2010.02.09 Tuesday
落ちつく中間点と落ちつかない中間点

一瞬にして終わるようなものでなく、ある程度じっくりと取り組むようなものでは、「中間点」が意識されます。
マラソンでいえば、折り返し地点が中間点になっている場合もあります。走ってきた選手は、中間点で折り返すと「あと半分だ」と思うわけです。
物書きにも中間点があります。「1万字を目安に書いてください」と言われた原稿で、5000字を書けば、「とりあえずは半分まで埋めた」となります。
江戸から京都まで東海道を旅していた昔の人も、中間点を意識していたかもしれません。宿場町では袋井あたりがそこになります。「あと半分だな、野次さん」「おう、北さん」と。
ものごとに始めと終わりがあれば、全体のうちの10分の1、5分の2、8分の5、12分の11といったように、それぞれの“地点”があるはずです。そのなかでも、中間点はより多くの人びとに意識されやすいものかもしれません。
まず、「半分まで来た」という実感が、人を落ちつかせるからです。半分まで来たということは、それまで経験したこととおなじ手間や時間を使えば終わりにたどり着けることになります。いままでの実感から、目標までにどのくらいの労力を使えば済みそうかが、とてもよくわかるわけです。
「ここまでで、5分の2か。ならば、あと1.5倍の作業をすればいいんだな」と考えるより「中間点か。ならば、あと同じだけ作業をすればいいんだな」と考えるほうが簡単なのでしょう。
さらに、「半分を過ぎたのだから、終わりまでの時間はあとは減っていくだけだ」という算段もつきます。これにより、もっと落ちつくかもしれません。
ただし、上にあげた中間点は、すべて「自分の行動により終わりまで近づく」種類のもの。これとは別に、「自分の意志に関係なく終わりが近づいてくる」種類の中間点もあるわけです。
たとえば国家プロジェクトはこの例でしょう。国の予算でおこわれるような事業には、「3年間で」や「5年間で」といった期限があります。その半分が過ぎると「中間評価」を受けることに。多くのプロジェクト参加者は、「もう半分が過ぎてしまった」と思うことでしょう。
こちらの中間点を意識しても、落ちつきはあまり得られないかもしれません。達成すべき目標は別にあるので、「あと半分」の中間点までさぼっていた人は、より気合いを入れなければならなくなります。つまり、「自分の意志に関係なく終わりが近づいてくる」中間点では、「あと同じだけ作業をすればいい」ということにはならないわけです。
「あと半分だ」と「もう半分しかない」は、微妙にちがうわけですね。
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