた和はたがいに等しい。
 3. 等しいものから等しいものを引いた差はたがいに等しい。
 4. たがいに重なりあうものはたがいに等しい。
 5. 全体は部分より大きい。

「命題」。真偽の判断の対象となる記述のこと。定義、公準や公理をもとにすれば記述できるものが命題であると捉えられています。ここでは、最初に出てくる「命題 I-1」を例としてあげてみます。

 命題 I-1. あたえられた直線を一辺とする正三角形を作図すること。

この命題について、ユークリッドは図と説明文を使って、「この命題は真である」ということを証明していきます。つぎのように。
_____


『原論』「命題 I-1」より

 ABをあたえられた直線とする。

 このとき、ABを一辺とする正三角形を作図することが求められている。

 Aを中心とし、ABを半径とする円BCDを描く(公準3)。つぎに、Bを中心とし、BAを半径とする円ACEを描く(公準3)。そして二つの円の交点CとAとBを結ぶ直線CAとCBを描く(公準1)。

 点Aは円CDBの中心であるから、ACはABと等しい。また、点Bは円CAEの中心であるから、BCとBAは等しい。CAはABと等しかったから、CAとCBはともにABと等しい。おなじものに等しいものはたがいに等しかったから(公理1)、CAはCBに等しく、CA、AB、BCの三辺はすべてたがいに等しい。

 ゆえに、三角形ABCは正三角形であり、あたえられた直線ABから作図されたものである。
_____

ユークリッドのもとで幾何学を学びはじめた人物が、「こんなことを勉強してなんの利益があるのか」とユークリッドに尋ねたという伝えがあります。その尋ねが起きたのは、その人物がこの「命題 I-1」を学んだときのことだったといいます。これに対してユークリッドは近くにいた奴隷をよび、こう伝えたといいます。「あの男は勉強したからにはどうしても金もうけがしたいらしいから、3オボルスをあたえてくれ」と。オボルスは古代ギリシャの通貨単位です。

現代においても、「こんなことを勉強してなんの利益があるのか」と感じる人はいるかもしれません。

しかし、ごく少数の定義と公準と公理を使いさえすれば、こうした命題に対する証明をしていくことができます。「命題 I-1」は、『原論』このさき展開される全465個の命題の、まさに第一歩にすぎません。

このようにしてユークリッドは、その時点で知られていた幾何学をはじめとする数学のすべての知識を、定義、公準、公理というごくわずかな前提をもとにして表したのです。それこそがユークリッドの『原論』です。

ユークリッドの『原論』の写本断片。第2巻「命題 II-5」にあたる。エジプトのオクシリンコスで発見された

そしてユークリッドは、この『原論』で用いた「わずかな前提から論を展開する」という手法を、「ものの見えかた」について論じた著書『光学』でも使ったのです。つづく。

参考資料
ブリタニカ国際大百科事典「プロクロス」
https://kotobank.jp/word/プロクロス-127917
日本大百科全書「ユークリッド」
https://kotobank.jp/word/ユークリッド-145036
ウィキペディア「エウクレイデス」
https://ja.wikipedia.org/wiki/エウクレイデス
ブリタニカ国際大百科事典「公準」
https://kotobank.jp/word/公準-62268
デジタル大辞泉「命題」
https://kotobank.jp/word/命題-141120
ウィキペディア「ユークリッド原論」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ユークリッド原論
林知宏「ユークリッド『原論』,証明学問の成立」
https://ci.nii.ac.jp/naid/110007712745
pisan-dub.jp「ユークリッド原論」
https://pisan-dub.jp/doc/2011/20110205001/index.html

| - | 17:53 | comments(0) | -
国防総省による航空現象「未確認」というよりは「未識別」

国防総省が公開した「未確認航空現象」の映像

米国の国防総省が(2020年)4月27日(月)「歴史的な海軍映像の公開についての国防総省の見解」という発表をしたことが話題になっています。

日本では「“UFO映像” 米国防総省が公開 “物体が何かは不明”」(NHK)、「米軍がUFO撮影に成功? 過去2回の『謎の現象』映像公開」(毎日新聞)といった見だしで、この発表について伝えられています。

国防総省の見解はどういったものでしょう。声明文でつぎのことを伝えています。
_____

国防総省は、2004年11月に1本、また2015年1月に2本撮影され、機密扱いが解かれている海軍映像を公開する。これらの映像は2007年と2018年にパブリックドメインとなっている。米国海軍は以前より、これらの出まわっている映像は、海軍によるものであることを知らせてきた。綿密な検証を経て、当省はこれらの機密扱いが解かれている映像の公開は、機密的な軍事力やシステムを披瀝することにはならず、また未確認航空現象により軍事空域侵略の継続調査に影響をあたえるものではないと判断している。国防総省は、出まわっている映像が真実であるかどうかについて、また、映像に意味があるかどうかについての、人びとの誤解を解消するため映像を公開するものである。映像に見られる航空現象は、いまも「未確認」である。映像は海軍航空システム司令部の情報公開閲覧室(www.navair.navy.mil/foia/documents)で見ることができる。
_____

日本では「UFO」はよく知られた略語です。UFOは“Unidentified Flying Object”の頭文字をとったもので「未確認飛行物体」と訳されます。

いっぽう、国防総省は“UFO”や“Unidentified Flying Objects”ということばを使わず、声明文で、“unidentified aerial phenomena”ということばを使っています。これは直訳すれば「未確認航空現象」となるでしょう。

「飛行物体」とせず「航空現象」としている点は注目に値するのではないでしょうか。映像に見られる影が「物体」であるとは言わず、映像に影が見られることを「現象」と捉えていることと暗に示しているわけです。より穏便に伝えようとする姿勢がうかがえます。

なお、“Unidentified Aerial Phenomena”の頭文字をとった「UAP」も、英語では通じていることばです。

「物体」であれ「現象」であれ、国防総省は「未確認」(Unidentified)としているわけです。「未確認」の現象を、映像として公開するというのは奇異にも思われます。「なにかが映っている」ということを声明まで出して認めているわけですから。

ただ、ここでの「未確認」というのは「未識別」つまり「正体を識別できない」といった意味で捉えるべきでしょう。

国防総省は、この映像公開が機密を披瀝するものにも、軍事的な影響をあたえるものにもならないと評価しています。今後、国防総省そのものがこの「未確認航空現象」の正体を解明する可能性は低そうです。

参考資料
NHK NewsWeb 2020年4月28日付「“UFO映像” 米国防総省が公開 “物体が何かは不明”」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200428/k10012408331000.html
毎日新聞 2020年4月28日付「米軍がUFO撮影に成功? 過去2回の『謎の現象』映像公開」
https://mainichi.jp/articles/20200428/k00/00m/030/019000c
| - | 22:43 | comments(0) | -
「向こう側」の物語だけでなく、「こちら側」の心配な情報も入り……


写真作者:haru__q

新型コロナウイルス感染症「COVID-19」(COronaVirus Disease 2019)の影響で、放送局はテレビの連続ドラマを収録できなくなっているといいます。民間放送では、第1話分から過去のドラマの実質上の再放送をしているところもあります。

NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」も、ついに放送できる回が尽きてしまいそうです。(2020年)6月14日放送以降の分の撮影が済んでおらず、NHKは放送を中断することを大筋で決めたと伝えられています。

ドラマは、視る人たちにとって、現実生活とはべつの時間や世界が展開される番組です。歌番組やドキュメンタリー番組などのほかの番組でもそのことはいえます。しかし、脚本家が脚本をつくり、俳優が演じることでなりたつドラマの創作度は高く、視る人たちにとって現実生活との乖離性の高い番組といえます。

頭の切りかえの上手な人は、ドラマの放送時刻になれば、ドラマの世界にすっと入りこんで、夢中になったり没入したりできるのでしょう。

しかし、視る人のなかには「もうすぐ撮影が尽きてしまうんだろうな」とか「役者も監督もこれからが不安ななかで撮ってるんだろうな」とか、いろいろな邪念が入ってしまい、ドラマに入っていきづらいという人もいるかもしれません。

もちろん、つくる側の人たちは、そういうことを感じさせないほどの魅力的なドラマをつくろうと最善を尽くしていることでしょう。しかし、視る側の人たちは「大河『麒麟がくる』6月に放送中断」といった記事に触れると、そうした邪念がどうしても入ってくるものです。

ドラマで放送されている物語そのものは、現実生活の「向こう側」にあるものです。いっぽうで、撮影できないとか、放送中断の決断に迫られているといったドラマづくりをめぐる情報は、現実生活の「こちら側」にあるものです。

かつてのドラマは、放送時間における物語にもっぱら比重が置かれていたといえます。「ドラマづくりをめぐる情報」を伝えたり受けたりする機会は、そう多くなかったからです。

しかし、インターネットで情報があふれるようになってからは、ドラマは「向こう側」の物語そのものに加え、役者の身辺、脚本の経緯、ロケーション地の選定、撮影の進捗状況といった「こちら側」のドラマをめぐる情報も多く伝えられるようになりました。「ドラマづくりをめぐる情報もふくめドラマなのだ」と感じている人も増えているのではないでしょうか。

「ドラマの撮影ができていない」というドラマをめぐる情報は、ドラマの物語を純粋に味わえる人や、そうした事情も含めてドラマを応援している人でないと、やはり「入ってこないほうがよい情報」となるのではないでしょうか。

ドラマづくりをめぐる心配な情報が入ることなく、ドラマの放送時間になったらだれもがすっと物語に入っていける……。そうした状況こそ、つくる側にも視る側にも理想的であるにちがいありません。しかし、そうした理想が実現しづらくなる事態が、いま起きているわけです。

| - | 22:46 | comments(0) | -
「徹底」は象の川の渡りかたから
おととい(2020年)4月29日(水)のこのブログの記事「『絶対に』では危険すぎるし『できるかぎり』では効果がかぎられる」は、人によびかけをするときの「徹底」ということばのもつ適切さや効果を伝えるものでした。

「徹底(てってい)」の語感や響きから、多くの人はこのことばに「非常に強い意志をもって」とか「貫きとおして」といった印象を抱くのではないでしょうか。「徹底」が「へっへい」や「めっめい」であれば、どこかふにゃふにゃしていて「徹底」という感じになりません。

では、なぜ「徹底」は「徹底」なのでしょうか。

「徹底」は仏教用語のひとつとされます。大乗仏教の経典のひとつで、インド出身の僧だった曇無讖(どんむしん、385-433)が漢訳した「優婆塞戒経」というお経にある「三獣渡河(さんじゅうとが)」という故事からきているといいます。

兎と馬と象が、川を渡ろうとしています。兎は水のうえを泳ぐようにして渡ります。馬は首を出して足が水底につくかつかないかしながら渡ります。そして象は、足が水底にしっかりつくようにしながら渡ります。


写真作者:Joanne Goldby

これら兎と馬と象それぞれの川の渡りかたは、悟りの世界に入るための3種類の実践方法をたとえたもの。兎の川の渡りかたは、仏の声に導かれて自分だけが悟りに入ることをたとえたもので、この実践方法を「声聞乗(しょうもんじょう)」といいます。馬の川の渡りかたは、ひとりで悟りを開こうとするのをたとえたもので、これを「縁覚乗(えんがくじょう)」といいます。そして象の川の渡りかたは、みずからのためだけでなくあらゆる人の悟りのために修行しようとするのをたとえたもので、これを「菩薩乗(ぼさつじょう)」といいます。

つまり、兎の川の渡りかたが方法としてはもっとも下位で、象の川の渡りかたがもっとも上位だというわけです。

象の足が水の「底」まで「徹」する、つまりしっかり達するということで、象の川の渡りかたを「徹底」と表現するようになりました。

「徹底した外出自粛」とか「徹底した手洗い」とか、徹底したなにかをするときは、象が川を渡るときのようすを思いうかべると、意識が高まるかもしれません。

参考資料
精選版日本国語大辞典「優婆塞戒経」
https://kotobank.jp/word/優婆塞戒経-2011705
精選版日本国語大辞典「三獣渡河」
https://kotobank.jp/word/三獣渡河-513695
世界大百科事典第2版「三乗」
https://kotobank.jp/word/三乗-70827
禅の視点 Life 2016年10月11日付「『「徹底」って仏教の言葉だったの? 身近な仏教用語」
https://www.zen-essay.com/entry/tettei
| - | 13:35 | comments(0) | -
図書館は「自由」をもつ



4月30日は「図書館記念日」です。いまから70年前の1950(昭和25)年4月30日に「図書館法」という法律が公布されたことから、日本図書館協会が「4月30日を図書館記念日にしよう」と提案。1971(昭和46)年の全国図書館大会で「図書館記念日」が決まりました。

図書館法は、図書館の設置や運営について必要な事項を定め、健全な発達をはかり、もって国民の教育と文化の発展に寄与することを目的とした法律。公立図書館と私立図書館に設置や運営について、また、司書などの資格について定めています。なお、国立国会図書館と学校図書館については、それぞれべつの法律があります。

図書館法は、この目的にもあるように、行きつくところは「国民のため」といえます。いっぽうで日本図書館協会は「図書館のため」ともいえる「図書館の自由に関する宣言」を1954年に採択してもいます。図書館は広く国民のためにあるので、この宣言も行きつくところは「国民のため」のものといえますが。

図書館司書の資格を得るための勉強では、「図書館の自由に関する宣言」はよく話題になるものの、人びとに広く知られているとはいえません。

「図書館の自由に関する宣言」は、1946(昭和21)年11月に交付された日本国憲法の第21条「表現の自由」が、憲法でうたう「国民主権」に欠かせないものだという考えに基づいています。図書館は、人びとがなにかを表現するためにあるというより、ものごとを知るためにあるものですが、宣言には「知る自由の保障があってこそ表現の自由は成立する」と書かれています。

では、「図書館の自由」とはどういうものか。宣言では「国民の知る自由を保障するため」という原則に立って、図書館はつぎのような「自由」をもっていると述べています。

「第1 図書館は資料収集の自由を有する」。図書館は、みずからの責任でつくった収集方針にもとづいて資料を選んだり、集めたりするのだとしています。

「第2 図書館は資料提供の自由を有する」。すべての図書館資料は、原則として国民の自由な利用に供されるべきであるとしています。

「第3 図書館は利用者の秘密を守る」。「自由」ということばは出てきませんが、読者の「なにを読むか知られない自由」を守ることを宣言しています。この第3の宣言については、1979(昭和54)年に加えられたもの。

「第4 図書館はすべての検閲に反対する」。国民の思想や言論の自由を抑圧する検閲に反対する立場を明らかにしています。

そして、宣言を「図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る」と結んでいます。

「図書館の自由に関する宣言」が出された背景として、戦前の図書館が、国民に対する「思想善導」の機関になっていたという反省があります。思想善導とは、大正時代からじょじょに高まっていた、自由主義や社会主義の考え、また物質やお金を大切にする考えなどを「過ぎた西欧の考えだ」として除き、「伝統的な日本の心に戻ろう」と扇動した国家の動きをいいます。

宣言は「図書館の自由」についてのものではありますが、「ただし書き」も多く見られます。たとえば、資料提供の自由については、「人権またはプライバシーを侵害するもの」や「わいせつ出版物であるとの判決が確定したもの」などは制限されることがあるとしています。「知る自由」のいっぽうである、「プライバシーの侵害」や「有害と認められた表現」などといかに折りあいをつけるかはこれからも課題でありつづけるでしょう。

それに、最近では新型コロナウイルス感染症「COVID-19」(COronaVirus Disease 2019)の拡大を防ぐためとして、閲覧はもちろん貸出をふくむ一切の業務を休んでいる図書館も多くあります。宣言にある「国民の自由な利用に供されるべき」という図書館のありかたとは、ほど遠い状況となっています。

全国の図書館はこれからも、憲法のもとでの「自由」と、そのいっぽうでの課題とを抱えつつ、人びとへのサービスをつづけていくことになります。

参考資料
日本図書館協会「図書館記念日について」
http://www.jla.or.jp/library/kinenbi/tabid/227/Default.aspx

e-Gov「図書館法」

https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=325AC0000000118
日本図書館協会「図書館の自由に関する宣言」
https://www.jla.or.jp/portals/0/html/ziyuu.htm
ブリタニカ国際大百科事典「思想善導」
https://kotobank.jp/word/思想善導-73659

| - | 18:04 | comments(0) | -
「絶対に」では危険すぎるし「できるかぎり」では効果がかぎられる


東京・渋谷のスクランブル交差点
ANNnewsCH

新型コロナウイルス感染症「COVID-19」(COronaVirus Disease 2019)の拡大を防ぐため、政府や自治体などが人びとに外出の自粛をよびかけています。その効果は未知数ともいいますが、すくなくとも行楽地や繁華街などへの人出は前よりも減っているようです。

外出自粛をよびかけをするからには、人々に適切に、かつ効果的に伝わる表現を用いることが大切になります。

「絶対に外出自粛を」とか「完全なる外出自粛を」といったように、ほかの選択肢はないとするような表現はできません。食料や薬を買いに行っていはいけないと考え、それを守って飢餓に陥ったり病状を悪くしたりする人が生じうるからです。「絶対に外出自粛を」とのよびかけを守って命が失われるようなことがあったら、よびかけた側の人は責められかねません。

「できるかぎりの外出自粛を」といったように、可能な範囲でと限定する表現はありえるかもしれませんが、効果もかぎられそうです。「できる」「できない」といった判断は、個人個人の実感や経験に委ねられるところが多い。「もう外出自粛なんてできないもんね」と思ってしまえば、それはしかたないということになってしまいます。

「外出自粛を」といったように、単純に形容句なしによびかけるのでは、ふだんのほかの要請との度に差をつけられません。

さまざまな表現が考えられるなかで、「徹底した外出自粛を」は、適切さや効果が高いよびかけではないでしょうか。

「徹底」とは「中途半端でなく一貫していること」を意味しています。「徹底した外出自粛を」であれば、「絶対に」や「完全に」ほど人びとの行動に選択肢を奪うことにはなりません。合わせて「不要不急の外出は可能」ということも伝えておけば、「不要不急でない外出自粛を中途半端でなく一貫しておこなってください」といった意味のよびかけになります。

とりわけ、外出の要請が1か月やそれ以上にもわたり続くとなると、人びとは「がんばったからもう外出してもいいでしょう」といった気になりがちです。ここでも「徹底」のもつ「一貫して」という意味が効いてきます。

たとえば、東京都は、映像・動画や音声などの広報で「徹底した外出の自粛をお願いします。生活必需品の購入などで外出する際には、人と人との距離を2メートル以上あけてください」とよびかけています。

政府や自治体からのよびかけは、テレビやラジオに触れていれば「なんとなく聞こえてくる」ものとはいえます。厳密に「この表現は法的にふさわしくない」とか「この表現は無意味だ」といったことまで考える人は多くないかもしれません。

しかし、適切かつ効果的な表現であるかどうかをよく考えて決めることで、その「そのなんとなく聞こえてくる」よびかけの効果や印象はたしかに変わってくるものです。

参考資料
デジタル大辞泉「徹底」
https://kotobank.jp/word/徹底-576264
大辞林第三版「徹底」
https://kotobank.jp/word/徹底-576264
東京都「東京都新型コロナ対策CMメッセージ篇」
https://www.youtube.com/watch?v=wREtavWmxeo

| - | 20:06 | comments(0) | -
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